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レタスを拾う夜

作者: 玉井とま
掲載日:2026/10/19

「サラダが食べたいって言ったじゃん……」

 不満げに彼女が言った。

「あるでしょう、サラダ」

 私は首を傾げた。


 テーブルの上の夕食は、色とりどり。ブロッコリーとじゃがいもの温野菜サラダにミニトマトを添えたもの、酸味強めのキャロットラペ、ちゃんとバターを使った鱈のムニエル、コーンクリームスープ、それにご飯。パンにするかは正直かなり迷った。


 手間をかけ、栄養も考えて、手作りした夕食の、何が良くないのか私にはわからない。

「そうじゃなくてさぁ」

 彼女はテーブルの上の温野菜サラダを指差した。

「普通、サラダって言ったら、レタスときゅうりとトマトでしょう?」

 私は一瞬きょとんとして、二度三度と瞬きした。

「……ブロッコリー、嫌いだった?」

「いや、好きだけど」


 つまり。私が作ったのは温野菜サラダで。彼女が欲しかったのは生野菜サラダで。彼女にとって、ただ『サラダ』と言ったら、それは生野菜の方なのだろう。

「そっか、ごめんね。次はちゃんと、レタスときゅうりとトマトにする」

 私がそう謝っても、彼女はむすっとしたままだった。スーツ姿で化粧も落としていない。ぐったりと疲れた様子を見ると、どうにかしてあげたいとは思うけど。


 身内でもない女の二人暮らし。ルームシェアではなく、同棲だ。大好きな彼女となら上手くいくだろうと、気楽に引っ越してきてしまった私が甘かった。互いの認識の齟齬。育った環境の違い。価値観の差。家事や金銭の負担の割合。課題は山積みで、少しずつすり合わせていくしかないのに、彼女はあまりにも多忙で、疲れていた。


「大体さ、このメニューならパンにしない?」

「あ、やっぱり? 迷ったんだけど……」

 人間、余裕がなくなると、他人に優しくするのは難しい。在宅での仕事が多い私と、残業続きの彼女。せめて美味しいものを食べて貰おうとしても、すれ違う。


 掃除の仕方、洗濯物の干し方ひとつ取っても、彼女と私では習慣が違った。タオルのたたみ方だったり、食器の重ね方だったり、些細な違和感が積み重なって、彼女がストレスを溜めているのは感じていた。

 恋人としてたまに会う関係だった時は、お互いの好きな所だけ見ていれば良かった。でも今は、生活を成り立たせるためには、合わない部分も歩み寄る必要があるのだ。


「レタスが食べたい」

 彼女が言った。

「ねぇ、買ってきてよ」

「……今から?」

 残業の彼女を待っていたので、夕食にはすでに遅い時間だった。


「いつものスーパー、零時まで開いてるから。近いんだし、買えるでしょ」

「でも……雨降ってるよね?」

「さっき止んだよ。気付いてなかった?」

 それなら確かに、買ってくることはできる。できるけど、こんな夜遅くに。ちゃんと出来上がった夕食がもうあるのに。


 仕事で疲れた彼女のわがままを叶えてあげたいと、今までの私なら素直にそう思っただろう。でも、小さなすれ違いの蓄積にストレスを溜めているのは私も同じだった。

「……明日じゃ駄目かな」

 精一杯の譲歩。せっかくの夕食に不満を言われて、手付かずのまま冷めていく料理が口惜しい。


「やだ。レタスが食べたい」

 その声は頑なで、どこか幼かった。私は自分の中で何かが折れるのを感じた。

「…………わかった」

 空腹より苛立ちを強く感じながら立ち上がった。

「買ってくる。それでいいんでしょ」

 財布とスマホだけ持って、家を出た。


 そんなに食べたいなら、自分で買ってきて欲しかった。せめて「一緒に行こう」と言って欲しかった。レタスくらい明日でいいじゃないか。ふつふつと湧く苛立ちに、足が勝手に速くなる。どうして、上手くいかないんだろう。好きなのに。美味しいものを二人で食べたいと思っただけなのに。


 煌々と灯りがついたスーパーにたどり着く。店内は眩しいくらいで、目が痛い。私はカゴも持たずにスタスタ歩いて、レタスひとつだけを買った。レジ袋を貰うのもなんだか癪で、けれどエコバッグは持ってきていない。どうせ人通りは少ない。レタスひとつなら、抱えて帰ればいい。


 スーパーから出てすぐに、近付いてくる足音が聞こえた。

「ごめん!」

 彼女だった。

「わがまま言ってごめんね。完全に八つ当たりだった。きみは何も悪くないのに」

 ごめんごめんと繰り返しながら、泣き出しそうな顔をして、彼女が抱きついてきた。


「ちょ、待って。ここ、普通に外だし……!」

 以前と比べて受け入れられることも増えたとは思うけど、女同士。路上で夜遅くに抱き合うのは、誰かに見られたらとても気まずい。けれど、感情的になった彼女は止まれなかったらしく。ぎゅうっと抱きしめられたその時、私の手からレタスが転がり落ちた。


「あ」

「……え? あ。ごめん」

 レタスが雨上がりの濡れたアスファルトを転がる。私たちはそれを追いかけた。

 路上に停止したレタス。その傍らに、私はかがみ込んだ。

「えっと、これ、どうしよう」

 彼女も同じようにかがみ込んだ。

「どうって。拾えば良くない?」


「地面、転がったレタス、食べたい?」

 おまけに雨上がりで、あまりきれいじゃないけれど。

「どうせ、一番外側は捨てるでしょ?」

 彼女が言った。

「あとはよく洗えば平気だって」

「……そう、かな」

「そうだよ」


 濡れたアスファルトにレタス。そこにかがみ、食べられるかを話し合う私たち。彼女はまだ仕事を終えたままの服装で、足元はヒールで。

 なんだか可笑しくなって、私は笑った。彼女も釣られたように笑い出す。

「もう……何だろうね。こんな夜更けにレタス囲んで」

「いいじゃん。たまには、喧嘩するのも」

 彼女が濡れたレタスを拾い上げた。


 そうか。喧嘩だったのか、これは。

「帰ろっか」

「うん。帰ろ」

 私たちは久々に、手を繋いで歩いた。




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