第9話:その「奇跡の生還」は、ただの業務終了(定時退勤)です
正確性はどこかに逃亡したようです。
AIでも誤字はするし、誤字確認もすり抜けます。
夕日が、ダンジョンの入り口を赤く染めていた。
時刻は16時45分。実習の終了時刻だ。
「うぅ……足が……」
「水……誰か水をくれ……」
洞窟の入り口付近は、敗走した野戦病院のような有様だった。
AランクやBランクのエリート生徒たちが、泥と煤にまみれ、虚ろな目で地面に座り込んでいる。
煌びやかだった装備はボロボロ。
自慢の魔法銀の鎧はへこみ、シルクのローブは焦げ跡だらけ。
空気は重く、鉄錆のような血の臭いと、敗北感が澱んでいる。
「くそっ……なんだよあの数は……」
「大量発生なんて……聞いてない……」
彼らは生き延びただけで精一杯だった。成果など、二の次三の次だ。
その陰鬱な空気を切り裂くように、洞窟の奥から、規則正しい足音が響いてきた。
カツン、カツン、カツン。
「……ん?」
誰かが顔を上げる。
暗闇から現れたのは、紺色のつなぎを着た三人組だった。
「……よし。出口確認。外気導入ヨシ」
先頭を歩く俺、佐藤航は、ヘルメットのシールドを上げ、眩しい夕日に目を細めた。
作業着には、泥跳ね一つない。埃すら払われている。
後ろに続く凛とカイも同様だ。まるで、ちょっと近所のコンビニに行ってきたかのような清潔感。
「は……?」
「おい見ろよ、あいつら……」
ざわめきが広がる。
「なんで汚れてないんだ?」
「Fランクだろ? ずっと入り口付近で隠れてたんじゃないか?」
「卑怯者が……俺たちが死ぬ思いで戦ってる時に……」
侮蔑と嫉妬の視線が突き刺さる。
だが、俺にとってそれは安全管理が行き届いていた証拠でしかない。
汚れ作業を回避し、リスクをコントロールした結果だ。
俺はヘルメットを脱ぎ、小脇に抱えた。
「……うるさい外野だな。カイ、納品準備だ」
「了解。……ふふ、みんな怖い顔してるね」
カイが楽しげに笑い、凛は「無知な人たち……」と小さく呟いて、憐れむような目を周囲に向けた。
◇
入り口には、長机を並べた仮設の検収所が設けられていた。
ロイド教諭をはじめとする教師陣が、生徒たちの持ち帰った魔石を計量している。
「……田中班、魔石小が3個。……以上」
「くっ……申し訳ありません……」
田中が悔しそうに唇を噛む。
だが、ロイドは芝居がかった動作で彼の肩を叩いた。
「恥じることはない! 君たちはあのスタンピードから生還したのだ! その傷こそが勲章! 成果など些細な問題だ!」
ロイドの声が響き渡る。
自身の失態を誤魔化すための、必死の論点ずらしだ。
「そうだ! 俺たちは生き残った!」
「ロイド先生の指揮のおかげだ!」
生徒たちが同調し、奇妙な連帯感が生まれる。
失敗を美談にすり替えようとする、典型的なブラック企業の朝礼の空気だ。
「次! 佐藤班!」
事務員の冷淡な声が掛かる。俺はロイドの前へ進み出た。
「ふん。Fランクの逃げ腰チームか」
ロイドが鼻で笑う。
「見たまえ、その綺麗な服を。戦いもせず、隠れていた証拠だ。成果など期待するだけ無駄だが……まあ、出して見せろ」
「はい、これ納品分です」
俺は背負っていた空間拡張機能付きの作業用リュックを下ろし、机の上で逆さにした。
ドサァッ……ガラガラガラガラ……!!
「え?」
重たい音が響き、机が軋む。
リュックから溢れ出したのは、小石のような低級魔石ではない。
一つ一つが拳大の大きさを持つ、青白く輝く結晶体。ダンジョンの裏ルート、手付かずの鉱脈から解体してきた上質魔石の山だ。
その数、およそ50個。
さらに、最後にゴトッ! と重たい物体が落ちた。
鋼鉄のような光沢を放つ、長さ50センチほどの巨大な鉤爪。ギガント・モールが落下した際、岩盤に引っ掛けて折れたものを回収しておいたのだ。
「……え? あ、あれ……?」
ロイドの目が点になる。
計量係の事務員が、震える手で魔導計量器に石を乗せた。
ピピピピピ……ボンッ!!
計量器の針が振り切れ、エラー音が鳴り響く。
「け、計測不能!? 純度99%以上のAランク魔石が……こんなに!?」
「そ、それにこの爪……! 希少素材の剛土竜の爪じゃないか! 市場価格だけで数百万は下らないぞ!?」
静寂。
さっきまで俺たちを嘲笑っていた生徒たちが、凍りついたように口を開けている。
「……まあ、こんなもんですかね。検収お願いします」
俺は淡々と告げた。
◇
「ふ……ふざけるなッ!!」
ドンッ! とロイドが机を叩いた。顔を真っ赤にして、唾を飛ばして叫ぶ。
「不正だ! イカサマだ! Fランクの落ちこぼれが、こんな成果を出せるわけがない!」
「そうだ! 俺たちが戦ってる間に、どさくさに紛れて倉庫から盗んだんだろ!?」
田中たちも便乗して騒ぎ立てる。自分たちの敗北を認めたくない一心での、見苦しい言いがかりだ。
「盗む? 倉庫の鍵は電子ロックだぞ。どうやって?」
「貴様ならやるかもしれん! それに、服が汚れていないのが何よりの証拠だ! 戦わずに手に入れた=不正だ!」
ロイドの理屈は破綻していたが、興奮した群衆にはそれが正論に聞こえるらしい。
「失格だ! 退学にしてやる! 今すぐこのゴミを……」
ロイドが俺の胸倉を掴もうと手を伸ばした、その時だった。
「――お下がりください、先生」
凛とした、しかし絶対零度の声が響いた。
北条凛が、俺とロイドの間に割って入ったのだ。
彼女は優雅に、しかし威圧的にロイドの手を払いのけた。
「ほ、北条……? なぜ彼を庇う?」
「庇っているのではありません。事実を述べているのです」
凛は懐から、分厚い手帳を取り出した。
「私はこのパーティの監査役として、全ての行動ログを記録しました。……移動ルート、採取ポイント、そして交戦記録。全てここにあります」
彼女はページを開き、ロイドに突きつけた。
「彼の指揮は完璧でした。無駄な戦闘を避け、敵の感知範囲外を移動。……服が汚れていないのは避けたからではなく、汚れがつくような未熟な動きをしなかったからです」
「な、なんだと……?」
「そして、この爪」
凛は机の上の巨大な爪を指差した。
「これは、私たちを襲ったスタンピードの元凶……ギガント・モールの一部です。……彼が、たった一撃で葬り去った証拠ですわ」
「は……?」
ロイドが絶句する。周囲の生徒たちも、意味が理解できずに顔を見合わせる。
「い、一撃……? あの化け物を……? 魔法も使えない彼が……?」
「ええ。魔法ではありませんでした」
凛は誇らしげに胸を張り、俺を見た。その瞳は、熱っぽい崇拝の色を帯びていた。
「あれは……神の雷すら凌駕する、必然の崩落。……最高にエレガントな、物理的攻略でしたわ」
学園の至宝、北条凛の証言。それに勝る証拠など、この場には存在しなかった。
ロイドがパクパクと口を開閉させている。完全に論破され、反論の言葉を失っているようだ。
俺はここぞとばかりに、胸ポケットから一枚の書類を取り出した。
「ああ、そうだ先生。これ、提出しますね」
「な、なんだこれは……」
「ヒヤリハット報告書です」
俺はロイドの手に紙を押し付けた。
「今回のスタンピードの原因についてまとめておきました。……第3層大広間での発破魔法の使用。あれによる地盤のゆるみが、上層のボスエリアを崩壊させ、連鎖的な崩落を招いた可能性が高いです」
「なっ……!?」
「現場での火気厳禁は常識でしょう? ましてや閉鎖空間での爆発なんて。……管理責任者として、猛省を求めます」
それは、トドメの一撃だった。
俺の指摘は、図星どころか、今回の事故の核心を突いている。
「あ……あぅ……」
ロイドの顔から血の気が引いていく。
この報告書が理事長やギルドに出回れば、彼の進退に関わる。
「では、再発防止策の提出、期待してますよ。……ご安全に」
俺はニッコリと笑って、ロイドの肩をポンと叩いた。
ロイドはその場に崩れ落ち、灰のように白くなった。
◇
周囲は静まり返っていた。誰も言葉を発せない。
Fランクの無能だと思っていた男が、成果で圧倒し、教師を論破し、さらにはボスの討伐まで成し遂げたのだ。
その異常な光景の中、俺はスッと左手首を持ち上げた。
チッ、チッ、チッ……。
秒針が進む。時刻は、16時59分50秒。
「……よし」
俺は呟いた。
「検収完了。報告書提出済み。……これにて、本日の業務を終了する」
キーンコーンカーンコーン……。
その言葉を合図にしたかのように、学園の鐘が17時を告げた。
「お疲れ様でしたー」
俺はヘルメットを被り直し、呆然とする群衆に背を向けた。
足取りは軽い。これから寮に帰って、熱いシャワーを浴びて、食堂のA定食を食べるのだ。
「あ、待ってよ航!」
「待ちなさい! まだ話は終わっていませんわ! 今日のあのツルハシの角度について、詳しく解説を……!」
カイと凛が、慌てて追いかけてくる。
「……残業はしない主義だ。質問はまた明日な」
俺は手をひらひらと振りながら、夕日の中を歩き出した。
背中には、心地よい疲労感と、仕事を完璧にこなした者だけが味わえる充実感があった。
これぞ、定時退勤。
俺の戦いは、完全勝利で幕を閉じたのだ。
本日も一日ご安全に!




