第7話:その「奇跡の裏道」は、ただの管理用通路(キャットウォーク)です
人形は強い。
表ルートから響く爆発音が、遠雷のようにくぐもって聞こえる。
それほどまでに、俺たちが歩いている場所は静まり返っていた。
「……静かですわね。魔物の気配が全くしませんわ」
ヘルメットのシールド越しに、凛が怯えたような声を出す。
彼女が警戒するのも無理はない。俺たちが進んでいるのは、地図にも載っていない、壁と壁の隙間のような狭い通路だ。
湿ったコンクリートの匂い。古びた鉄錆と、わずかなカビの臭い。
そして、頭上を這う太い魔導配管から漏れ聞こえる、低い流動音。
ここはダンジョンの裏側。かつてこの施設を建造した者たちが残した、管理用通路だ。
「当たり前だ。ここは魔物が湧かないように、床下に魔除けの結界線が埋め込んである」
俺は先頭を歩きながら、ヘッドライトで足元を照らした。道は平坦だが、所々に点検用のハッチやバルブが突出している。まさに現場だ。
「行き止まり……ですわよね?」
凛が指差した先は、コンクリートの壁だった。
だが、俺は歩みを止めない。図面によれば、ここには第3区画への短絡路があるはずだ。
「よく見ろ。壁の隅に、化粧板の継ぎ目があるだろ」
俺は腰袋からマイナスドライバーを取り出し、壁の一点をこじった。
カコッ、という乾いた音と共に、正方形のパネルが外れる。現れたのは、鍵穴のついた古びたノブだ。
「壁が……開いた? まさか、隠し扉!? しかも、魔力感知に一切引っかからないなんて……!」
凛が目を輝かせる。彼女にはこれが古代の叡智による隠蔽工作に見えているらしい。
ただの点検口だとは、口が裂けても言えない雰囲気だ。
「カイ、後方警戒。凛、ライトの光量を絞れ。光が漏れると面倒だ」
「りょ、了解!」
俺はピッキングツールを鍵穴に差し込んだ。
シリンダーの構造はディスクタンブラー錠。内部のディスクを正しい角度に回転させ、サイドバーを落とし込む必要がある。
指先に伝わる感触に集中する。一枚、二枚……ディスクの切り欠きを合わせていく。
カチッ……カチッ……。
全てのディスクが整列し、内筒のロックが外れる感覚。俺はテンションレンチに力を込め、手首をひねった。
グルン。
「……回ったぞ」
重い鉄扉を押し開く。そこには、金網でできたキャットウォークが続いていた。
「うそ……。もう第3層への階段が見えますわ。表ルートなら、まだ第1層の中ボスと戦っている頃合いですのに……」
「言ったろ。これが『安全ルート』だ」
◇
キャットウォークを進むと、鉄格子の窓が現れた。
その向こう側には、煌びやかな装飾が施された広間――いわゆる宝物庫が見下ろせる。
部屋の中央には、巨大な宝箱。
そしてその前には、身長3メートルはある鋼鉄の巨人が、不動の姿勢で仁王立ちしていた。
「ひっ……! アイアン・ゴーレム!? Aランク相当の門番ですわよ!」
「シーっ。静かに。ライトを消せ」
俺はハンドサインを送り、全員のヘッドライトを消灯させた。
部屋の中は、壁に埋め込まれた発光苔の淡い光で満たされている。
「……ゴーレムの頭部を見ろ。メインカメラの輝度が落ちてる。今は待機状態だ」
俺は小声で解説する。
「こいつのセンサー有効視野角は、正面60度。動体検知と魔力反応で作動する。……つまり、この死角から、魔力を使わずに動く分にはただの置物だ」
「そ、そんな攻略法……聞いたことがありませんわ」
「さて。いただくか」
俺は背負っていたリュックから、ある道具を取り出した。
長い柄の先に、カニの爪のようなアームがついた金属製の棒。
前世で庭木の剪定に使っていた高枝切り鋏だ。
「な、なんですの、その武器は……? 槍?」
「回収用アームだ」
俺は鉄格子の隙間からアームを差し込み、慎重に伸ばしていく。
狙うは宝箱ではない。
「このダンジョンの宝箱は、蓋のロックが甘い。衝撃を与えれば開く。『保全管理の眼』で起爆装置の配線が腐って死んでいることも確認済みだ」
俺はアームの先端で、宝箱の留め金をコツンと叩いた。
パカン。
軽い音と共に蓋が開く。ゴーレムはピクリとも動かない。
苔の薄暗い明かりの中、中身の輝きだけが浮かび上がる。青白く輝く高純度の魔石が、ぎっしりと詰まっていた。
「……よし」
俺はアームを操作し、魔石を一つずつ掴んで、こちら側へと引き寄せる。
UFOキャッチャーより簡単だ。何しろ、景品が動かないし、アームの強度は工業規格なのだから。
「回収完了。……カイ、鑑定頼む」
「んーっと……『上質魔石』が3個。市場価格で計30万円なり」
「悪くないな。時給換算なら十分黒字だ」
俺たちは手早く魔石を回収し、リュックに詰め込んだ。
凛は、その光景を呆然と眺めていた。
「……酷い。ゴーレムが気づきもしていませんわ」
「お前も一つどうだ? 記念品だ」
「い、要りませんわよ! これは冒険者のすることではありません! 完全に空き巣の手口です!」
凛が顔を真っ赤にして抗議する。だが、その目は魔石の輝きに釘付けだ。
「褒め言葉として受け取っておく。……さあ、用は済んだ。次に行くぞ」
俺たちは音もなくその場を立ち去った。
後に残されたのは、何も守れなかった哀れなゴーレムと、空っぽの宝箱だけだ。
◇
一方その頃。表ルート。
「ハァ……ハァ……! くそっ、なんだこの暑さは!」
ロイド教諭とAランクの田中たちが進む通路は、地獄のような熱気に包まれていた。
彼らが連発した火球魔法のせいで、洞窟内の酸素が消費され、代わりに二酸化炭素と煤煙が充満していたのだ。
「先生……! もう魔力が……息が苦しいです!」
「ええい、根性を出せ! 英雄への道は険しいものなのだ!」
ロイド自身も滝のような汗を流しながら、杖を振るう。
だが、彼の判断能力は、酸素欠乏と焦りによって著しく低下していた。
「進軍が遅すぎる……! このままではFランクの佐藤たちに笑われるぞ!」
彼の目の前には、第2層と第3層を隔てる巨大な岩盤が立ち塞がっていた。
正規ルートは迂回路だが、そこには魔物の群れがいる。
ロイドの目は血走っていた。
彼は史上最年少の21歳で教授職に就いた天才だ。だが、彼には時間がない。来月、彼は22歳になる。「断絶」を迎え、ただの人に戻る前に、何としても伝説的な功績を残さねばならないのだ。
「……あの壁の向こうから、強い風の流れを感じる。ショートカットできるはずだ!」
「で、でも先生! 図面には構造壁と……」
「黙れ! 私の残る全魔力を込めた極大魔法で、壁ごと吹き飛ばして道を開く!」
事務員の制止を振り切り、ロイドは詠唱を始めた。
閉鎖空間での発破作業。しかも、地盤の緩いこの場所で。
それが何を招くか、素人でも想像がつくだろう。
◇
(……ん?)
裏ルートを歩いていた俺の視界で、カイの持つタブレットが赤く明滅した。
「……航、まずい。中央エリアで異常震動を検知。震源地はロイド先生たちの現在地だ」
「震動? まさか……」
俺の脳裏に、最悪のシナリオが走る。
酸素濃度の低下。魔物のストレス値の上昇。そして、この脆弱な地盤。
「あの馬鹿ども、閉鎖空間で発破を使いやがったな」
その直後だった。
ズドォォォォォン……!!
腹の底に響くような重低音。そして、世界が揺れた。
パラパラと天井から砂が落ちてくる。
いや、砂だけではない。遠くで岩盤が砕け散る音と、何百もの獣の咆哮が重なって聞こえてくる。
> [WARNING] 環境異常:エリア崩落発生
> [ALERT] ダンジョン防衛機能:過剰反応
> [CRITICAL] 敵性体:大量発生確認
視界に浮かぶ赤い警告ウィンドウ。
それは、ダンジョンというシステムが「痛み」を感じ、免疫細胞を総動員して異物を排除しようとする悲鳴だ。
「……やってくれたな」
俺は舌打ちをした。
表ルートの入り口が、今の振動で崩落し、塞がれた可能性がある。
つまり、ロイドたちは退路を断たれ、魔物の群れと袋小路に閉じ込められたということだ。
「航、どうする?」
カイが冷静に問う。彼の指はすでに退避ルートの検索を終えている。
「僕らのルートは無事だ。このまま進めば、誰にも会わずに地上へ出られる。……彼らを放っておけば、間違いなく全滅するけどね」
「……」
俺は腕時計を見る。時刻は16時30分。
定時退勤まで、あと30分。
今から帰れば、余裕でシャワーを浴びて、食堂のA定食にありつける。
自業自得の馬鹿どもを助ける義理はない。安全管理を怠った報いだ。
だが。
「……助けなきゃ」
凛が、震える声で言った。
彼女の顔は蒼白だが、その琥珀色の瞳だけは真っ直ぐに俺を見ていた。
「あんな馬鹿たちでも……同級生よ。見殺しにはできませんわ」
彼女の言う通りだ。
ここで彼らが死ねば、学園は閉鎖され、俺の平穏な学歴もパーになる。
それに何より――。
「……チッ。業務終了間際にトラブル対応とか、どこのブラック現場だ」
俺の中で、現場監督としての矜持が、逃走を許さなかった。
事故を未然に防げなかった時点で、俺の管理不足でもある(と、無理やり自分を納得させる)。
「おいカイ、凛。……残業だ」
俺はヘルメットのシールドを「カシャッ」と下ろし、腰のツルハシを手に取った。
「手当は高くつくぞ。……行くぞ、災害救助の時間だ!」
「了解!」
「……はいっ!」
俺たちはきびすを返し、崩壊の始まる闇の中へと走り出した。
人形は(動けば)強い。
本日も一日ご安全に!




