第6話:その「英雄の出陣」は、ただの新規入場教育(入場確認)です
緑の生き物の名前を知っている人はどの位いるだろうか。
「うわぁ……。見ろよ、すげえ魔素だ!」
「これが『翡翠の洞窟』か……! 俺の炎魔法で焼き尽くしてやるぜ!」
大型魔導バスの窓越しに、生徒たちの歓声が響く。
遠足気分。まさにその言葉が相応しい。
バスを降りた俺たちを出迎えたのは、森の湿った土の匂いと、洞窟から吹き出す生温かい風だった。
山の斜面にぽっかりと開いたその巨大な岩穴は、まるで獲物を待ち構える怪物の口腔のように見えた。
だが、俺の感想は違った。
(……地盤が緩いな。入り口付近の岩肌、亀裂が入ってるぞ)
落石防止ネットもなしに運用してるのか?
管理組合はどうなってるんだ。職業病が疼く。
俺にとってダンジョンとは、冒険の場ではない。これから立ち入るべき危険な作業区画だ。
「……おい、佐藤。本当にこれを着るのか?」
隣で、カイが苦笑しながら小声で尋ねてきた。
彼はすでに着替えを済ませている。
その姿は、いつもの制服ではない。厚手のデニム生地で作られた、紺色のつなぎ。
足元には、軽量かつ強固な樹脂製先芯が入った安全靴。
そして足首には、土砂や破片の侵入を防ぐための脚絆がしっかりと巻かれている。
腰には、ドライバーやペンチが整然と収められた腰袋。皮手袋は、太もものカーゴポケットに無造作にねじ込まれている。
どこからどう見ても、これから冒険に行く若者ではなく現場入りする職人だ。
「当たり前だ。制服を汚したくないだろ?」
「それはそうだけど……隣のお嬢様を見てみろよ。今にも泣き出しそうだ」
カイの視線の先。
そこには、学園の至宝・北条凛が、顔を耳まで真っ赤に染めて立ち尽していた。
彼女もまた、俺が支給したつなぎと脚絆を装着させられている。
サイズ調整のために裾をロールアップしており、それが妙にファッショナブルに見えるのが憎らしいが。
「……さ、佐藤さん。本当に、これを……?」
「ん? 何か不満か?」
「不満というか……その、羞恥心が……」
凛が震える手で持っているのは、鮮やかなイエローの樹脂製ヘルメット。
正面には緑十字のマークと『安全第一』のロゴ。
側面には『氏名:北条 凛 / 血液型:A型』と書かれたシールが貼られている。
「かぶれ。洞窟内で頭を守らないのは、自殺志願者だけだ」
「で、でも……これ、ただのプラスチックでは……?」
「バカ言え。それは高密度ポリカーボネート樹脂だ。落石の衝撃を分散し、溶解液だって弾く。お前が着てるヒラヒラしたローブのフードより、100倍信用できる」
俺は彼女の手を取り、ヘルメットの縁にあるレバーを操作した。
シャキッ、という音と共に、透明な収納式シールドが降りてくる。
「あ……!」
「粉塵や飛来物から目を守るシールド付きだ。視界も確保できる」
「コウ・ミツド……ポリ・カーボネート……それに、可変式フェイスガード……」
凛がゴクリと喉を鳴らした。彼女の脳内で、勝手な解釈が行われる音がする。
(……なるほど。見た目は安っぽい樹脂に見えるけれど、これは古代の錬金術で作られた衝撃分散装甲……。それに、このバイザー……魔眼対策の偏光レンズかもしれないわ……!)
「わかりましたわ! かぶればいいのでしょう、かぶれば!」
凛はヤケクソ気味にヘルメットを装着し、顎紐をカチリと留めた。
艶やかな黒髪のポニーテールが、黄色いヘルメットの後頭部からピョコリと飛び出す。
……悔しいが、妙に似合っている。
「ぷっ……ギャハハハハハ!」
その瞬間、周囲から爆笑が巻き起こった。
「おい見ろよ! 北条様があんな格好してるぞ!」
「なんだあれ? 掃除のおじさんか?」
「おいFランク! ここは工事現場じゃねえんだぞ! スコップなんて持って何しに来たんだ!」
Aランクの田中たちが、腹を抱えて笑っている。
彼らは全身を煌びやかな魔法銀の鎧や、高級なシルクのローブで固めている。
確かに、ビジュアル的な英雄っぽさでは完敗だ。凛が恥ずかしさで俯く。
だが、俺は鼻で笑ってやった。
「笑いたい奴には笑わせておけ。……最後に笑うのは、ヘルメットを被っていた奴だけだ」
ダンジョンという閉鎖空間で、動きにくい金属鎧や、可燃性の高いシルクを着るリスク。
彼らはそれを、身をもって知ることになるだろう。
「――静粛に! 入場を開始する!」
ロイド教諭の声が響く。
彼は安全確認もせず、洞窟の入り口で大仰に杖を掲げた。
「諸君! 恐れるな! 傷つくことを誇りとせよ! 先陣を切る者こそが英雄だ! さあ、栄光を掴み取れ!」
その無責任な煽動が、若者たちの功名心に火をつけた。
「うおおおおおお!」
「一番乗りは俺だぁぁぁ!!」
我先にと駆け出す生徒たち。
狭い入り口に殺到し、押し合いへし合いしながら暗闇へと消えていく。まるで、断崖絶壁に向かうレミングの群れだ。
俺はそれを、冷ややかな目で見送った。
「……バカが。酸素濃度の確認もしないで突っ込みやがって」
数分後。
入り口付近から人の波が消え、静寂が戻った。
残っているのは、俺たち3人と、記録係の事務員だけだ。
「……さて。俺たちも行くぞ」
俺は二人に向き直り、ハンドサインを出した。遊びは終わりだ。ここからは現場だ。
「作業開始前TBM-KY、始めるぞ。……足元よし」
俺は安全靴で地面を踏みしめ、グリップを確認する。
「……周辺魔素濃度、安定。ガス検知器、反応なし。……空気よし」
カイが腰に下げた四角い機械――自作の魔力&ガス検知器――の数値を読み上げる。ピピっという電子音が、冷たい空気に響く。
そして、凛。彼女は恥ずかしそうにシールドを下ろし、小さな声で言った。
「……け、結界強度、及び防護術式……展開済み。……防御よし」
完璧だ。俺は満足げに頷き、右手を突き出した。
「よし。本日も無事故無災害で。……ご安全に!」
「「ご安全に!!」」
三人の声が重なり、指差呼称のポーズが決まる。
そのあまりに洗練された儀式に、背後で見ていた事務員が「……あいつら、何者だ?」と呟くのが聞こえた。
「行くぞ」
俺たちはゆっくりと、牛歩のような慎重さで洞窟へ足を踏み入れた。
その、直後だった。
ドカァァァァァァン!!
洞窟の奥深くから、空気を震わせる轟音が響き渡った。
続いて、「ギャアアアア!」「熱ゥゥゥイ!」という悲鳴が反響してくる。凛とカイが肩を震わせる。
だが、俺は歩調を変えずに言った。
「……ほらな。入り口の罠を踏み抜いた音だ」
先行した連中が、罠の有無も確認せずに突っ走った結果だ。焦げ臭い硝煙の匂いが漂ってくる。
「急ぐ必要はない。俺たちは安全ルートを行く」
俺はヘルメットのヘッドライトを点灯させた。一筋の光が、誰も選ばなかった脇道の闇を切り裂く。
「ついて来い。これが『プロの攻略』だ」
俺の背中に、二人が無言で頷く気配がした。
今日も一日お疲れ様でした!




