第3話:その「古代秘術」は、ただの応急処置(ダクトテープ)です
叩いて直す、令和でも現役です。
「……ふう。ここなら、労働基準法も守られるだろ」
正午過ぎ。
俺、佐藤航(中身は35歳)は、校舎の屋上にある給水塔の点検用踊り場に座り込み、購買で争奪戦の末に勝ち取った『焼きそばパン』の包装を剥がしていた。
眼下には、春の日差しに浮かれる学園の庭園が広がっている。
だが、俺がいるのは錆びついた鉄梯子を登った先にある、立入禁止エリアだ。
錠前がかかっていたが、墜落制止用器具のフックを掛ける場所を無意識に確認しつつ、ヘアピン一本で解錠させてもらった。
もちろん不法侵入ではない。
設備の腐食状況を目視確認するための緊急点検だ。
『現場モグラ』も納得の論理である。
風が強い。鉄の錆びた匂いと、微かなグリースの匂い。
教室の喧騒とも、教師たちの暑苦しい精神論とも無縁の、冷たくて乾いた風。
これこそが、俺が求めていた平穏だ。
「いただきます」
焼きそばパンにかぶりつこうとした、その時だった。
「――見つけましたわよ、ミスター・デバッグ」
頭上から、鈴を転がすような、しかし絶対零度の声が降ってきた。
「……は?」
俺が見上げると、そこには重力を無視してふわりと浮遊する、一人の少女がいた。
風に舞う艶やかな黒髪のポニーテール。俺を射抜くような、琥珀色の瞳。
この学園の主席にして、名門・北条家の令嬢。北条凛だ。
彼女は優雅にスカートを翻し、俺の隣――錆びた鉄板の上――に、音もなく着地した。
「……ここ、立入禁止区域ですよ。北条さん」
「あなたこそ。その錠前、どうやって開けましたの? 魔力痕跡が全くありませんけれど」
「鍵穴が緩んでたんでね(大嘘)」
俺はため息をつき、食べかけのパンを置いた。
最悪だ。休憩時間が業務時間に変わった音がした。
凛は俺の言い訳を一蹴し、一歩詰め寄ってきた。
彼女からは、高級な香水ではない、研ぎ澄まされた魔力特有の――雨上がりのアスファルトのような――清冽な香りがする。
「誤魔化しても無駄ですわ。昨日の授業……あの暴走するジェネレータを、あなたは一瞬で沈黙させましたね?」
「……偶然です。叩いたら直った、昭和の家電ですよ」
「嘘をおっしゃい!」
凛が声を張り上げる。
その瞳には、切迫した色が浮かんでいた。
単なる好奇心ではない。もっと深い、何かに追い詰められているような焦燥感。
「私の解析眼でも、あの現象の理屈が読み解けなかった。……振動の位相を反転させるアンチ・レゾナンス? それとも、魔力回路そのものを書き換えるコード・オーバーライド? 一体、どの学派の秘術ですの?」
彼女が並べ立てる専門用語に、俺は頭痛を覚えた。
(……だから、買いかぶりすぎだっつの)
俺がやったのは、端子の増し締めとアース接続、そして筐体のゆがみ矯正。ただの物理的なメンテナンスだ。
だが、この世界のエリートたちは「魔法=神秘」と信じ込んでいるから、物理現象という答えにたどり着けない。
「言ったでしょう。ただの叩いて直すだと」
「……あくまでシラを切るおつもり? いいでしょう」
凛は腕を組み、不敵に微笑んだ。
「あなたのその偽装、私が必ず暴いてみせますわ。……22歳で魔法を失うその日までに、私にはあなたの技術が必要なのですから」
(……ああ、なるほど。そういうことか)
彼女の焦りの正体が読めた。
この世界の魔導師は、22歳になると唐突に魔法が使えなくなる断絶を迎える。天才と呼ばれる彼女だからこそ、その終わりへの恐怖も人一倍強いのだろう。
「……勝手にしてください。俺は忙しいんで」
チャイムが鳴る。
俺は逃げるように立ち上がり、錆びた梯子へと向かった。
◇
午後の教室へ向かう廊下。
凛は宣言通り、俺の背後3メートルをキープしてついてきていた。
「(ブツブツ)……歩行のリズムに魔力循環を合わせている? いえ、呼吸法かしら……」
完全に不審者だ。
俺が頭を抱えそうになった時、視界の端に赤色が灯った。
[WARNING] 配管亀裂:魔力蒸気漏洩中
[ALERT] 応力集中:配管破断まで残り60秒
「……チッ」
俺は舌打ちをして足を止めた。
場所は廊下の曲がり角。壁に布設された魔導配管の一部から、微かに「シューー……」という音が漏れている。
「あら? 足を止めてどうしましたの?」
凛が追いついてくる。
彼女は配管の方を見ても、何も感じていない様子だ。
「……ここ、魔素の濃度が少し高いですわね。吹き溜まりかしら? 肌に良さそうですわ」
「バカ言え。これだから素人は」
俺は毒づきながら、壁に近づいた。
彼女には神秘的なエネルギーに見えているらしいが、俺の目には危険な亀裂が見えている。
圧が抜けているとはいえ、このまま亀裂が広がれば配管そのものが破断し、爆発する。典型的な管理瑕疵だ。
「おい、そこを動くなよ」
「え?」
俺はズボンのポケットから、愛用の道具を取り出した。
あらかじめ使いやすい長さにカットし、平たく折りたたんでおいた銀色の物体。
前世のホームセンターで398円で売っていた、最強の補修材。
アルミガラスクロステープ、またの名をダクトテープだ。
ロールごとは持ち歩けないが、こうして携帯用にしておくのは基本中の基本だ。
「なっ……!? それは……!?」
凛が息を呑む気配がした。
折りたたまれた銀色のシートが、彼女には何か特別な護符にでも見えているらしい。
俺は躊躇なくテープの剥離紙を剥がす。
ペラリ……。
静かな廊下に、紙を剥がす乾いた音が響く。
(……よし、粘着力は死んでないな)
俺は手際よくテープを広げると、配管の亀裂部分に狙いを定めた。
必要なのは、圧力に負けない張力と、隙間を作らない密着性。
「……ふんっ!」
ペタッ。キュッ、キュッ。
一貼り目は亀裂を塞ぐように強く。
二貼り目は十字に補強。
三貼り目は周囲ごと巻き込んで、圧力を分散させるように。
熟練の職人技による三重施工。所要時間、わずか5秒。
「……よし。漏れなし、異音なし」
シューシューという不快な音が止み、周囲の空気がクリアになる。
俺はテープの端を指で押さえ、圧着を確認してから振り返った。
「……これでよし。行くぞ」
だが、凛は動かなかった。
彼女は俺が貼り付けた銀色のテープを、まるで神の遺物でも見るような目で見つめ、戦慄していた。
「あ、ありえない……」
彼女の唇が小刻みに震えている。
本日も一日ご安全に!




