第10話:その「神の啓示」は、ただのシステムエラー(バグ報告)です
ロイド教諭のフルネーム登場。
今回のみ登場の貴重な機会になります。
実習翌日の教室は、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
「おい聞いたか? ロイド先生、謹慎処分だってよ」
「マジか。なんでも、ダンジョンの安全基準を無視して爆発させたのがバレたとか……」
「ざまぁねえな。あのハゲ、いつかやると思ってたぜ」
俺、佐藤航は、自席で教科書を広げながら、周囲の噂話をBGMとして聞き流していた。
窓の外は快晴。平和な朝だ。
昨日の泥沼の撤退戦が嘘のようである。
「ねえ、でも昨日のボス……誰が倒したの? 先生たちも見てなかったんでしょ?」
「北条凛様だろ? あの人、最後に『私がやりました』って顔してたし」
「だよなー。Fランクの佐藤たちが無傷だったのも、凛様の結界に隠れてただけらしいぜ」
(……よしよし、その認識で正解だ)
俺は心の中でガッツポーズをした。
凛が提出した監査ログは完璧だったが、俺は事務局に手を回し(というより泣きついて)、公式記録上の功績者を北条凛に書き換えてもらったのだ。
俺の評価は運搬および後方支援。Fランク相応の、実に目立たない記述に収まっている。
「……航くん」
背後から、熱っぽい視線を感じる。
振り返らなくても分かる。凛だ。
彼女は今朝からずっと、俺の背中を穴が開くほど見つめている。
「(……今日の授業終わったら、あの構造解析の数式について問い詰めないと……)」
聞こえてますよ、心の声が。
隣の席のカイは、面白そうにニヤニヤしながら俺を見ている。
やれやれ、これだから現場を知らないエリートと勘の良すぎるゲーマーは扱いづらい。
その時だった。
『ピンポンパンポーン』
教室のスピーカーから、無機質なチャイムが鳴り響く。
『業務連絡。1年A組、佐藤航。至急、本校舎最上階、理事長室まで来なさい』
教室の空気が凍りついた。
「おい……理事長室だってよ」
「あいつ、ロイド先生を告発したから、報復されるんじゃね?」
「うわぁ、退学か? かわいそー」
憐れみと好奇の視線が一斉に突き刺さる。
俺はため息をつきながら立ち上がった。
(……チッ。あの報告書が効きすぎたか? まあいい、不当解雇なら労基署に駆け込むまでだ)
俺は覚悟を決め、鞄を持って教室を出た。
◇
理事長室の扉は、重厚なマホガニー製だった。
ノックを3回。
「失礼します。佐藤航です」
「……入りたまえ」
中に入ると、そこは別世界だった。
壁一面の本棚、ふかふかの絨毯。そして、部屋全体に漂う古書と高級茶葉の香り。
執務机の奥に座っていたのは、長い白髭を蓄えた老人――この学園の理事長であり、大賢者と崇められる男だった。
「座りなさい」
「失礼します」
俺は革張りのソファに腰を下ろした。
対面のローテーブルには、既に湯気を立てる紅茶が用意されている。
「単刀直入に聞こう。……ロイド・バグウェル教諭の件だ」
理事長が鋭い眼光を向けてくる。
ただの老人ではない。その瞳の奥には、底知れない魔力が渦巻いている。
「彼から提出された報告書と、君が出したヒヤリハット報告書。……内容が食い違っておる」
「そうですか。俺は見たままの事実を書いただけですが」
俺は表情を崩さずに答えた。
「ロイドは『突発的な事故』と主張している。だが君は『人災』だと断定した。……そして、あのボス個体の死体検分結果も興味深い」
理事長が一枚の写真をテーブルに滑らせた。
それは、奈落の底で回収されたギガント・モールの死体写真だった。
「外傷ゼロ。魔法による火傷もなし。死因は落下による全身打撲。……だが、奇妙なことに、奴が立っていた床の断面が、まるで鏡のように滑らかだったそうだ」
「……はあ」
「魔法で焼いたのではない。物理的な衝撃で、岩盤の分子結合を一瞬で解いたような……そんな神業の痕跡だ」
理事長の目が、俺の心を覗き込むように細められた。
「佐藤くん。……君は一体、何をした?」
張り詰める空気。
ここで「俺がやりました」と言えば、英雄コース確定だ。
だが、それは同時に平穏な学園生活の終了を意味する。
俺は肩をすくめた。
「……偶然ですよ」
「偶然?」
「ええ。ロイド先生の爆発で、床に亀裂が入っていたんです。俺は逃げるために、そこを少し突っついただけです。そうしたら、運良く崩れて……敵が落ちていった。それだけです」
「……ほう」
「あの断面も、元々あった断層でしょう。……俺みたいなFランクに、そんな芸当ができるわけないじゃないですか」
俺はただの無力な学生を演じきった。
理事長はしばらく俺の目をじっと見つめていたが、やがて「ふっ」と笑い声を漏らした。
「……なるほど。偶然か。君の周りでは、随分と都合の良い物理現象が起きるようじゃな」
バレている。
完全に、俺が実力を隠していることを見抜いている目だ。
だが、この狸親父はそれを暴こうとはしなかった。
「よかろう。ロイド教諭は更迭する。君の報告書通り、管理責任を問う形だ」
「……賢明なご判断かと」
「その代わり――君には一つ、仕事を頼みたい」
理事長が引き出しから、一枚のカードキーを取り出した。
金色のチップが埋め込まれた、特殊なIDカードだ。
「これは?」
「『特別校務員』の認証キーだ。……君には、学園内の設備点検および、ダンジョンの保全活動を許可する」
「……保全?」
「君のように建物の急所が見える目は貴重だ。……生徒たちが壊した設備を、裏でこっそりと直してほしいのだよ。もちろん、相応の報酬は出す」
俺はカードキーを見つめた。
要するに、用務員さんだ。
だが、これは悪い話ではない。この権限があれば、立ち入り禁止区域に入り込み、危険な箇所を勝手に修理できる。
自分の身を守るためにも、学園の安全管理を支配できるのは都合がいい。
「……残業代は出ますか?」
「ふふっ、もちろんだとも」
「なら、お引き受けします」
俺はカードキーを受け取り、ポケットにしまった。
これが、俺とこの古狸との共犯関係の始まりだった。
◇
「失礼しました」
理事長室を出た頃には、窓の外は夕焼けに染まっていた。
廊下には誰もいない。放課後の静寂が、心地よく響く。
「……ふぅ。とりあえず退学は免れたか」
俺はネクタイを緩め、大きく息を吐いた。
どっと疲れが出た。やはり、管理職との面談は精神を削られる。
「今日は直帰して、寝るか……」
そう呟いて、階段へ向かおうとした時だった。
ザザッ……!!
「……っ!?」
不意に、視界が歪んだ。めまいではない。
俺の『保全管理の眼』が、異常なノイズを検知したのだ。
視界の端に、赤い警告ウィンドウがポップアップする。
> [WARNING] 外部アクセス検知
> [ALERT] 権限昇格リクエスト:From "Admin_Estia" & "Admin_Lilith"
「は……?」
Admin(管理者)?
なんだそのふざけたユーザー名は。
キィィィィン……!!
耳鳴りと共に、廊下の空間がテレビの砂嵐のように乱れ始めた。
そのノイズの向こうから、二つの「影」が浮かび上がる。
一つは、太陽のように輝く金髪の少女。
もう一つは、夜空のように深い銀髪の少女。
どちらも、人間離れした美貌を持っているが、その存在感は生物のそれではない。膨大な情報量の塊だ。
『……見つけた……』
『……やっと繋がったわ……』
脳内に直接、声が響く。鼓膜を通さない、精神感応による強制割り込みだ。
『あぁ、私の可愛いバグ……!』
金髪の少女――秩序の神、エスティアの幻影が、恍惚とした表情で俺に手を伸ばしてくる。
『ワタル……私の管理者……! 貴方だけが、私を……!』
銀髪の少女――混沌の魔神、リリスの幻影が、妖艶な笑みで俺に抱きつこうとしてくる。
神聖さと狂気が入り混じった、感動的な邂逅シーン――に、見えるかもしれない。
だが、俺の感想は違った。
「うわ、なんだこの高負荷パケットは」
俺は顔をしかめた。
脳の処理領域がいきなり100%に張り付くような、不快な圧迫感。
これはまさに、サーバーダウンを狙った悪質な攻撃そのものだ。
「誰だか知らんが……人の脳内に、スパムメールを送りつけてくるんじゃねえ!」
俺は即座に、脳内で精神統一をした。
イメージするのは、強固な遮断壁。外部からの不正アクセスを弾く、鉄壁のセキュリティ・ゲートだ。
「……受信拒否。ついでに通知オフだ」
俺は空間に浮かぶ幻影に向かって、スマホの画面をスワイプするように手を振った。
「――消えろ」
バチィッ!!
俺の手が、空間のノイズを物理的に払い除けた。
『え……?』
『ちょ、待って!? 切らなでぇぇぇ!』
神々の悲鳴が聞こえた気がしたが、構わず切断する。
プツン。
唐突に、静寂が戻った。
廊下には、夕日が差し込むいつもの風景があるだけだ。
ノイズも、幻影も、警告ウィンドウも、全て消え失せた。
「……ふぅ。最近の勧誘はホログラムまで使うのか。油断ならんな」
俺は額の汗を拭った。
どこの宗教勧誘か知らないが、許可なく人の視界に割り込むなど、プライバシー侵害も甚だしい。次に来たら、特定商取引法違反で通報してやる。
「……腹減ったな」
俺は何事もなかったかのように鞄を持ち直し、再び歩き出した。
今度こそ、平和な寮へ帰るために。
だが、俺は気づいていなかった。
窓の外、夕焼け空に浮かぶ月が――いつの間にか「二つ」に増え、不気味に瞬いていることに。
神々からの迷惑メールは、まだ始まったばかりだったのだ。
今週もお疲れさまでした!
来週からは毎日1話の更新になります。




