第1話: その「神の怒り」は、ただの設備不良(ゼロ点ズレ)です
初めまして。異世界に行っても定時で帰りたい現場監督のお話です。
それでは皆様、本日もご安全に!
「――オオオオオオオ!! 見よ! これぞ神聖なる選別の光だ!」
講堂が揺れていた。比喩ではなく、物理的に。
新入生が集められた王立学園の大広間。中央に鎮座するのは、巨大な黒曜石の板――『神のモノリス』だ。
普段は静謐な輝きを放つそれが、今はどす黒い赤光を撒き散らし、吐き気を催すような低周波を放っている。
周囲のエリート生徒たちは恐怖に顔を引きつらせ、教師たちは「素晴らしい反応だ! これぞ数十年に一度の神威だ!」と狂喜乱舞して祈りを捧げている。
だが、俺――佐藤航(中身は35歳・元施工管理技士)の目には、まったく別の光景が見えていた。
「……うるさいな。低周波振動が、環境基準値超えてるぞ」
俺は眉をひそめ、そっと耳を塞いだ。
視界の隅に表示されている、俺にしか見えない半透明のウィンドウ――ユニークスキル『保全管理の眼』が、けたたましいアラートを吐き出しているからだ。
> [WARNING] 内部温度上昇:閾値限界
> [ALERT] 魔力回路:熱暴走進行中
> [TIME] 爆発による講堂崩壊まで:残り32秒
「神の怒り? ……バカ言え。ただの過負荷による熱暴走だ」
原因は明らかだ。
俺の前に並んでいた金髪の男――たしか王弟派の筆頭とかいうエリート貴族か。そいつが「僕の才能を見せてやる!」と意気込んで、定格容量を無視した魔力をモノリスに叩き込んだせいだ。
古い分電盤に、工場の高圧電流を直結したようなもの。
回路が焼き切れる寸前の悲鳴を、こいつらは神威だとありがたがっている。無知とは罪だ。
(やれやれ……。このままだと爆発事故に巻き込まれて、俺の入学初日は『死亡』で終わる。再就職のための学歴がパーだ)
チラリと腕時計を見る。時刻は10時14分。
工程表通りなら、あと1分で俺の検査が終わっているはずだった。
定時退勤のためには、このトラブルを処理するしかない。
「おい! 何をしている貴様! 平民が祭壇に近づくんじゃない!」
教師の怒鳴り声を無視して、俺はスタスタとモノリスへ歩み寄った。
熱波が肌を焼く。普通の生徒なら、この魔力圧だけで気絶しているだろう。
だが、俺には効かない。
前世で散々味わった「工期3日前のデスマーチ」のプレッシャーに比べれば、こんなものはそよ風だ。
それに――。
(視界良好。……見えた、物理的脆弱性)
俺の視界の中で、暴走するモノリスの右側面、高さ140cmの地点に、赤いマーカーが点灯した。
FPSゲームでよく見る弱点の表示。
だが、それは敵を倒すためのものではない。筐体の歪みを正し、回路の接触を正常化するための打撃修正ポイントだ。
「き、貴様! その神聖な御石に触れるな! 灰になるぞ!」
「あー、すいません。すぐ終わるんで」
俺は腰の工具ポーチから手袋を取り出した。
昨日、学園都市の裏路地にある資材屋で買っておいた安物だが、絶縁用のゴム手袋の上から、保護用の革手袋を二重に装着する。
現場の基本だ。
モノリスの前で立ち止まる。振動は激しさを増し、ブーンという唸り声が耳をつんざく。
俺は軽く息を吐き、右手を握りしめる。
魔法なんて使う必要はない。必要なのは、適切な角度と、適切な衝撃。
昭和のテレビも、異世界の古代遺物も、直し方は変わらない。
「……ここだっ!」
ガガンッ!!
俺の拳が、モノリスの側面を鋭く叩いた。
いわゆる衝撃法。
俗に言う、叩いて直すというやつだ。
一瞬の静寂。
直後、講堂を支配していた不快な振動が、嘘のように消え失せた。
赤黒い光は急速に収束し、モノリスは冷ややかな黒曜石の輝きを取り戻す。
> [SYSTEM] 冷却完了。回路接続:正常。
> [RESULT] 再起動プロセス……完了。
「ふぅ……。よし、振動停止。熱源反応なし」
俺は額の汗を拭い、小さく頷いた。
危ないところだった。あと3秒遅れていたら、講堂の天井が落ちていただろう。
これで安全確認よし。
俺は満足げにモノリスの表示盤を見上げた。
そこには、再起動直後のシステムメッセージが、古代魔導語で赤く表示されている。
『測定できません』
まあ、そうなるよな。
暴走直後に叩いて強制リセットしたんだ。ログが飛んで、まともな数値が出るわけがない。
俺にとっては修理完了のサインだ。
だが――周囲の反応は違った。
「……え?」
「光が……消えた?」
「『測定不能』……? ゼロってことか?」
ざわめきが、次第に嘲笑へと変わっていく。
「おい見ろよ! あいつ、魔力測定ですら反応しなかったぞ!」
「測定不能って、魔力ゼロの『石ころ』以下ってことかよ!」
「神具を殴って壊したんじゃないか? 野蛮な平民が!」
(……なるほど。そう解釈するか)
俺は心の中で苦笑した。
彼らには、俺が暴走を止めたのではなく、「才能がなさすぎて機械が反応しなかった」あるいは「乱暴に扱って壊した」ように見えているらしい。
好都合だ。
英雄なんて目立つ称号をもらったら、面倒な特別任務が増えるだけだ。
無能のレッテルを貼られて窓際にされるほうが、スローライフには都合がいい。
「……次の方、どうぞ」
俺は呆気にとられる教師たちに一礼し、無能らしく肩をすくめて舞台を降りた。
背後で、エリートたちが「ギャハハ! ゴミが!」と指差して笑っている。
どうぞ笑え。君たちの命を救ったのは、そのゴミの殴打だけどな。
ただ、俺は一つだけ誤算をしていた。
講堂のはるか上空、人間の知覚できない領域で、二つの意思が戦慄していることに。
『……ウソ。私のバグが、消えた?』
『あんなに熱くて苦しかったのに……。あの人間、私のシステムを物理的に治しちゃったの……?』
神エスティアと、魔神リリス。
この世界を管理する二つのシステムが、初めて「特定の個人」を認識し、そのログを深く刻み込んだ瞬間だった。
「……さて。これで午後のガイダンスまでは自由時間か」
俺は騒がしい講堂を背に、校舎裏のベンチへ向かった。
購買で買った缶コーヒーもどきでも飲もう。もちろん、砂糖はたっぷりと入れて。
本日の業務(第1話)は終了です。次回、さらに周囲の勘違いが加速します。




