EP 1
女神の定時退社と、ウサギの「メッ!」
俺、月田陽太、25歳。
職業、ホームセンター『ドリーム・ビルド』の正社員。
最後の記憶は、店舗のトイレだ。
三日間家に帰らず、クレーム処理と棚卸しに追われた果てに、個室で用を足した瞬間のことだった。
便器が真っ赤に染まったのを見て、「あ、これヤバい」と思ったのが最後。
激痛と共に意識が飛び、俺の人生は幕を閉じた。過労死だった。
――はず、なんだけど。
「はいはい、次の方ー。……うわ、顔色悪っ」
目が覚めると、そこは真っ白な事務室のような場所だった。
目の前にいるのは、パイプ椅子にだらしなく座り、安っぽいジャージを着てタバコを吹かしている女性。
足元は健康サンダル。手元にはクリアファイル。
神々しさのカケラもないが、背後から漏れ出るオーラだけはやたらと凄まじい。
「えっと……ここは?」
「ここ? 魂の選別所。で、私が女神ルチアナ」
女神と名乗ったジャージの女性は、面倒くさそうに煙を吐き出しながら書類に目を落とした。
「おたくは……月田陽太君かぁ。ホームセンター勤務で過労死。血尿出しながら孤独死とか、絵に描いたような社畜ねぇ」
「ぐっ……返す言葉もありません」
「で、魂の査定結果だけど。苦労した分、次は幸せになりましょうねーってことで、異世界転生の枠が空いてるわ。ハイハイ、テンプレ異世界転生、テンプレ」
ルチアナ様は棒読みでそう言うと、チラリと腕時計を見た。
その瞬間、彼女の顔色が変わる。
「やばっ! もうこんな時間!?」
「え、あ、あの?」
「ごめんね君! 私、これから魔王のラスティアちゃんと合コンなの! 遅刻したらアイツ、ブラックホールで店ごと消し飛ばすから急がないと!」
女神はガタタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
え、女神が魔王と合コン? 世界観どうなってるの?
「あーもう、チートスキルとかじっくり考えてる暇ないわぁ。……あ、これでいいや」
ルチアナ様は机の上にあった棒状のものを掴むと、俺に押し付けてきた。
それは、どこからどう見ても――
「……孫の手?」
「そうそう、背中掻くやつ。名前は【雷霆】。使い方は本人に聞いて!」
「えっ、本人!?」
「じゃっ、私は定時に帰るから! 君も適当に頑張って!」
女神は俺の背中をドンッと蹴り飛ばした。
「うわあああああああ!?」
視界が歪む。
最後に見たのは、ジャージのポケットからスマホを取り出し、「もしもしラスティア? 今終わった! すぐ行く!」と電話しながら走り去る女神の背中だった。
◇
気がつくと、俺は鬱蒼とした森の中に立っていた。
風の音。木々のざわめき。どうやら本当に異世界に来てしまったらしい。
手には、さっき渡された「孫の手」が一本。
「……ふざけんなよ、あの女神」
俺は思わず孫の手を地面に叩きつけそうになった。
その時だ。
『やれやれ。我が主が、貴様のような優男とはな』
脳内に、ド渋いバリトンボイスが響いた。
俺は慌てて周囲を見回す。誰もいない。視線を落とすと、手の中にある孫の手が微かに震えていた。
「え……まさか、喋ってる?」
『いかにも。我が名は【雷霆】。神や魔王をも殺せる伝説の武具だ。……まあ、今は孫の手だがな』
「マジかよ」
『まあ良い。我が鍛えて最強の男にしてやろう。さあ、貴様はどんな武器が望みだ? 剣か? 槍か? それとも大砲か? 文字通り、何でもなってやるぞ』
雷霆は自信満々に言った。
神殺しの武器。もしそれが本当なら、この過酷そうな世界でも生き抜けるかもしれない。
だが、俺は首を横に振った。
「いやいや、俺は平和主義だっての。争い事はこりごりだよ」
『欲のない奴め。……む? そら、お客だぞ』
ズシン、ズシン、と地響きがした。
森の奥から現れたのは、身長三メートルはある巨大な鬼――オーガだ。
太い金棒を引きずり、充血した目で俺を睨んでいる。
「グガァァァァッ!!」
「ひぃっ!?」
『おい主! 悠長なことを言っている場合か! 武器をイメージしろ! 殺るぞ!』
「む、無理無理無理! 俺、昨日までレジ打ちと品出ししかしてないんだぞ!?」
オーガが金棒を振り上げた。
死ぬ。
二度目の死が、こんなにあっけなく訪れるなんて。
俺はギュッと目を閉じた。
「――危ないっ!」
鈴を転がすような、凛とした少女の声が響いた。
直後、ガキィィィン!! と金属音が炸裂する。
恐る恐る目を開けると、俺とオーガの間に、小柄な影が割り込んでいた。
手にしたダブル・トンファーで、自分より遥かに巨大なオーガの金棒を受け止めている。
「だ、誰……?」
長い白銀の耳。丸い尻尾。
ウサギ……獣人の女の子?
彼女は金棒を弾き返すと、ふわりと宙へ跳躍した。
「もう! 弱い者いじめしちゃ、駄目だよ~?」
空中で一回転。
彼女の足元――無骨な鉄芯入りの安全靴が、キラリと光った。
「月影流奥義! 顎砕き(ジョー・ブレイカー)ッ!」
ドガァァァァァン!!
月下の元、彼女の膝蹴りがオーガの顎を完璧に捉えた。
岩を砕くような音が響き、巨体のオーガが木の葉のように吹き飛んでいく。
ズズーン……とオーガが地面に沈み、動かなくなった。一撃だ。
「ふぅ。……大丈夫?」
彼女はスタッと着地すると、トンファーを腰に収めて俺に近づいてきた。
大きな瞳。透き通るような肌。
パーカーにショートパンツというラフな格好なのに、この世の者とは思えないほど可愛い。
「き、君は……?」
「私? 私はキャルル。……君、人間だよね?」
キャルルと名乗った少女は、俺の顔を覗き込んだ。
そして、俺が転んだ拍子に擦りむいた膝に気づくと、眉をハの字にして頬を膨らませた。
「もう。こんな危ない所に来ちゃ――」
彼女は人差し指を立てて、俺の鼻先に突きつけた。
「メッ! だよ~?」
「――ッ!?」
ドキン、と心臓が跳ねた。
なんだその破壊力抜群の叱り方は。オーガより心臓に悪い。
キャルルはポケットから、ファンシーな人参柄のハンカチを取り出すと、俺の膝の傷を優しく拭ってくれた。
そして、聖母のような笑顔を向ける。
「うん、これで良し。……痛くない?」
「は、はい……!」
俺、月田陽太、25歳。
異世界に来て五分で、ウサギ耳の美少女に一目惚れしました。
『……おい主よ。心の声がダダ漏れだぞ』
手の中の孫の手(雷霆)が呆れたように呟いたが、今の俺には天使の姿しか見えていなかった。




