77話 毒殺
大広間の空気は重く沈み、誰一人として言葉を発しようとはしない。石造りの壁が冷気を吸い込み、蝋燭の火がほのかに揺れている。実家の城の大広間――最近はここで会議をすることが増えた。正直、あまり来たくはないのだが、次兄が「どうしても」と言うので渋々足を運んでいる。
席順は前回と同じ……ではない。上座に王子と王女。次席にパパ、長兄、次兄。対面にはママと姉。そして俺は、いつもの“特等席”だ。
「今こそ好機なのではないですか?」
王女が勢い込んで口を開く。だが、誰も同調しなかった。
「お兄様?」
王子が静かに応じる。
「たしかに――勇者が倒れたのは事実だ。だが、死んだわけではない。今は回復中だと聞く。好機と見るのは早計だろう」
王女が小さく肩を落とす。
今朝、砦衆の諜報部門からある情報がもたらされた。
”勇者が毒殺された”
それを受けて、こうして全員が招集されたわけだ。詳細を聞けば、勇者は死んではいなかったという。
話を整理するとこうだ。朝、勇者とその取り巻きの女たちがいつものように朝食を取り、寝室へ戻った。その直後、寝室から悲鳴が上がり、兵士たちが駆けつけると――勇者と女性の一人が吐血して倒れていた。
女性は死亡。勇者は激しく苦しんだが、命を取り留めた。調べの結果、朝食に毒が盛られていたらしい。料理を担当した者たちは、全員処罰されたという。
「ひどい話ですわね……ですが、侯国も一枚岩ではないという証明ではありませんか?」
ママが王女を気遣うように声をあげた。
「その通りだ。王都奪還も遠い未来ではないかもしれない」
と、パパ。長兄も頷いている。王子と次兄は黙ったままだった。
結局、王子の結論は「現状の情報では動けない」――で終わった。会議というより雑談だ。俺が呼ばれる意味があったのか? 文句を言いたくなったが、口には出さなかった。
遠出の口実ができたと思えばいい。髭の館か砦にでも顔を出そう。なんでも文句ばかり言っていてはせっかくの一日が台無しになる。
「三若」
突然呼び止められ、振り返るとママが立っていた。
「元気そうですね。北町はどうですか?」
「悪くないよ。まあ、まだまだだけど」
「そうですか」
気まずい沈黙が流れる。ママも俺にどうやって話かければいいのかわからないのだろう。気持ちはわかる。最後にまともに話したのは――幽霊屋敷へ移るよう命じられたときだ。その前は……うさ耳虐待現場だ。そりゃ距離もできる。
「なにか話があるなら立ってないで部屋にでも行く?」
「……っ!? そ、そうですね。でも……」
「商人からお勧めされた茶葉をお持ちしております。良い機会ですので、奥様にもご賞味頂くのはいかがでしょう?」
うさ耳がすっと前に出て茶を勧める。この娘……気が利くな。
「ああ、この前のやつか。持ってきていたのか」
「はい。奥様とお嬢様もお喜びになるかと思いました」
「北方の商人ですか?」
「はい、お口に合うと良いのですが……」
「ありがとう。では、頂こうかしら」
うさ耳とママが良い感じに話を進めてくれた。
俺の部屋へと移動し、うさ耳がお茶を入れてくれた。
「良い香りがするのね。何の匂いかしら?」
「西の土地から仕入れた茶葉と聞いております。体が温まり、疲労回復にも良いとか」
「まあ、そうなのですね。最近では多くの物が入ってくるのでお茶一つを取っても驚きばかりです」
「ご主人様の御力で多くの特産品が集まっております」
「そうですね。この辺りも大きく変わりました。……そして王都も」
ママは手に持ったお茶をじっと見つめ、やがて意を決したかのようにこちらを見つめてくる。
「王子殿下は……王都はどうなりますか? 先ほどの報告では侯国は混乱しています。この機会に王都奪還は現実のものとなりますか?」
縋るような眼だ。息子に見せるような眼ではないだろう。それほどまでに悲観しているのだとわかる。
「当分は無理じゃない?」
勇者毒殺事件はたしかに大事件だ。だが、実際のところ勇者は死んではいない。これが何を意味するのかというと……あまり良い結果にはならないと思う。
「勇者はどういう存在だと思う?」
頭の中を整理するように、自分に問いかけるように呟いた。
「伝説の御方なのではないでしょうか?」
うさ耳が困惑したように言い、ママは黙って聞いている。
「もっと現実的な所だ。最強か? 最強だとしたらどれぐらい最強だ」
「帝国を退け、王都を一人で落としたのですから、まさに最強という名が相応しいかと」
「そうだな。では、どうすれば殺せる?」
二人が息を飲んだ。
「正面からは無理だ。なら、寝ているときに首を落としたら? あるいは毒だ。今回は毒を盛られた。そして死ななかった。死ななかったのは毒が効かないからか? それとも、すぐ近くに腕のいい治癒士がいたからか?」
可能性は二つある。一つはなんかよくわからない加護があるパターンだ。毒無効とか。もう一つは、たまたま助かった可能性。ただ、報告では苦しんだが助かったとあった。加護は無い可能性が高い。分からんな。ステータスオープンさせてくれ。やり方知らないけど。
「俺は魔法抵抗がないらしいからな。即死だろうな」
苦笑まじりに言うと、二人が心配そうに顔を見合わせた。
「むしろ問題はここからだ。懸念が現実になる」
「懸念……ですか?」
ママが心配そうにこちらを見る。
「勇者は死なないことが分かった。だが、周りは死ぬ。今回は“側にいた女”が死んだ。次は別の誰かだ。勇者がどこまで耐えられるか、だな」
勇者はどんなに嫌われようと命の危機とは無縁だろう。だが、周りは違う。護り切れるか?
「耐えられなくなったら……?」
「誰も勝てない奴が暴走することになる」
もし、勇者にとって大切な人が死んだら……たかが十代の子供がそんな事実を受け入れられるか? 恐らく受け入れられないだろうな。殺した奴だけじゃない、この世界を憎む可能性がある。もう、王家がどうとかって問題じゃない。勇者が魔王堕ちという未来は十分考えられる。
「そうなったら……」
ママは蒼褪めている。最悪の未来を想像したのだろう。俺も同じだ。最悪の未来しか想像できない。
「そうなる前に確実に勇者だけを殺すしかない。周りに被害が出て自暴自棄になんてなられたら地獄だ」
噂を流したのは軽率だったかもしれない。毒を盛った者――その背後を突き止める。止められるなら止める。あるいは、先に動く。勇者に近づき、“味方”として擦り寄る手もある。
考えながら顔を上げると、二人が真剣な面持ちで俺を見つめていた。
「砦衆を呼ぶか」
「何か案があるのですか?」
「わからないけど、このまま見ているだけにはいかなそうだ」
「そうですか……無理はしてはいけませんよ?」
ママの気遣いが心にしみた。なんだかんだ言っても家族なのだ。心配してくれるのは嬉しい。
「あなたには……いろいろと、辛い思いをさせましたね」
柔らかな声に、うさ耳の肩がわずかに震えた。
「本当は、もう少し穏やかな日々を送ってほしいのです。あなたのような子は……他にも道はあります」
ちょっと待ってほしい。ここでその話を持ち出すのか? 俺の封印されし歴史を。やっと記憶から薄れかけてきたというのに――。
「その必要はありません」
うさ耳が、静かに首を振った。
「私はこの御方の傍におります」
ママは驚いたように息を呑み、やがてふっと目を伏せた。
「……そう。わかったわ。この子をお願いね」
何をお願いするのだろうか。
俺の傍から離れられる千載一遇の機会だったのでは?
うさ耳は━━俺をまだ許していないという事か。




