76話 雪館
城館に近い歓楽町の一等地、白い息が霞む通りに――“雪館”はあった。
完成に半年を要した注目の屋敷。途中から追加投資が入り、人足を倍にして急ピッチで仕上げたらしい。金と人を惜しまず注ぎ込んだ結果だが、第一印象は「現実感のない建物」だった。
白漆喰の外壁は光を吸わず、淡く返す。陽を受けるたびに輪郭が揺らぎ、見る角度で表情を変える。まるで光そのものが踊っているようだ。
扉をくぐると、内側はさらに静かだった。厚い絨毯が足音をすべて呑み込み、香の煙が細く漂う。青白い灯りが壁に反射し、まるで雪明かりのように空間を包んでいる。
ここで気が付いた。これは間接照明だ。光源が直接見えない位置に配置され、壁と床に淡く反射させている。俺にとっては見慣れた“洒落た照明手法”だが、この世界では初めて見る。
案の定、後ろにいるうさ耳はこの光景に息をのんでいる。
「まるで、氷の中にいるかのようです」
「すごいな」
光は温かいのに、空気がどこか冷たい印象を受ける。息をするたび、館そのものが淡く震える気がした。雪館という名前は、伊達じゃないらしい。
「おお、これはこれは。わざわざご足労お掛けしましたな。ようこそ、おいで下さいました」
正面から恰幅の良い商人が、雪のような白布の袖を揺らして現れた。かつて俺に“娼婦とは”を熱弁した、あのやばい商人だ。
「完成したようだな」
「はい、おかげ様で。ささ、立ち話はいけません。お連れの方々も、どうぞごゆっくり。――おい」
商人が近くの使用人に合図をする。だが、商人の視線が俺の背後に向いたのを俺は見逃さなかった。眼の色が変わった。そりゃそうか。今日、ここに来たのは俺だけではない。
「これほどとは……王都でも、ここまでの屋敷は見かけぬな。見事だ」
「幻想的ですな」
王子と長兄が、珍しい物を見るように辺りを見回す。警護としてハゲ頭たちも控えている。――王族が歓楽町に来るな。
「弟よ。ここは娼館と聞いたが……」
「らしいね。いろいろとこだわりがあるみたいだし。照明も凝ってるし、“儚さ”とか“癒し”を体現したい感じなのでは?」
「はっはっはっ! さすがは夜旦那様。お若いですが、その審美眼……感服致しました」
商人が恭しく頭を下げる。正直怖い。かつて王都で出会った厭味ったらしい商人とは違う怖さがある。
その時、奥から足音が響く。鈴の音のように軽やかで、消え入りそうに小さい。現れたのは数名の女たち――まるで雪解けの中から生まれたような姿だった。
「ご紹介致しましょう。当方の花形を勤める花灯とそれを支える陰花共でございます」
ひと際、美しい女が一歩前へ出る。整った顔立ち。だが、その微笑みの奥に、影がある。ここでは働く女を“花灯”と呼ぶらしい。
三名の花灯はいずれも、雪のような肌と花のような美しさを備えていた。不思議なことに、肌の露出は少ない。それなのに、ひどく艶っぽい。肩の動き、視線の流し方、指先の止め方――その全てが計算されていて、それでいて痛いほど静かだ。娼婦というより、“雪の妖精”とでも言うべき存在だった。
「ご案内しなさい」
商人の言葉に、花灯たちはまるで風に揺れる花のように動き出した。一人が通り過ぎるたび、微かに香が揺れる。それは甘くも冷たい、まるで雪が溶ける瞬間の匂いのようだった。
花灯の中にも序列があるようだ。中央に立つ女性が最上位。その脇に控える二人が次席と三席――どちらが上かは分からない。俺から見れば、いずれも変わらず美しい。
「遠き道をお越しくださり、さぞお疲れのことでしょう。どうか、今宵ばかりは外の喧噪をお忘れになり、静かな雪明かりの中でお心をお休めくださいませ」
花灯たちが王子の前に立ち、その手を取り、声を紡ぐ。王子でさえ少し硬い表情を見せた。貴族令嬢相手に慣れた男でも、こういう艶は免疫がないのだろう。気持ちは分かる。
「さあ、お疲れでしょうから、ご案内して差し上げて」
その言葉と共に左の花灯が王子の手を取り、静かに奥の間へ消えていく。続いて長兄の前に進み出た。
「日々この地を見守られるお立場、さぞご多忙と存じます。どうか今宵はその重きをひととき雪に預け、安らぎのひと時をお過ごしくださいませ」
微笑む花灯に、長兄は完全に鼻の下を伸ばしていた。ちなみに今日は挨拶だけだから、変な事を期待しても無駄だぞ。それにしても王子も長兄も、男の俺から見ても整った顔立ちだ。それでもこの体たらく。……いや、仕方ない。彼女たちは「女の艶」の完成形だ。
更に驚愕すべきは俺たちを一目見て序列を理解していることだ。話しかける順番も間違ってない。王子、長兄と順を追って声をかけている。でも、ほどほどにしておいてほしい。王家が風俗通いとか洒落になってない。
残された俺の前に花灯が立つ。
「この雪館にとっての“主”をお迎えできるとは――何よりの誉れにございます。夜旦那様のお手で紡がれたこの場所に、今宵また新たな息が宿りました。この地の雪が、主様の御心を静かに映せますように」
恭しく礼を取る花灯に思わず苦笑が漏れそうになる。決して馬鹿にしているわけではない。これはあれだキャバクラだ。超高級志向クラブと言ったほうが良いかもしれない。こういった形の商売はこの世界では見たことがない。下手をすればキャバクラですらないだろうな。むしろ吉原の花魁みたいなものか。”通えば買えるもんじゃない”とか、なんとか。
「なるほど。単に春を売るではなく、芸と品を売るか」
「ご不満ですか?」
「いや、良いと思う。いずれは“花灯に名を覚えられる”ことが、価値になるだろう」
花灯は少し驚いたように目を見開き、それから静かに微笑んだ。
「あまり、俺の連れを弄ぶなよ。城にいる美しい淑女の方たちの機嫌を損ねることになる」
「これは、大変失礼しました。今後のお付き合いを考えればこそですな」
商人が笑い、花灯は口元を隠した。




