72話 亀裂
早朝の霧がまだ残る中、北町を離れ、実家の城へ向かう。馬車の車輪が土を踏む音がやけに澄んで聞こえた。北町は大きく変わってはいるが、変わり方という意味では実家の方が変化は大きい。馬車に乗り一時間ほどでその変化が見えてくる。
「このあたりもだいぶ変わりましたね」
うさ耳の言葉に犬耳が頷く。
「昔と違い、村というよりも町に近いのではないでしょうか?」
と、委員長。
まさにその通りだ。小川を渡ると、見慣れぬ家々が並んでいる。以前、このあたりは風しか通らない森の入り口だったはずだ。それが今では、畑と柵に囲まれた“人の領域”になっている。更に言えば砦周辺も大きく変わっている。かつて森だった場所が、もう森ではない。
昔は村から森に入り、小川を挟んで森は更に深みを増していた。だが、その小川まで至る道は森ではなくなっている。人の増加に伴い、土地の確保のために開拓されている。
村の中央も様変わりしていた。商人たちが土地を買い、屋敷を建て、周囲の家まで立て直されている。あの頃の“村”の面影はもうない。昔から住んでいる村人たちはどうなったのかというと、この発展の影でちゃっかり家を建て直している者が多い。
金のある者が村を変えているだけではない。昔からの住人たちも、この流れにうまく乗って家を建て直している。つまり――金が流れている。人が動き、物が動き、村が息づいているのがわかった。
前回の訪問からどれぐらい経ったのだろうか、一か月は経っていないような気もするが、どこか懐かしい実家の城が見えてくる。城門をくぐり広場へと入る。ここは良い意味で変わっておらず昔のままだ。礼拝所の前では、既に市場の準備が始まっていた。木箱が開かれる音、大人たちの会話、子どもの笑い声。人の数が、確かに増えている。
馬車が石畳の上で小さく軋み、玄関前で止まった。冷えた朝の空気が一気に流れ込み、吐息が白く散る。先に降りた三人の使用人が整列するのを見届けてから、俺もゆっくり立ち上がった。
大広間は家族の食事でも使われるが、家族の集まりやこうした重要な会議でも利用される。
長テーブルの並びは、昔から決まっている。上座にパパ、その脇にママが座り、隣が姉。対面に長兄と次兄。そして少し離れたところ――俺の“特等席”だ。変わる物もあれば変わらない物もある。そう、変わらない光景がそこにはあるはずだった。
……だった、のだが。
一歩、部屋に足を踏み入れた瞬間、違和感に足が止まる。俺の席に、王女が座っていた。
「三若様。こちらへどうぞ」
城の使用人が俺を奥へと案内しようとする。まず目に入ったのは、空の上座だった。パパの椅子も、ママの椅子も空いている。……おかしい。その隣、本来長兄がいるはずの場所には次兄が座っている。パパとママが下座――いや、下座? しかもその横に王子と王女。さらに姉、長兄までそちら側。
……いや、なんで?
上座にいるの、次兄だけじゃねえか。
「ここだ」
次兄が俺を見て対面の席を指出した。
いやだと言うわけにもいかず、渋々と次兄の対面に座った。
「本来、北町でやってることだが、今日はここを使わせてもらう」
次兄が部屋を見渡し言う。その視線を追うと下座に座る家族と王子、王女。そしてさらに壁際に立つ砦衆たちや兵士の姿も目に入った。次兄の後ろには相談役と部隊長が立ち、俺の背後にはうさ耳たちが立っている。
「よし、では始めようか」
「承知致しました。まずは全体の報告です」
次兄が頷くと頭が一歩前に出る。
「労働部門の派遣先が減っています。外部では北西の子爵家ぐらいしか募集は無い状況です。残りは自領に回しているので、貢献はできています。そのおかげもあって北町の治水事業は思ったよりも早く完了しそうです」
侯国、王国の対立が先鋭化しているので募集が少ない。女狐子爵の所はこんな状況でも募集を出しているという事はまずは内政を頑張っているということだろうか。
「後、やはり鉄が足りません」
人口の増加に伴い、鉄製品が大量に必要になっている。作りたいのは山々だが肝心の鉄が無い。仕入れも滞っているらしい。戦争は儲かるんじゃないのかよ。
「三若様のご指示されていた教育に関してですが、教会側が協力を約束してくれています。場所の提供と司祭たちが時間を作って読み書きを教えてくれるそうです」
頭の報告に場の数人が顔を見合わせる。
「問題無ければこのまま進めようと思います」
前から気になっていたのだ。読み書きすらできない者が多いのは、どう考えても損をしている。せめて、計算と手紙くらいはできるようにしたい。将来の風俗街の上客にもなってもらいたいし、何より文字を知らないってのは、生きる上で不便だ。
「教会とは別にも作れ」
教会の協力はとてもありがたい。だが、教会だけに頼るのは怖い気がする。変な思想を植え付けられたら怖いしな。
「はっ」
頭が頭を下げる。下座に座る家族と王族たちからの視線がやり辛くてしょうがない。
「それから……」
頭の声が途中で途切れた。部屋の空気が、一瞬だけ重くなる。視線が自然と彼に集まった。何か、言いづらいことらしい。
「なんだ」
「生産部門の男が……清灰の情報を商人に流していたことが判明しました」
瞬間、場の空気が凍りついた。頭が深く頭を下げる。彼にしてみれば、配下の裏切りは自分の失態も同然だ。パパたちは何も言わない。誰かがわずかに息をのむのが聞こえた。
正直、俺的にはそこまでの驚きはない。ああ、やったか。という印象だ。
「どの程度の情報を流したんだ? 後、そいつはどうした」
「口頭でのやり取りを数回行ったそうです。見返りに金を貰っていました。末端の作業者なので詳しくはわかっていないので、正確な製法を伝えきれてはいないと思います。その男は既に赤い月に引き渡しています」
末端が目先の金欲しさに情報を流した。まあ、想定内だ。ちょっとショックではあるが仕方がない。それに既に赤い月に身柄が引き渡されているという事は罰としては十分のはずだ。具体的にどうしてるのかは知らないが。
「まあ、想定内だな」
声に抑えをかける。こういうのは感情的になると良くないと聞いた気がする。上司として怒鳴るのは良くない。あくまでも注意をしてあげる事で次への備えをするのだ。
「ただ――舐められても困る。見せしめは要らんが、しっかりと“覚え”させておけ」
「……承知致しました」
細かいルール作りや仕組みが作れればいいのだが、今は性善説でやるしかない。今後は高級品路線へと移行するので、その時は何か考えないとまずいかもしれない。
「では、続いて王都の件を諜報部門から報告させます」
頭の言葉で細身の男が前に出る。
「先日、報告させてもらいましたが、王都は侯国の手によって陥落しています。民は何人か怪我人が出ています。王国騎士団は全滅です」
王子が小さく顔を歪めた。無理もない。王都が落ちたのだ。彼にとっては、故郷を失ったも同然だ。
「次の侯国の行動が重要だな」
誰に向けたでもない言葉が、広間に落ちた。空気が一瞬だけ冷たくなる。
「さて、侯国は身動きが取れないように見えます」
どういう意味だと細身の男を睨んでしまった。細身の男は口元だけで笑う。……その笑みに、妙な寒気を覚えた。
「勇者様も侯爵様も疑心暗鬼に陥っているようです。王都を落した後に話し合いが行われたようですが、特に何かが決まったという話は出ていないようです」
わずかだが、侯国の動きに陰りが出始めたのだと感じだ。




