7話 幽閉
幽霊屋敷と呼ばれる館は、城下にある村から西の丘を登った先に姿を現した。
その呼び名の由来は、かつて住んでいた父の叔父にある。彼は人前に出るとき、いつも顔を覆い隠していたという。理由は誰にも分からない。夜な夜な灯をともしては怪しげな薬瓶を弄び、庭先で妙な実験をしていたとも噂された。何を作ろうとしていたのかは結局不明のまま、ただ「気味の悪い研究をしていた男」として多くの人の記憶に残った。そうして、この館も「幽霊屋敷」と呼ばれるようになったのだ。
やだ、怖い。幽霊系は苦手なので是非とも出ないでほしいものだ。
建物は石造りだが城と比べるとかなり小規模だ。赤茶の瓦が多少の明るさを出しているが、無造作に放置された草や蔦などが幽霊屋敷の印象を深くする。
道側には木の柵があるが、柵を越えて敷地を侵食するように草が絡みついており、人の手が入っていない事を容易に想像できた。敷地はそれなりな広さがある。畑や果樹園跡も見受けられた。建物の裏手は広そうだ。石壁に囲われた変な建物も見える。あれはなんだろうか。
もはや廃墟なのではないだろうか、と、危惧したが玄関の扉や室内は思ったほど朽ちてはいない。恐らく定期的に人が入って掃除なりはしていたのだろう。年に一度行く別荘みたいな感じか。
内部は城と違いかなり手狭だ。玄関、エントランスとあるので一般の家よりは大きい。エントランスの先は小広間、その奥はダイニングと厨房か。小広間の左右にはそれぞれ部屋があり、リビング? っぽい感じだな。
小広間に置かれた椅子を引き、どかりと座りため息を吐く。
(今日からここが俺の城だ。━━それはいいんだが)
ちらりと入口へと目を向ける。そこには村人から選ばれた一家族と、うさ耳がいた。
(なんでよりにもよってうさ耳がいるのよ!)
俺の悪行ランキング堂々一位「いじめの常連」がいる。人間関係リセット計画、開始一秒で破綻である。頭を抱えるしかない。
横の一家は普通に「よろしくお願いします」って頭を下げてきた。手を挙げてあいさつだけしといた。ごめんな。お前らの事、考えてる場合じゃないのよ。
「三若様。御屋敷は綺麗に維持されていますが、埃が溜まっている箇所もございますので、我々の方で対処してもよろしいでしょうか?」
うさ耳が近づいてきた。怖い。
「……あ、ああ」
作り笑いが頬をひきつらせる。
(なぜ、ついてきた。いや、恐らくはパパとママの意向なのだろうが。こいつじゃなくても良くない? いや、他が嫌がった可能性もあるな)
正直、うさ耳は可愛い。そんな子にお世話してもらえるのは嬉しい。だが、報復ゲージがどう考えてもマックスなので、俺の身がやばい。
そんな事を考えている間に、うさ耳は一家にてきぱきと指示を出し、せわしなく動き始めた。とりあえず、俺が突っ立っていても邪魔なので小広間を後にした。漫画とかに出てくる日曜のお父さんよろしく、館の隅々をチェックしにいこう。
――にしても、なんで俺のリスタート人生の初期装備が“復讐フラグ付きうさ耳”なんだよ。
小広間の奥に行くと質素な食堂と厨房があった。石造りの竈には灰が残っており、最近まで火が入っていたのが分かる。壁際には古びた棚が並び、乾燥した薬草や壺がいくつも置かれていた。叔父が残したものか、あるいは代々の管理人のものかは分からない。
二階へ上がれば、寝室がいくつか並んでいた。城の部屋と比べれば狭いが、一人で暮らすには十分すぎる広さだ。窓からは畑が一望でき、風はよく通る。……幽閉にしては、居心地は悪くない。むしろ良い。
敷地の外れには、放置されながらも形を残す畑と果樹園があった。荒れ果ててはいるが、整えればまだ使える。土地の広さを考えれば、ここだけで一つの生活圏が作れるだろう。その近くには小屋がある。小屋というか長屋みたいな感じだ。倉庫かと思ったが、こちらも普通に生活できそうな建物だ。
裏手に回ると、石壁に囲まれた小さな建物があった。倉庫のようにも見えるが、窓はなく、重い鉄の扉が錆びついて閉ざされている。施錠はされていなかったが、容易に開けられる気配もない。用途は不明――ただ、妙に気になった。
裏手は林になっている。結構な広さだ。その先は西の川、森へと繋がっているのだろう。繋がっているといっても、丘の急斜面が立ちふさがり行こうと思ってもいけない。北も同様だ。南には城が見えるが丘伝いにはいけない、東の村を経由する必要がある。陸の孤島というのがピッタリな場所だ。
(……これが、俺に与えられた居場所か)
小広間に戻り、椅子に腰を下ろし目を閉じる。幽閉と呼ぶには自由が多い。うさ耳が来たのは想定外だが、それ以外の条件はかなり良い。兵士とかもいないので動きが制限されることはない。一家族ついてきたのは身の回りの世話兼監視なのかもしれないが、その割にはよそよそしいのであまり問題ではなさそうだ。
これから何をすべきかを考える。
まずは生活の基盤を整える必要がある。上下水道はない。水汲み用の井戸はあるらしいが、毎日の労力を考えると改善は必須だ。風呂も……まあ、せめて桶よりはマシな環境にしたい。トイレは外。食器や寝具も城のそれに比べれば粗末だ。それはいい。問題は日用品だ。歯ブラシ、石鹸、髭剃り……はまだ必要ないが。
(贅沢を言うつもりはないが――せめて「人として」快適に暮らせる程度には整えたいな)
ふと視線をやると、うさ耳と一家が室内の埃を払っていた。一家は髭の父親、恰幅のいい母親、息子と娘の四人。
うさ耳と母娘は桶を片手に念入りに床や棚を磨いている。今は暑くも寒くもない気候だが、あれだけ働けば汗もかく。――そう、汗の匂いや汚れをどう落とすかは生活に直結する問題だ。
俺も気になって、自分の腕に鼻を押しつけてみた。……よくわからない。自分の匂いって案外わからないものだな。いや、絶対臭いはずなんだが。
ちなみに、この世界に石鹸はある。あるにはある。だが、それは所謂、「灰石鹸」と呼ばれる代物で、汚れは落ちるが獣臭が強烈。綺麗になったのか臭くなったのか分からなくなる。意味ないじゃん。
体の汚れは基本的には湯あみをして布で垢を落とす程度だ。
この世界で石鹸は錬金術師の生産品として知られていて、灰と獣脂を混ぜて、そこに少しの魔力を流し込みながら固めるとかいう話だ。……魔力、いる? 本当に?
(まてよ。ここは“幽霊屋敷”って言われてたんだよな。夜な夜な叔父が怪しい研究をしてたって噂もあったし……)
もしかすると、この館のどこかに錬金術の本や道具が残ってるんじゃないか? 灰石鹸よりマシなものを作れるかもしれない。いや、作れるなら絶対作りたい。
――まずは、この幽霊屋敷を「まともな生活の場」に変えること。それが俺の第一歩だ。




