60話 凋落
日が傾くと、北町の空気はがらりと変わる。昼間は商人や職人で賑わっていた通りも、夕刻には人の気配が薄れ、代わりに風の音ばかりが響いていた。昼の喧騒とは打って変わって、静寂が町を支配している――まるで、別の町に来たようだ。
戦の夜にここに来た時と同じ雰囲気を感じた。砦衆の区画に足を踏み入れると、さらに空気が重くなった気がした。
「ここが砦衆の住む一帯です」
犬耳が耳打ちしてきた。今日は犬耳と委員長が同行している。うさ耳は城館で色々やることがあるらしい。
道の両脇には木と布で作った仮設小屋が立ち並び、難民たちが鍋を囲んでいた。食料は支給できているらしい。何人かがこちらに気づく。視線を逸らす者、じっと見つめる者。中には小さく頭を下げる者までいた。手を合わせてくる者もいる。――助けてくれ、という祈りなのかもしれない。俺に祈ってもどうにもならないんだが。
家将たちが住んでいた屋敷は見るも無残だった。親族は散り散りになり、家主のいない屋敷は、今や“屋根のある廃墟”として難民たちの取り合いになっている。とはいえ、城館に近いほうはまだマシだった。労働部門の砦衆が上下水の整備を始めているらしく、掘り返された地面があちこちに見えた。
「坊ちゃん。どうやらこの先で騒動があるみたいだ」
ハゲ頭が言う。難民同士のいざこざだろうか。さすがに止めたほうがいいだろう。ハゲ頭たち兵士が先行し通りを進むと人集りが見えてきた。日も沈みかけ、灯りはところどころにあるだけで、周囲は薄暗い。
「おい、お前ら!」
ハゲ頭の一喝が響き、その場にいる全員の動きが止まる。視線が自然と、騒動の中心にいた男へと向かう。どこかで見たことがある――長身の短髪の男。
騒ぎの中心にいた長身の短髪の男は、俺を見るなり顔をしかめた。見覚えがある。あの時の――赤い月のリーダーだ。互いに視線が交わった一瞬、男は顔を逸らす様に後ろを振り向く。「いくぞ」と、周りに声をかけると暗がりに消えていった。
「なんだお前ら。偉そうに出てきやがって」
相対していたならず者集団がこちらに食って掛かってきた。それに応じるように、ハゲ頭たちが一歩前に出た。何も言わない。ただ、静かに歩み出て男と視線を合わせる。手は腰の剣柄に掛かっている。その一歩が、ならず者の連中をじり、と押し下げた。威嚇でも挑発でもない。ただ、圧。
「これ以上騒ぎを起こすなら容赦しねぇぞ?」
ハゲ頭の声は低く、静かだった。男の肩がぴくりと動いたが、何も言わない。後ろの連中が小声で何かを言い合い、次の瞬間、諦めたように暗がりに消えていった。
「坊ちゃん、どうします?」
ハゲ頭が振り返る。その眼にはこちらを気遣うような雰囲気を感じた。やはりこの辺りの治安は悪いらしい。これ以上はこいつらにも迷惑をかけてしまうだろう。
「この辺で戻るか。あいつらは赤い月だったよな」
長身、短髪の男は赤い月のリーダーの男だったはずだ。
「そうですね。見違えましたが、赤い月の連中だったかと」
ハゲ頭の同意にこんなところでなにをしているのかが気になった。俺への報復という可能性もある。思案していると、犬耳が誰かに向かって手を振っていた。一人の男が近づいてくる。
「お疲れ様です! さっきの人って赤い月の人たちですか?」
「はい。王都で鍛冶屋の身柄を確保できずに南方伯爵から切られたようです」
俺が北に逃げたという情報を渡した後、赤い月は鍛冶屋を追って北に向かったらしい。だが、追跡も空しく鍛冶屋は北の帝国領に逃げた後だった。貴族の依頼だったのだろう。貴族は面子を潰された。その報復は赤い月に向かったのか。貴族から目をつけられた赤い月は、かつての栄華は消え去りいまでは十人に満たないならず者集団として流浪しているらしい。
というか、犬耳はなんでこの男を知ってるんだ?
「諜報部門の方です。以前も会いましたよね」
男は恐縮するように頭を下げて暗がりへと消えていく。犬耳が俺より砦衆とうまくやってないか?
「なるほど。ここなら南方伯爵の目も届かないってことか」
ハゲ頭が納得するように言う。俺の近くに来るのは不本意だろうが伯爵たちの目は王都に向いているからな。
これ以上は得るものもないと判断し、城館へ戻ることにした。
帰り道でふと足が止まる。――赤い月。
王都で見たときとはまるで別人だった。荒々しさも威圧もなく、ただ“逃げる者の目”をしている。牙を抜かれた獣は脅威にならない。ただし、あいつらが現状に納得しているとは思えない。かつて名を轟かせた者たちだ。もし奮起すれば、俺に報復してくる可能性はゼロではない。
今のうちに潰すべきか?
「主様?」
委員長の声で我に返る。犬耳もハゲ頭もこちらを気遣うように見つめている。━━やつらを潰す。そう言いかけてふと閃いた。
裏の仕事に慣れた連中だ。腕も度胸も、悪事の所作も心得ている。砦衆の兵ではできない“汚れ仕事”をやらせられる。言わば必要悪だ。こちらもやらせることに罪悪感を感じることもない。
夜の秩序を保つには闇を知る者が向いている。兵を闇に回すのではなく、闇の者たちを闇の番人にするのだ。みかじめ料で回し、秩序を維持させる。あいつらはかつての勢いを取り戻すだろう。だが、それまでに俺が介入することである程度の制御や抑制はできる。
こちらの兵士も温存できる。何かあれば彼らを抑止力として存在させればいい。
この必要悪は、それ以上の意味も持つ。犯罪は夜だけに起こるものではない。砦衆や町の人間が起こすこともある。そうなった時の“行き場”としても利用できる。せいぜいコキ使ってもらおう。逆もアリだ。本人の意思とは別に闇に染まった者もいるだろう。働き方次第では砦に引き上げてやってもいい。
思わぬ“三人目”候補の登場に心が踊る。うまくいくかはわからないが、駄目なら潰せばいい。今ならさほど苦労せずに潰せる。
――俺は風俗王になる。いや、なれるはずだ。楽しくなってきた。




