6話 覚醒
思考が止まる。
……いや、実際には止まってはいない。考えているのだから止まってはいない。ただ、途中で投げ出しているのは確かで、それを「止まっている」と言うのかもしれない。言葉って難しい。
大きく息を吸って吐く。整理し直そう。
見慣れない部屋で俺は座っている。木を基調とした重厚な造り。校長室をでかくしたような空間だ。そう、ここは俺の自室だ。いや、こんな自室を持ってる奴なんていないだろう。……よし、俺は冷静だ。ツッコミも冴えてる。
広さはどうだ。二十畳はあるな。こだわって作った我が家のリビングより広い。妻や子供たちと過ごした思い出の場所より、だ。――ちょっと悔しい。
よし、記憶ははっきりしている。問題は次だ。
(……あれは飾りか?)
入口に立つ少女へと視線を向ける。頭にぴょこんと生えた、うさ耳。――うさ耳メイド。
あれはなんだろうか。
再び息を吸って吐く。思い出せ。
俺は五十代で妻に先立たれ、子供も巣立った。週末は駅前の食事処を一人で巡るのが楽しみで……そうだ、あの日もバスに乗った。そこまでは覚えている。その後の記憶が、ぷつりと途切れている。
――と思ったら、別の記憶が割り込んできた。
物心ついた頃、使用人が囁く声を聞いた。「ゴブリンの子」。兄や姉と違う容姿に気づいた瞬間、世界が暗く沈んだ……これは俺の人生か?
ふと確かめたいことがあったので立ち上がり壁に掛けられた鏡の前に立つ。
(誰だ? このクソガキは)
一瞬、戸惑うがそれが自分だと気づく
ああ、俺だ。うん……見慣れたいつもの俺だな? 黒髪のごく平凡な顔立ち。イケメンとまでは言わないが、悪くはない顔だと思う。クラスの五番目ぐらいには良い顔なんじゃないだろうか。これのどこがゴブリンなんだよ。と、突っこみたくなる。
まあ、両親や兄弟、そして使用人に至るまで、なぜか周りは美男美女が多い。それと比べれられると厳しいところではある。
だが、ゴブリンってのはもっと、鼻が長くてギャギャギャとかいいながら腰に皮布を巻いて緑の肌ってのが定番なんじゃないの? 見たことはないから知らないが、鏡に映る自分は断じてゴブリンではないと断言できる。
正直、納得がいかないが、まあ、いいやと振り返ると、うさ耳メイドと目が合った。怯えと緊張が混ざった視線。
――そこで思い出す。
俺が彼女を「お勉強の時間」と称して痛めつけていた事実。服を剥ぎ、鞭を振るい、屈辱を与え……。
はい、超絶クソ野郎です。
なんでそんなことを? 答えは一つ。俺は彼女が欲しかった。俺に対して興味を持って欲しかった。だが、どう接していいかわからず、支配と暴力を行使することでしか関われなかった。
胸がむかつき、頭が割れそうな痛みを感じた。これは俺の罪だ。他人事じゃない。
「三若様」
名を呼ばれ、思考が止まる。
「……はいっ?」
裏返った声が出た。
「ご指導を頂くのではないでしょうか」
ああ、そうか。彼女にとって、虐待は「指導」と呼ばされてきたのだ。いや、呼ばせたのは俺だ。
怒り、羞恥、後悔が一気に押し寄せる。自分の顔面を殴りたい衝動に駆られる。
謝るか? ――いや、違う。
「今までごめん、心を入れ替える」なんて言ったって、俺なら絶対に許さない。散々虐げられた相手に、そんな言葉で贖えるはずがない。俺なら二度と人前に出れなくなるまで顔面をボコボコに殴って相手が謝っても許さない。
鏡に映る自分をもう一度見る。顔は人間の少年。だが、中身は間違いなく――ゴブリンだった。
現状は理解した。俺は俺だ。クソ野郎で、許される人間ではない。でも――もう同じことは繰り返したくない。虐待なんて絶対にごめんだ。
では、どうするか。「改心しました」なんて言っても誰も信じないだろう。むしろ嘲笑や報復を招くだけだ。いつかは報いを受けるのかもしれない。
導き出した答えは――現状維持。
いや、正確には「悪行だけを捨てて、存在感を薄くする」だ。
まず、今までのように虐待はできない。虐待を辞めたところで過去の虐待の事実と恨みは残る。このまま行くと俺は誰かに殺されるだろう。最有力候補は目の前のうさ耳メイドだ。
俺だって人生を満喫したいし、男爵家としての立場は捨てたくない。放り出されたら三日と持たずに野垂れ死ぬ。
けれど、それも簡単じゃない。嫌われているのはうさ耳メイドだけじゃない。使用人たちの多くからは完全に目の敵にされている。特に姉の周りの者たちは、俺を蛇蝎のように嫌っている。
家族だけは……たぶん、まだ俺を見捨ててはいない。だが使用人たちはやばい。何度も言うが姉の周りの使用人連中はまじでやばい。原因は俺なんだけどね。
理由は一年前の過ち。
弟という立場を振りかざして、姉の入浴中の浴室に足を踏み入れようとした。……なにやってんだ俺。
あの時の使用人たちの怒りに満ちた眼差しは、今も焼き付いて離れない。唯一の救いは姉があの出来事を兄弟のなれ合いと認識している事だ。それもどうかと思うが、姉は美少女だが若干、俺を弟として信じ切っていて、それが逆に怖い。頭がお花畑なのか、別の意図があるのか。
まあ、そんなわけで、あれ以来、俺は「危険物」だ。城にいるだけで周囲を不快にさせる。三男だから家を継ぐ権利はない。だが、追い出されることもないはずだ。お父さんがどこか小さな土地を与えてくれれば……。そこでひっそり生きれば、人間関係を一度リセットできる。
人間関係のリセットと男爵家の援助があれば逆転できる。そんなに旨い事行くわけがないか…… どうしたものか。
突如、ノックの音が響く。「三若様」
うさ耳が扉を開けると執事が立っていた。うさ耳を見て少し驚いている表情をした。俺がいつもの事をしていないことに驚いたのだろう。やんないし。
「お取込み中、申し訳ありません。ご当主様と奥様が書斎にてお話があるとのことです」
「わかった」
深々と頭を下げて執事は下がっていった。
(思ったより展開が早い。何らかの処罰とかか……?)
鼓動が早くなる。大丈夫。家族だけは……たぶん、まだ俺を見捨ててはいない……はず。頼む。もう少し時間をくれ。いきなり放り出されたら生きていけない。
俺の性格なのだろう。答えを早く知りたいあまり、速足で両親が待つ書斎へと向かった。重厚な扉が迫る。扉を開けようとしたら、うさ耳が前に出て扉を開けてくれた。びっくりしたけど、心の中でありがとうと言っておいた。
「呼んだ?」
若干、思ってた口調ではなかったのに自分自身びっくりしたが、今はそれどころじゃない。はやく。はやく答えを言って。今日の夕飯は何にする? とか、そういう事だよね。
「来たか……」
お父さんは椅子に座り、お母さんは横で立っている。怖いな。
「話がある」
お父さんの言葉は短い。やばい匂いがする。俺そういうのはすぐわかるから。
「私たちはあなたの事を想っています。そのことだけは忘れないで」
お母さんが早口で言ってきた。つまり、最悪ではない? けど、言いづらい事を言うからフォローに入った?
「単刀直入に言おう。お前は……しばらく、別館で暮らすのが良いだろう」
「別館?」
お父さんの言葉の意味がわからず、眉間に皺が寄ってしまった。別館ってどこ? 城の中に別館なんてあったっけ?
「村のはずれにある屋敷だ。昔、父の叔父が住んでいた」
村のはずれ。つまり城の外だ。村のはずれっていうからそこまで遠くではないのだろう。
「家を……お前を守る為なのだ」
状況の理解に思考を深める。お父さんがなんか言ってるけど。
城の外。つまり、使用人連中の目の届かないところにいける。これは良い。
村のはずれ。つまり、領地からの追放とかではない。何かあれば最悪、城に頼れる。これも良い。
もうひとつ、重要なことを確認する必要がある。
「一人で?」
これ、重要。身の回りの世話とかで使用人がついてきたら本末転倒だし、監視とかで兵士を付けられたら自由はない。
「そうだ」
はい、キタコレ。しかもお父さんはさっき「お前を守る」と言っていた。つまり俺の置かれている状況を理解してくれていた可能性が高い。めっちゃ良いパパだ。もう今日からパパって呼ぶ。
つまり、俺が過去の悪行で使用人たちから目の敵にされている。何かあってはまずいので別の場所でゆっくりしなさい。援助はするから。こういうことだ。間違いない。じゃなけりゃお前を守るとか言わないし。逆転満塁ホームランである。
ガッツポーズをしたいところだが、多少なりとも貴族の嗜みはあるし、TPO的にぐっとこらえる。
ひとしきり、喜びに打ちひしがれた後で、顔を上げた。部屋には重い沈黙。父は顔を伏せ、母の瞳には涙が光っていた。
ふと、懐かし想いが蘇る。俺も昔、子供たちが一人暮らしをすると言ってきた日はどこか寂しい想いに浸った事がある。
「わかった。すぐ?」
「準備ができ次第、行きなさい」
パパの声は掠れ、ママは泣きそうだった。わかるよ。子供と分かれるのは辛いよね。
「わかった」
ママはなにか言いたげだったが、ここでちゃぶ台を返されても困る。早々に俺は書斎を後にした。
主人公登場までぐだぐだと長かったので一気に投稿してみました。明日からは二話づつ投稿していこうと思います




