56話 戦後
戻ってきた砦衆を護衛につけ、北の男爵領へと向かった。町は戦があったとは思えないほど静まり返っていた。焦げた藁の匂いが、まだ風の中に残っている。家々の戸は固く閉ざされ、窓の隙間からかすかに視線を感じた。町民たちは家の奥で息を潜め、こちらを見ているのだろう。
敵はもういない。だが、町全体がひとつの亡骸のように、冷たく沈んでいた。
北の男爵家は「商人の町」という言葉がしっくりくる。盆地を抜ける風が穀倉地帯の上をゆるやかに渡り、白みがかった石造りの館へと吹いていた。男爵家の居城はその中心、丘の上から町を見下ろしていた。
淡い木材を組み合わせた二層の館――戦うための城ではなく、人と物と金を呼び込むための家。背後に添えられた小さな見張り台が、かろうじて“防備”の名残を留めているだけだ。
館の正面には石畳の広場があり、そこから放射状に町が伸びている。水路が町を横断し、西の川へと繋がっていた。荷馬車や小舟が行き交っていたのだろう。今はどれも止まっている。
俺の第一印象を言おう。これでよく負けたな、だ。
明らかに、うちとは規模が違う。人も物も金も、桁が違う気がする。我が男爵家にないものが、この町にはいくつもある。それでも負けた。軍備に金をかけていないとは聞いていたが、だとすれば極端すぎる。もし、まともに治められていれば――我が男爵家など、歯牙にもかけぬほどの強国になっていたはずだ。
そんなことを考えながら、男爵家の居城へと足を踏み入れた。前言撤回だ。確かにここで戦があった。窓や扉は打ち破られ、壁の至る所に剣で切りつけられた跡が見える。
城は小さな城館と言えば良いのだろうか、城とは言えないが、館とも言いにくい不思議な作りだった。商館を城に寄せた感じなのかもしれない。商館屋敷(城館)といったところか。まあ、城館か。
内部はさほど被害を受けていない。城館内の一室へと案内された。ひと際、豪勢な部屋で商談などで利用されていたらしい。次兄たちもそこにいた。
「来たか」
次兄が満面の笑みで迎えてくれた。
「快勝だぞ」
次兄の言葉に兵士たちの顔もどこか誇らしげだった。だが、一方で頭、砦衆の顔はどこか不満そうだった。そして次兄から、戦の状況が静かに語られた。
まず、こちらの被害だが――死者二名。家将と、その息子の二人が死んだ。
ボヤ騒ぎが起きて混乱したところへ、次兄たちが城館になだれ込んだ。敵は最初こそ抵抗したが、次兄たちの鬼気迫る勢いに押され、あっという間に武器を捨て降参したという。戦の爪痕が外だけに留まっていたのも、それが理由だ。
砦衆の不満もそこにあった。彼らが到着したときには、すでに勝敗は決していた。自分たちは何もしていない。そう感じたのだろう。
だが、問題はその後だ。北の男爵と商人たちは、我先にと裏口から逃亡した。それに気づいた家将と息子が追撃に出ようとした。次兄が止めたが、聞く耳を持たなかったらしい。前の敗戦が。これまでの鬱憤がそうさせたのかもしれない。
その先で何が起きたのかは、誰にもわからない。駆けつけた時には北の男爵、商人、護衛、家将と息子――すべてが入り乱れた凄惨な跡だけが残っていた。家将と息子は復讐をやり遂げたのだろう。だが、その代償は自らの命だった。
「余程、腹に据えかねたのでしょうな」
相談役が悲痛な面持ちで言う。その場を見たのだろう。余程に酷かったと見える。
「勝ったのは良いが、町や民の慰撫を考えないと」
ここに来るまでに見た怯えた町人を思い出す。戦は終わったが、彼らの生活はこれからも続くのだ。それを無視するわけにはいかない。
「その通りだ。父上と兄上もじきにここに来る。ここの事は俺に任せろ」
次兄の言葉に頷き、もう一つの戦場へと向かうことにした。
***
砦に向かうことなく、そのまま子爵領へ向かう。北の男爵家が滅んだ以上、子爵家の状況も見ておかなければならない。こちらが勝っても、あちらが間に合わずに全滅していては意味がない。
休む間もなく進むと、遠くに子爵の城が見えてくる。男爵領とは規模の違いが遠目にもわかった。子爵領へと続く大きな街道の途中で人影が見える。かなりの人数のようだ。
近づくと騎馬が駆け寄ってくる。
「何者か!」
「我らは南の男爵家の者だ!」
「おお、そうであったか。これは失礼をした。こちらに参られよ」
馬上の男は鎧の手入れが行き届いており、男爵家の武骨な兵とは違う、整った兵士の匂いがした。イケメンの手勢だ――と、すぐにわかった。
案内された先にはイケメンの部隊がいた。総勢五十名、いやもっとか。半数が騎馬隊。陣幕も張られており、中では武具を整える者、傷を手当てする者の姿が見える。質の違いに感嘆のため息が漏れかかった。
「きたか」
イケメンの部隊に囲まれるように数十人の男たちが腰を降ろしている。
「こいつらが敵の主力だ」
中級冒険者有する敵の主力らしい。彼らもまたその実力を気配に宿している。負けてもなお威圧感を放っていた。だが、その目には悔しさも恐れもない。なるほど、これを相手にしたらうちは無傷どころが痛手を負っていただろうな。敗残兵ではあるが、特に拘束などはしていないようだ。大丈夫なのだろうか。
「心配するな。こいつらはもう戦う気はない。そうだろ?」
イケメンが一人の男に声をかけた。
「雇い主がいなくなったんなら、俺たちの仕事はもう終わりだ。というか、報酬も貰ってねぇ。赤字もいいところだ」
「それは悪いことをしたな。次からは勝ち馬を見誤らないことだな」
男は肩を竦め。それを見て、イケメンは軽く笑う。
「ご令嬢も戻っているはずだけど、城の様子は?」
戦勝報告を受けて、令嬢は一足先に自分の城へと戻っている。中がどうなっているのかは気になる。後、報酬ももらいたい。
吊り橋効果という現象をご存じだろうか。高所や揺れる吊り橋を渡ることで心拍数が上がり、鼓動が早くなる。その結果、本来は不安である胸の鼓動を相手への恋愛感情と勘違いしてしまう現象の事だ。
今回、子爵令嬢は家を無くすことの不安を抱き、俺の所に来た。あの夜の令嬢は、そんな状態だったと言える。家を失いかけ、逃げ場もなく、俺に縋った――そしてこの勝利である。これで恋心を抱かないわけがない。俺は彼女を救った英雄なのだ。これは決して過大評価ではないと思う。
「心配しなくても、向こうから来てくれたみたいだぜ?」
イケメンの視線の先を見ると、一台の馬車、そしてそれに付き従う兵士たちの姿があった。
馬車がとまり、騎馬の兵士が軽やかに舞い降り馬車の扉近くへと歩み寄る。扉が開くと、美しい子爵令嬢の姿が現れた。昨夜の影を一片も残さず、馬車から降り立つ彼女はまるで別人だった。美しい令嬢は、待ち受ける兵士の手を自然に取った。馬車から降りると、そのまま彼の隣で深々と淑女の礼を取った。
「行こうか。美しいご令嬢を待たせるなんて、貴族失格だ」
イケメンの言葉に若干の疑問が残るが、待たせるのも悪いというのは事実だ。イケメンに頷き馬車に近づく、一歩、また一歩と近づくにつれ期待に胸が膨らむ。彼女は俺になんて声を掛けるのだろうか。と。
だが、彼女の姿が鮮明になるにつれ、若干の違和感に気づく。俺たちを待ち受けるのは令嬢━━と、一人の兵士。兵士にしては身なりが良い。いや、鎧の装飾が違う。貴族の従者か? 兵士というよりも騎士という印象を受ける。更に言えば、やけに令嬢に近い。というか――くっついてないか?
声が届く距離に近づくと、令嬢がこちらへ歩み出た。
「このたびは、我らの命を救い、我が子爵家に手を差し伸べてくださったこと、心より感謝申し上げます」
深く頭を下げる。その動作に一点の迷いもない。何度も言うが、子爵令嬢が男爵家三男に取る行動ではない。そこには感謝以上の感情がたしかにあった。
「姫……」
騎士が窘めるように声を発した。その反応は間違ってはいない。階級差を考えれば異例なのだ。
「この御方は我らに救いの手を伸ばしてくださいました。この御方の勇気と決断がなければ、我が子爵家は今ここにありません」
その声には強い意志があった。あの夜に問うた答えのように。騎士は一瞬、言葉を失ったように令嬢を見つめるが、やがて意を決したかのように一歩前へと出ると、臣下の礼を取った。
「……失礼致しました。我が剣が折れかけたとき、貴殿らの行動が我らの剣となり、盾となりました。この御恩、生涯忘れませぬ」
騎士の言葉からも、また敬意と賞賛の想いが伝わってくる。
「我が婚約者の願いを聞き届けて頂きありがとうございます」
聞き間違いだろうか。なにか変な台詞を聞いた気がする。
「婚約者?」
思わず聞き返した。令嬢は一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を落とした。頬が赤い。おい……まさか。
「姫と私は、将来を約した仲です。愛する人を守れぬまま終わると思っていた――だが、貴殿がその手で彼女を救ってくれた。貴殿の勇気は、私に再び剣を握る理由を与えてくれた。愛する人のために、生きる理由を」
何かが胸の奥で、音もなく崩れ落ちた。




