54話 懇願
松明が砦の木壁をゆらゆらと灯している。入口付近の広場では焚火を灯し、見張りの者たちの体を温めている。夜風は冷たく、薪が湿っているせいか、火は時折小さく爆ぜる。その音が静まり返った砦の中を一瞬駆け抜けていた。
昼間は多くの人で満ちている砦も、夜になると急に静かだ。だが、誰もが眠っているわけではない。暗がりの中にも人の温もりがたしかにある。この砦は生きている。そう感じた。
砦の一角、集会所は何時もより薄暗く、数本の松明だけが灯されている。夜にここを訪れることはあまりない。静まり返った集会所の中には限られた人間しかいなかった。
「初めてお目にかかります。子爵家の長女でございます」
汚れた外套を着けたままで、美しい令嬢が恭しく礼を取る。はっきり言ってこの状況は異常だ。そもそも男爵家三男に取る礼ではない。男爵家三男として散々威張り散らかしていた俺が言えた事ではないが、貴族から見て、三男なんて庶民とほぼ同じだ。そんな奴に対して子爵家のご令嬢が目上の人に対して取る礼をしているのだ。異常でしかない。
「お噂はお聞きしております。さぞお辛かったでしょう。ですが、もう心配はいりませんぞ」
もう一つの異常が口を開いた。南方子爵家の長男。イケメン野郎だ。なぜ、ここにお前がいる。
「おおっと。どうやら男爵家の若君もご令嬢の美しさに声も出ない様子」
お前の存在に声がでないんだよ。
「あー、なぜここにあなたが?」
なぜ、ここにいるのか答えたまえ。イケメン野郎。
「おいおい、忘れたのか? 相談ならいつでも乗るって言ったろう?」
たしかに言っていたが、別にこの件に関しては相談していない。……というか、相談した覚えのない奴が勝手に登場するの、やめてほしい。
話が長くなりそうなので放っておくことにした。
「お噂は聞いておりましたが……想像より、ずっとお若いのですね」
子爵家の令嬢がこちらをじっと見る。そこには侮りなどは感じず、素朴な疑問の声があった。
「三男ですしね。右も左もわからない子供です」
「それでも、これだけの人々を動かせるのですもの。ご立派ですわ」
俺の意志とは関係なく勝手に動いている気もする。
「そうそう、ご立派でしかない。噂の集団がここまでデカいとはな。流石に俺でも驚きだ」
イケメンは黙っててほしい。
「……ご立派ですわ」
繰り返された令嬢の声は、松明のようにかすかに揺れていた。
「それに比べて、わたくしは家を見捨て逃げる事しかできません」
懺悔に近い独白。
「商人たちは金に物を言わせて多くの傭兵を雇っているとか。逃げるのも無理はないでしょう。仮にこちらが狙われたとしたら我々も逃げていたでしょう」
情けない言葉しか掛けられない。もっと良い言葉がなかったものかと後悔する。
「……見捨てたのも同然です。父と兄も、まだ城に居ります。ですが、私だけが逃げたのです」
声が振るえ、最後の方は聞き取れないほどに小さかった。
「わたくしは、ただ生き延びただけの臆病者です。けれど、せめて━━せめて、領に残った人たちを助けたいのです」
顔を上げた時、その瞳は涙を宿していた。
「どうか……御力をお貸しください」
膝を付き頭を垂れる。もはや貴族階級なんて言葉は彼女の頭にない。藁にも縋る思いなのだろう。
「顔を上げてください。まずは状況を整理する必要があります」
こんな美人から懇願されたとあれば、助けてあげたいのは山々だ。だが、はいわかりました。と助けてあげられるほど世の中、都合は良くない。
「見返りなら、何でも差し上げます」
「まずは話をしましょう」
正直、やましい気持ちがよぎったのは否めない。何でもって本当に何でもだろうか? その、あれだ。いや、やめておこう。
「実際問題どうなんだ? 男爵家に勝てるか?」
イケメンが場を取り持つように言う。そして流れるように令嬢に手を差し出しだ。若干、イラっとしたが、結果として令嬢は立ち上がり、場も和んだので良しとしよう。
さて、助けると言ってもどうしたものか。まずは状況を知る必要がある。
「相手の戦力は?」
頭に目を向けると、スッと一歩前に出る。
「主力が五十ほど、控えも同様です」
つまり、子爵家に攻め込むのが中級冒険者を含む主力隊で五十。留守を守るのも五十か。数だけで言えば何とかなりそうだが――問題は質だ。
主力には熟練の傭兵が多い。周りもそれに近い実力者ばかりだろう。こちらは最低でも倍は無いと厳しい。
「子爵側は?」
「百程度かと。ですがそのほとんどは農民上がりです」
頭が令嬢を気にしながら言う。数は居るがそのほとんどが戦闘の素人のようだ。
「砦の戦力は?」
頭はイケメンをチラッと見る。ああ、内情を晒すことになるからな。だが、ここはしょうがないだろう。頷くことで答えを促した。
「動けるものは四十ほどです」
なるほど。守るわけではなく攻めるとなると話が変わってくる。女子供、老人は頭数には入れられない。人数でも負けるな。だが、相手の戦力の性質を考えるとそこまで分が悪いとは言えない。
相手の主力は傭兵や冒険者──金で雇われた兵だ。家のために死ぬ覚悟は薄い。もし主力の戦意を削げば、彼らの戦う理由は消える。つまり、主力と真正面から張り合わずに勝てばいいのだ。主力ではなく、領地を狙えばいい。その為には━━
「お前らで男爵家を占拠できるか?」
「ご命令とあらば」
即答が返ってきた。本当に? 無理してない? 無理なら無理って言ってもいいのよ。
「ただし、主力が戻ってくるとなると厳しい戦いになります」
そうだな。城が危うければ主力は駆けつけるだろう。そうなればこちらは苦戦必至だ。だが、足止めは可能だ。戦力で勝てないならゲリラ戦で嫌がらせをし、主力を引き付ける。浮浪者たちにゲリラ的に石を投げさせれば足は止められる。理想を言えば主力を引き付けるための囮が欲しいが、ない物はない。
「やれそうだな」
イケメンが声を上げた。できなくはない、という空気が場を包む。だが、やる前に一つ、確認しておく。
「仮にやるとなった場合、俺はこいつらに――死地に赴け、と命じる必要がある」
子爵令嬢の目をじっと見据える。
「誰かが死ぬこともある。命のやり取りだ。あんたは――命を賭ける覚悟があるか? 人生を賭けられるか?」
こちらの命を差し出すのだ、そちらも人生を差し出して欲しい。意味は分かるよね?
「勿論です」
令嬢はゆっくりと深く息を吐き、顔を上げた。瞳には迷いはない。
「父上や民が……子爵家を守れるのであれば、私のすべてを差し出します」
言い切った。言質を取った。ハーレム要員一号ゲットだ。思わず顔がにやけそうになり、気を引き締める。
「砦衆に伝えろ。子爵家、男爵家領地内にいる浮浪者を使い主力の足止めをしろ。石を投げるだけでもいい。その隙にこっちの主力で男爵家を落す」
「はっ」
「敵の主力は俺が引き受けよう」
イケメンからの突然の申し出に驚きの声が出そうになった。本気か?
「面白そうだ。任せておけ」
「本気か? 相手の主力は結構強そうだけど」
有難い申し出だが、念のため、確認する。
「なぁに、うちも結構手ごわいぜ? よし、詳細詰めるか。楽しくなってきやがった」
イケメンは頭の肩に手を回し、部屋の片隅へと連れていく。ここでこいつが身を切っても何も得るものがないのだ。にも、関わらず手を貸す理由はなんなのか? 名声なのか、誠意なのか、はたまた狂人なのか。一抹の不安を覚えた。




