53話 清灰
灰白色の固形物を、水で濡れた手で包み込む。ゆっくりと掌で転がすようにこすると、申し訳ない程度の泡が広がった。獣脂臭がするが、灰塊ほどではない。
水で洗い流し、再度、手の臭いを嗅ぐ。
「……素晴らしい」
思わず声が出た。肌も灰塊ほどカサカサしていない。肌荒れにも効きそうだ。
「あの……これって……灰塊でしょうか?」
うさ耳が、なにかに気づいたように声を上げた。勘の良いうさ耳は嫌いだ。
「これは料理だ」
「で、ですが……」
「あれが錬金術に見えたか?」
「いえ……」
そう。錬金術の道具なんて一つも使っていない。使ったのは火と鍋だけだ。つまり料理だ。
「残念ながら食べられるものではなかったが、料理だ。わかるよな?」
「は、はい……」
ごり押した。罪悪感はあるが、もう引き返せない。――いや、禁忌には触れていない。
「臭いも少ないですし、手にも優しい感じがします!」
犬耳が素直に喜んでいる。概ね成功と言えるだろう。あとは何度か試して灰汁と脂の比率を調整すればいい。獣臭も少し残るが、香草でも入れれば消えるはずだ。
「たしかに……この程度の臭いであれば香草で消えますね。これは素晴らしい物かもしれません」
そうだろう。うさ耳も使ってみて、その良さに気づいたようだ。
「とはいえ、あまり声を大にして言う物でもないな」
何がとは言わない。うさ耳も犬耳も、黙って頷いた。
これは石鹸だ。錬金術ではなく――料理をしていたら“できてしまった”石鹸。灰塊などという錬金物ではない。
「これは灰塊ではない。清灰だ」
適当に名前を付けてみた。灰塊は不純物まみれで汚い。だからこれは、不純物を取り除いた清らかな灰石鹸――清灰。
「これ……売れるか?」
「売れるとは思います。ですが……」
うさ耳が思案している。
そう、売れるだろう。ものすごく売れると思う。俺たちは発明家……とまではいかないが、注目される。だが、そうなったときに余計な連中にまで目を付けられる。
そう、商人だ。
商人は嫌いではない。うちに来てくれている商人は良い奴だ。だが、そうではない商人も大勢いる。王都の爺商人、北の男爵家の商人。あいつらに目を付けられるのは面白くない。
***
「これは……」
砦の集会所には、俺とうさ耳、犬耳、委員長、頭、そして生産部門の担当者である男が集まり、テーブルの前で難しい顔をしていた。
「清灰と言います。三若様がお作りになられました」
うさ耳が説明する。
「館で作られたのですか? 錬金術師は居なかったと思いますが……」
「これは料理の失敗作です!」
いいぞ、犬耳。その通りだ。これは料理だ。だが、うさ耳と犬耳以外は困惑したような顔で目を見合わせている。
「これを売りたい」
俺の言葉に、頭が更に眉間にしわを寄せた。
「これは、沢山作れるのですか?」
「作れる。もう少し改良は必要だとは思うがな。ただし、作れる人間は制限したい。意味はわかるな?」
「……はい」
わかってくれて何よりだ。
「普通に売ると色々と問題になりそうだ」
「難しいことはわかりませんが、これ自体はかなり良いものだと思います。砦で使わせれば、あっという間に人気になりますよ」
生産部門の男が目を輝かせている。心配しなくても、お前に作らせるつもりだ。
どのように売っていくかは、商人と後日相談する形にした。熊様の紹介した商人なら信用できる。
作り方については、うさ耳が書き起こしてくれた紙を渡した。恭しく受け取って、生産部門の男は下がった。
「三若様。北の男爵家の動向に関して報告が上がっています」
頭が姿勢を正す。石鹸の話が終わったら温泉にでも入ろうと思っていたが、無理のようだ。
「北の男爵家は態勢を整えつつあります。どうやら、北西の子爵家領を狙っているようです」
北の男爵家のさらに北には、東西二つの子爵家がある。
東がイケメンの家で、現当主は侯国派。西は立ち位置を鮮明にしておらず、借金問題で手一杯らしい。
「借金をしているのは、北の男爵家に肩入れしている商人です」
思わず声が出そうになった。借金を理由に領地を奪う気か? やってることが極悪すぎる。もはや商人の領分を超えていないか?
「子爵家なら、それなりの戦力を持っているのでは?」
「借金があり……兵もまともにいないそうです」
それもそうか。子爵家ともなれば数百人規模の兵士を揃えていてもおかしくない。だが、兵を維持する金がなければ意味がない。兵士がいない子爵家はさぞ旨そうな肉に見えているのだろう。だが、しかし、疑問もある。
「旨い肉ならもう一つあるだろう」
反侯国派で、旨い肉――つまり、うちだ。
だが、予想に反して頭はにやりと笑みを浮かべる。
「北の男爵家はこちらを見てはおりません。三若様のご指示通りに噂が広がっております」
言っている意味がわからない。俺はそんな指示を出した記憶もない。
「商人たちはこう思っています。三若様は既に男爵家から見放されていると。その影響で我ら森隠もいずれ瓦解する……更にその影響は二若様にも波及しております。三若様と我らの没落、そして家将殿が逃げ込んだことで二若様は大層苦労しているとか……我が男爵家は放っておいても勝手に崩れましょう」
ちょっと、待て。なぜそうなる。
「三若様の思惑通り、奴らは欺かれているとも知らずに子爵家へと眼を向けております」
思考が止まる。いや、止めよう。何を言っているのかがよくわからない。とりあえず、こっちには来ないという事で理解した。
「つまり……商人たちの狙いは北西の子爵家か。と、なると、いずれは商人たちのものか」
「それですが……」
頭が言いづらそうにしている。ほかにも何かあるのだろう。
「とある御方が、砦衆に接触してきています。助けてほしいと」
「誰だ」
「北西の子爵家ご令嬢様になります」
令嬢。この言葉は今までも散々耳にしてきた。だが、今まで姉以外の貴族令嬢とあったことはない。子爵令嬢。その言葉の響きに思わず顔が綻んでいた。




