表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境三若記  作者: 芳美澪
52/82

52話 敗北

宝石のように光る川面(かわも)に、一本の糸を垂らす。風も音も遠く、時間だけが緩やかに流れていた。


「釣れませんね」


隣では犬耳が、俺と同じように糸を川面へ垂らしている。


「釣れないな」


暇潰しでやっているだけだ。釣れなくてもいい――だが、釣れたら釣れたで嬉しい。


「館に居られずとも宜しいのでしょうか?」


うさ耳が背後で心配そうに声を上げた。


「まあ、俺が居ても居なくても変わらんよ」


「そのような事は……」


爽やかな風が草を揺らし、遠くの川面で魚が跳ねる。喧噪(けんそう)とは縁遠い時間が流れていた。


「何か当たりました!」


「魚はいるようだな。釣れなきゃ意味ないけどな」


犬耳は真剣に川面を見つめ、背後のうさ耳は困ったような視線を送っている。うさ耳の心配もわからないではない。


先日、北の男爵家で大規模な戦闘が発生した。商人たちの雇った傭兵部隊が、家将(かしょう)率いる義勇兵と激突したのだ。結果は家将たちの惨敗。命からがら逃げ出した彼らは――そう、我が男爵家へとやって来た。


追い返せば良かったものの、パパとお兄ちゃんにそんなことができるわけもなく、逃げてきた家将たちを迎え入れてしまった。はっきり言って悪手だ。北の男爵たちは当然、侯国派。それに抵抗した家将たちは反侯国派として見られている。それを迎え入れた――つまり、うちも反侯国派として見られることになる。


「釣れました!!」


犬耳の竿が大きくしなる。長閑(のどか)な空気が一変し、三人がかりで魚を引き上げた。思っていたほどの大きさではないが、食べ頃だ。やり遂げた満足感からか、犬耳は満面の笑みを浮かべている。


「どうぞ」


「なんだ。お前が釣ったんだろ」


「主様に食べてほしいです」


お姉さんとしての余裕か。悔しい。でも、貰う。


「戻られますか?」


今日は釣れそうにない。うさ耳の言葉に頷き、館へと戻った。


館に戻って最初にやるのは手洗いだ。魚を触ったので手が臭い。


「三若様、こちらをどうぞ」


うさ耳が木桶に水を汲み、灰色の固形物を渡してくる。灰塊(はいかい)と呼ばれる石鹸だ。俺はこれが苦手だ。鼻を突く獣脂の匂い。泡立ちは悪く、ぬるぬるした膜だけが残る。清潔になっているのか、ただ別の匂いで上書きしているだけなのか、よくわからない。


とはいえ、汚れは落ちる。だから石鹸ではある。ただし、これを使うと肌荒れが酷い。俺は平気だが、犬耳やうさ耳は如実(にょじつ)だ。特に犬耳はよく使うので、手が可哀想なことになっていることも多い。


というわけで、今日はこれを改良したい。石鹸は錬金術で作られる。そして錬金術は、資格のない者が行うことを禁忌(きんき)としている。つまり、俺にはできない。――のだが、俺はやる。


そして今からやるのは錬金術ではありません。料理です。


石鹸の作り方は知らないが、この灰塊の作り方は本に載っていた。まとめるとこうだ。


灰汁(あく)を作り、脂を溶かし、灰汁を混ぜて、固める。”


これだけだ。つまり、この灰汁と脂をどうにかすれば、灰塊はもう少しマシになるのではないだろうか。まず、この強烈な獣臭は脂のせいだ。獣の脂をそのまま使うと臭い。ならば、水で洗って臭いを落とせばいいのではないだろうか。


「変な料理ですね」


犬耳が疑問を口にしながら、獣の脂を刻んでいる。


「どんな料理になるのでしょう?」


すまんな、うさ耳。食べるものではないんだ。と、内心で謝りながら、二人には脂を何度も茹でてもらう。上層に浮いてきた上澄みを(すく)い、新しい水に交換することで臭いを抑えようという試みである。うまくいくかは知らない。


次に灰汁だ。石鹸の原理はあまりわかっていないが、要はアルカリ性で汚れを落とすはずだ。灰汁はそのアルカリにあたると思う。つまり、これが濃ければ洗浄力が強く肌荒れしやすい。逆に薄ければ洗浄力は弱いが、肌には優しい――たぶん。


錬金術本にはこう書かれていた。灰を壺に入れて水を注ぐと、数日で白い膜ができる。つまり、その通りにやると灰塊品質。ならば、それをさらに薄めればいいのだ。……たぶん。


「三若様、これぐらいでいいでしょうか?」


うさ耳と犬耳が、溶けた脂の入った壺を持ってきた。良いかどうかはわからない。あとはやってみるしかない。鍋に溶けた脂と灰汁を少しずつ注ぎ、かき混ぜる。


混ぜるたびに、どろりとした膜が鍋の(ふち)に張りつく。ぬめりの中にまだ獣臭が残っているが、先ほどの灰塊ほどではない気がする。とろみが出てきた辺りで火を止め、木枠に流し込んで放置だ。


……本当にこれで石鹸になるなら、錬金術師いらないんじゃないか? というか、魔力すら使ってないわけだが。


「これは……なんという料理なんですか?」


うさ耳の疑問は聞かなかったことにした。


「いつ頃、食べられるんでしょうね?」


犬耳も興味深そうに木枠を覗き込んでいる。残念だったな。これは食べられないのだ。結果がわかるのは数日後。灰塊よりはマシになってくれていると嬉しい。


――だが、嬉しくない報告もある。砦衆の話では、北の男爵に組する商人たちが、うちに対して荷止めをしているらしい。


有力商人がいるって言ってたしな。うちに来るような商人では太刀打ちできない。数人の商人は前回以降、姿を見せていない。ただ、熊様から紹介してもらった商人だけは、回数は減ったが変わらず来てくれている。


物や金の流れは、明らかに細くなっている。正直、苦しい。世間的にはうちの立場は反侯国だが、俺個人としては――超反侯国だ。

覚えてろよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ