5話 両親
書斎のランプの灯りが静かな部屋を照らしていた。男爵は椅子に沈み込み、朝食での出来事を反芻していた。
(どうすればいいのだ……)
机には三男に関する報告書が広がっている。
(妻に任せきりにしたのが悪かったのか。容姿のことを言われた時、もっと寄り添ってやればよかったのか……)
成長するにつれ家族と明らかに違う姿を目にしたとき、くだらぬ疑念を抱いたこともある。妻が裏切るはずなどないのに。それでも一時期、冷たく接してしまったのは事実だった。
既に噂は領地の外にも漏れている。だが長男や長女の縁談がまとまれば、やがて薄れるはずだ――そう思いたかった。
思案に沈んでいるとノックの音が響き、妻の声が続いた。「入ります」
扉が開き、妻が近づいてくる。三男の件に違いない。机を挟んで視線が絡み、重苦しい沈黙が落ちた。
「何もお聞きにならないのですか?」
棘を含んだ声だった。
「三若のことだろう。落ち着いたのか?」
「ええ、やっと……」
「そうか」
再び沈黙が部屋を支配する。妻の声音がさらに鋭さを増す。
「それだけですか?」
「ん? ああ……」
「他にお聞きになりたいことはないのですか?」
あの子をどうにかしなければいけない事はわかっている。だが、言葉に詰まる。
「あの子は! 使用人を裸にし鞭を打っていたのです! 何度もやめるように言いました! でも……」
両手で顔を覆う妻。その光景に胸が痛む。
「なぜ、あなたは平然としていられるのですか」
叱責に反論しかけたが、涙をこぼす妻を前に言葉が喉で凍った。
「なぜ関心を向けてくださらないのです!? 一度でもあの子を叱ったことがありますか! もうあの子に私の言葉は届いていないのです……」
妻はもう限界なのだ。そう悟った。大きく深呼吸をする。
「息子二人を君から取り上げてしまったという思いから、あの子の事は少しでも君の自由にさせてあげようと思った。あの子が塞ぎこんでしまった時に私が君に任せたのだからと考えずにもう少し気にかけてあげていれば…… すまない。私の思慮が浅はかだった」
ゆっくりと立ち上がり妻の元へと向かう。「少し前にあの子と向き合ったことがある。廊下ですれ違っただけだが声をかけた」
妻は顔を上げ赤く腫れあがった目でまっすぐ見つめてくる。
「私の言葉も届かなかったのだ。その時、私は逃げたのかもしれない。どうしていいのかわからなかった」
情けない告白に、父としての自分が責め立てられる。
「だが決断しなければならないのだ」
机上の報告書を見つめながら、低く呟く。
「放逐されるのですか」
妻の言葉にハッとする。そこにははっきりとした意志があった。
「あの子を放逐なされるのですか」
二度目の言葉。妻の目には意志が宿っている様だった。絶対的な否定の意志が。
「違う。あの子は大切な息子だ。守らねばならぬ。城に置けば家そのものを危うくする。だが離れの屋敷なら監視でき、領民の目からも遠ざけられる」
捨てるのではなく。守る。その意志をはっきりと告げる。このままにするわけにはいかない。報告書には三男の噂と、それを危惧する商人や近隣貴族の声が並んでいた。胸に鈍い痛みが広がる。
「……あの子には、しばらく離れ屋敷で暮らしてもらおう」
妻の瞳に迷いと安堵が交錯した。長い沈黙ののち、彼女は小さく頷く。
灯火の揺らめきが、父の決意の影を濃くした。それは一人の父の愛情であると同時に、一人の当主の苦渋でもあった。




