39話 舞踏弐
大広間のざわめきの中で、一歩を踏み出す。小さな一歩だが、俺にとっては大きな一歩となる。最初の一声はなんと言えばいいのだろうか、「お初にお目にかかります」なのか、「初めて御意を得ます」だと、ちょっと仰々しすぎるか?
連れ添った壁の友達と別れを告げ、熊みたいな巨漢──北方伯爵長男に近づこうとした、そのときだった。
「さあ、このように喧噪響く場所から、二人だけの静寂を求めて参ろう」
朗々と響く声が、大広間の空気を支配する。臭いセリフにむず痒い想いに駆られ、声の主を探した。━━南方伯爵長男、その人だった。あろうことか姉の腰に手を回している。姉が周りを見渡し、そして俺と目が合った。その目は明確に助けを求めていた。
俺の足は止まっていた。熊さんどころではない。考えるよりも先に俺の足は姉の元へと向かう。群がる貴族を避け進み輪の中心に躍り出た。
「おお、姉上! このようなところにおられたのですね! 探しました!」
迷子になっていた可愛い弟との再会である。あながち間違いではない。突然の声にその場にいる貴族たちが俺に視線を注いだ。南方伯爵長男も同様に突然の来訪者に唖然としたのだろう。姉は男の手を振りほどき俺に駆け寄った。
「なんだお前は」
状況を把握した伯爵長男が俺を見下すように見据える。
「これは、伯爵家ご子息様とお見受けします。お目にかかれて光栄です。私は南に位置する男爵家の三男でございます。こちらにいるのは私の姉でございます」
恭しく頭を下げる。平民が貴族に勝てないように、下位の貴族も上位の貴族に勝てないのだ。つまり、この場で俺の貴族を笠に着る戦法はまったく意味をなさない。
「はっ、そうか、お前が噂の……」
俺の噂は伯爵様にも届いているらしい。すごいな。内容がアレなので誇れないけども。
「そなたの姉は私の方で面倒を見てやろう。下がるが良い」
何が、面倒を見てやるだ。お断りだっつーの。
「私はまだ子供ゆえ、姉なくしては立ち行きません。どうか、我らの家族の結びを引き裂くような真似はなさらぬよう、お願い申し上げます」
わかるよね? 子供がお願いしてるのに無下に扱うと品位を疑われるよ?
「……聞えなかったのか?」
あ、こいつ駄目だ。
「下がれと言っている! 場を弁えろ! やはりゴブリンの子と囁かれるのは納得できるわ」
周囲の貴族たちがざわめき、周りの貴族たちの目が泳ぐ。
……はい、アウトー。
こいつ馬鹿だわ。男爵家は伯爵家に対して頭が上がらないのは事実だ。当然、叱責されても涙を飲んで耐え忍ぶ必要がある。だが、叱責と侮蔑は別だ。貴族は品位と面子が重要なのだ。こいつの言葉は男爵家の面子を潰すような発言だ。例え伯爵家だろうが許されない。
俺がゴブリンの子と呼ばれているのは事実だし、どうやら多くの貴族も周知の事実だ。だが、それを敢えて公の場で言うのは貴族の品位に関わる。要は無粋なのだ。例えばここで「やはり噂は本当だったか。少しは礼節を覚えてから来るのだな」とかなら、俺もグギギギッと耐え忍ぶしかない。
他にもやり方はいくらでもある。例えば兵士や使用人に「あいつはこの場に相応しくない」とか言って俺を追い出すとかでも良い。
だが、こいつは、はっきりと公の場で「ゴブリンの子」と侮蔑した。おまわりさんの前で信号を赤で渡るぐらい愚かだ。
まてよ。そんなわかり切った不文律を破る意図がなにかあるのだろうか? いくらなんでも伯爵家の長男がこんな馬鹿な真似をするわけがないのだ。だとしたら、その目的は?
「失礼ながら、この場で私をゴブリンの子と呼ぶ意図はなんでしょう?」
考えてもわからない。わからないならわかる人に聞くのが良い。わからないままにしておく方が悪だ。
「はっ、ゴブリンの子は頭までゴブリンか」
また言った。まじでわからん。
「若輩者の愚考ですが、上位の者が下位の者に対して侮蔑をするのは貴族として品位に欠ける行為です。それでも敢えて言う。そのうえで周りを納得させることで自分の立場の強さを証明する……?」
ザワ……と周囲が揺れる。自分の立場の強さを見せつける為にやったという可能性はある。
「いや、それはないか。周りの貴族様方もこれに同調すれば同様に我が男爵家を侮蔑したことになりますしね」
ちら、と周囲を見渡す。皆が目を逸らす。誰も伯爵長男に追随しようとしない。そりゃそうだ。他の貴族からすれば迷惑でしかない。
「姉の気を引く?」
ふっ、と誰かが鼻で笑った。音の先に視線を向けると北方伯爵の次男だった。笑うな。可能性として好きな子にちょっかい出しちゃった系はありえるだろう。
「いや、家族が侮蔑されて喜ぶ家族は……いなくはないですが、この流れでそれが通じるとは思えないですしね。そんなの見りゃわかるか」
なんだろう、他に何かあるだろうか? 会場が水を打ったように静まった。思いつかない。貴族の駆け引きは俺にはまだ速かったのか。恥をかいてしまった。回答を持つ男を見る、伯爵長男の顔がみるみる赤くなっていく。
「なくね? え、なんでここで言ったの?」
思わずタメ口になってしまった。
「無礼者! 俺を誰だと思っている!」
「伯爵家ご長男ですよね」
こいつ、まじで何も考えずに侮蔑したのか? 嘘だろ。
「男爵風情が……伯爵家に逆らうとどうなるかわかっているのだろうな!」
下位の者が上位の者に対して粗相をすると、色々と制裁が与えられる。軽いもので言えば貴族派閥からの除外。要は村八分だ。辺境の男爵家にとっては既に村八分な気もするし、この流れだとこちらが制裁を食らう事はあり得ない。そんなことになったら、侮蔑を許すことになるので他の貴族が黙ってない。
あとは武力的な制裁もありえる。とはいえ、南方伯爵家の兵力は少ない。北方となると伯爵家クラスで数千に及ぶが、砦衆の話では五百にも満たないらしい。一方こちらもさほど兵はいない。だが、籠城前提なら女子供も含められる。百は出せる。百対五百は結構差が大きいが、守る形での戦いなら大したことない気がする。でも、それはそれで宜しくない。下剋上はできない。もし本当に戦争になって勝ってしまうと色々と問題だ。
「いや、男爵家が伯爵家に勝ったら拙いでしょ」
ぶっと、誰かが噴き出した。北方伯爵家の次男だ。
「なんだと……男爵家ごときが我が伯爵家に勝てるとでも思っているのか!」
「いやぁ、そんなに簡単に勝てるかなぁ? 北の男爵家と合同作戦して仲良いから、この場合、お願いすれば助けてくれそうだし……百ちょい対五百に満たない戦いでしょ。やめたほうがいいと思うけどなぁ」
思ってたことが口に出てしまった。周囲が一斉にこちらを見る。北方伯爵家の次男の目つきが鋭い。余計な一言を発してしまったのだと後悔する。
「静まれ!」
その一声で、大広間が静けさを取り戻した。落ち着いた装いながら、纏う気配に品格が宿る青年が登場した。誰もが息を呑む。
「こ、これは王子」
伯爵家長男が臣下の礼を取る。王子? 悪いが、今はそこの伯爵家長男との話が先だ。マジで考えなしに言ったのだとしたら、男爵家の侮蔑だ。百歩譲って俺への侮蔑は良いとしても、男爵家への侮蔑を放置するのは貴族として拙いのだ。俺が怒られる。
「申し訳ありませんが、先ほどの発言の意図をお聞かせ願えますでしょうか」
「待たれよ。これ以上の口論は場を乱すだけだ」
王子がそう言いながら伯爵家長男を見る。「ここは私が預かる」
「は、はっ!」
伯爵家長男は短く答えるだけで微動だにしない。
「二人とも、ついてくるが良い」
どうやら王子は俺と姉を呼んでるようだ。こっちはお前に用はねえから。と心の中で悪態をついたが、姉にぐいっと腕を引かれ、王子の後へと無理やり連れて行かれる羽目になった。




