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辺境三若記  作者: 芳美澪
36/82

36話 鍛冶

朝の貴族区画は、しんと落ち着いた空気に包まれていた。手入れの行き届いた石畳を、絹のカーテンを揺らす豪奢(ごうしゃ)な馬車がゆっくり通り過ぎていく。まるでここだけが別世界のようだ。


だが、都民区画へ足を踏み入れると景色は一変する。人の声と荷馬車の音が入り乱れ、活気が溢れ出していた。魚を積んだ荷車からは潮の匂いが漂い、果物屋の籠には色鮮やかな実が山のように盛られている。


犬耳が居たらすべての店に顔を出したがるだろうな。そんなことを思いつつ、通りを進む。背後にはうさ耳と兵士二人。彼らは次兄の部下で、大盾を扱う頼れる兵士だ。今日は軽装鎧に身を包んでいるが、視線は常に鋭い。


「おう、坊ちゃん!」


冒険者ギルドの前で、ハゲ頭が手を振ってきた。その瞬間、兵士の一人が一歩前に出て立ちはだかる。視線がぶつかり合い、空気がぴんと張り詰めた。


「おい。揉め事避けに連れて行くのに、お前らが火種になってどうするんだ」


だが、兵士は引かない。「おい」っと、腰のあたりを叩いてようやく下がった。だが、兵士の手は腰の剣柄から離れていない。護ろうとしてくれているのはわかるが、喧嘩はやめてくれ。なんとか、宥めて冒険者たちに先導するように促した。


表通りをしばらく歩くと、やがてハゲ男が立ち止まり、顎で路地を指した。


「こっから先だ。ただし……あんま貴族様の行くような場所じゃねぇぞ?」


そう言われて足を踏み入れた路地は、さっきまでの喧噪が嘘のように静まり返っていた。石畳はひび割れ、雨水が溜まっている。店先に並んでいた果物や布地の代わりに、壊れかけの木箱や酒瓶が転がっていた。ふと、背後を振り返るとそこは先ほどまでの賑やかな場所。路地の奥へと目を向けると静まり返った空間が手招きしている様だった。


行き交う人の顔ぶれも変わった。行商人や買い物客の姿はなく、人もまばらだ。気が付けば兵士の二人は俺を挟むように前後に分かれている。裏路地を歩いていると、ふと見すぼらしい男と目が合った。にやりと笑う細身の男の顔に寒気がした。そこで気が付いた、砦衆の男だ。なんでここにいるんだ。


「いまのって……」


「はい。砦衆の男でした」


寄り添うように歩くうさ耳が小声で答える。やはり間違いない。砦衆の情報網は王都の裏通りにまで伸びているらしい。味方であるはずなのに、寒気がした。


しばらく進むと、その先に鍛冶屋があった。扉は固く閉ざされ、窓は板で打ち付けられていた。本来なら槌音(つちおと)や火床の熱気が通りに漏れてくるはずなのに、ここには(すす)の匂いすら漂っていない。まるで最初から鍛冶屋など存在しなかったかのように静まり返っていた。


建物の周囲には数人の男たちが屯していた。粗末な剣や棍棒を持ち、まるで「ここは俺たちの縄張りだ」とでも言いたげに睨みを利かせている。


さて、どうしたものか。まじで夜逃げしたのか。誰もいないのか。


「おい、ここに何の用だ」


一人の男が声をかけてきた。


「おう、お前らの邪魔しに来たわけじゃねえよ」


ハゲ男がそれに応える。さすがは下の上と自負しただけあって、荒くれ者たちに一歩も引かないのは頼もしい。


「拙い状況ですぜ。どうやらこいつら借金の取り立てのようで」


ならず者と話をしていたハゲ男が戻り状況を教えてくれた。


「しかも、こいつら、赤い月の一員だ」


「赤い月?」


ハゲ男が低く答える。「王都で喧嘩を売っちゃいけねぇ連中のひとつですぜ。表向きはならず者だが、背後には貴族の影がある。だから衛兵も迂闊に手を出せねぇ」

 

王都には、いくつかのならず者集団がある。そのうちの一つだそうだ。そんな奴らと揉め事を起こす気にもなれないので出直すしかなさそうだ。


「鍛冶屋の親族の男を捕まえたらしくて、口を割らせようとしているらしいですぜ」


ハゲ男の言葉のせいで帰るわけには行かなくなった。親族の男と言うのはあの兵士の親族だろう。さすがに見捨てるのはまずいか?


「どうします? 出直しますか?」


ハゲ男がじっとこちらを見てくる。仕方がない。と、腹を括ってハゲ男を押しのけ前に出る。


「おい、お前らのボスはどこにいる」


「はぁ?」


「二度は言わん。ボスに会わせろ。無理なら、その親族の男を引き渡せ」


一瞬、沈黙。次いで、ならず者共は腹を抱えて笑い出した。


「ぎゃはは! こいつ何言ってやがる!」

「クソガキは寝てろ! ここは遊び場じゃねぇぞ!」

「助けを呼んでも誰も来ねぇ。ここは赤い月の縄張りだ!」


俺は更に一歩踏み出して言った。


「男爵家のクソガキだが?」


笑い声が途切れ、空気が凍りついた。うさ耳が小さく息を呑み、兵士たちが剣の柄に手をかける。ならず者共の顔から血の気が引いていくのがわかった。男爵家三男の立場は対して強くない。だが、少なくとも「貴族」という括りには入るのだ。踏み込まれると弱いが見せ掛けだけなら伯爵にも引けを取らない。かかってこいよ。


数人のならず者どもが顔を寄せ合い話をしている。貴族という言葉が出た以上、こいつらでは判断がつかないんだろう。


「ちょっと、待ってろ」


そう言い残し、男が路地の角を曲がっていった。数分の後、背の高い痩せた男がゆっくりと現れた。髪は短く刈られ、顔には浅く残る傷跡。腰に下げた短剣の柄には、わずかに銀の装飾が見える。こいつが赤い月のリーダーなのだろうか?


「貴族の坊ちゃんがこんなところに何の用だ?」


赤い月のリーダーが鼻で笑う。傍らの連中もにやりと笑っている。俺が貴族の子息と知ったうえでのこの反応、どうやら背後にある貴族の影は俺よりも大きいようだ。失敗したかもしれん。


「ここの鍛冶屋に用がある。親族の男を一人捕まえたらしいな? そいつをこっちに引き渡せ」


頭目は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑いを返した。「どうやら口の聞き方を知らねぇみたいだな? 貴族だからってこっちがビビるとでも思ったか? 男爵風情のガキが」


どうやら、背後にいるのは男爵より上の貴族らしい。こういうのは舐められたら負けだ。


「口の聞き方を知らないのはそっちだろう。貴族の支援があるから強気に出ているようだがな。それがどうした。お前は馬鹿か?」


ならず者共が静まり返るが、赤い月のリーダーは怒りを滲ませている。


「今、この場で互いに剣を抜いたらどうなる? もしかしたら、お前たちが勝つかもしれんな。だが、無傷で勝てるのか? こっちの兵士は辺境の地で数多の魔物と戦った歴戦の兵だぞ?」


この場にいる全員の視線が二人の兵士に注がれる。兵士は臆するところはないみたいだ。むしろ今にも飛び掛かりそうだ。冒険者たちは……流石に一歩下がってるか。


「で、勝ってどうなる? お前らは貴族殺しの汚名を受けて得るものは何もない。背後の貴族に泣きつくか? 助けてくれるとでも思ってんのか? その貴族からすれば良い迷惑だな。切り捨てるだろうな。そう考えたことはないのか? 本当にその貴族は信用できるのか?」


リーダーは舌打ちをし、周囲のならず者たちを睨んだ。だが誰も声を上げない。兵士二人の無言の威圧感がじわじわと場を支配していた。


「いいか? お前らは俺に名乗らせた時点で迷惑を抱え込んでるんだよ。俺を殺そうが、生かそうがお前らにとっては迷惑でしかない。迷惑だけで済めばいいがな」


沈黙が場を支配する。誰も何も言わない。


「……で? 俺たちにどうしろって言うんだ?」


挑発の色を隠そうともしない声音。だが、額にはかすかに汗が浮かんでいる。釣れた。


「よく考えろ、お前たちが欲しいのはこの鍛冶屋の居場所だろう? 俺たちはその親族の身柄が欲しい」


リーダーが頷く。


「その親族は恐らく何も知らない。だが、俺に恩を売ればその情報を渡せる可能性がある」


「知ってるのか?」


もう、ここからは賭けだ。まあ、賭けに負けても探らせて調べてもらえばわかるかもしれない。既にこの辺で情報は集めてるみたいだしな。頼むぞ。そう願いながら背後を振り返り、先ほどまでそこにいた男の姿があった事に安堵する。


「おい」


声をかけると、細身の男がスッと近づいてくる。「三若様がご出立したと同時期に北に逃げたそうです」と、耳打ちして下がる。


にやりと笑う顔が怖いのと、頼もしいのとでよくわからなかった。そこで気がついた、路地の影から幾つもの観察者がいることに。


乞食、浮浪者の集団がじっと俺たちを見ている。


「なんだてめぇらは!!」


赤い月の取り巻きがそれに気づく。


「消えろ!!」


剣に手をかける。


「おい、抜いたら後には引けないぞ?」


この浮浪者、乞食は砦衆の仲間、もしくは情報提供者の可能性に賭けよう。こいつらは味方だ。


「なっ……!?」


相手もそう認識してくれたようだ。大変助かります。


「で、引き渡すのか」


ならず者たちに聞く。


「情報を渡せば解放してやる」


「おい、いつから貴族様から搾取できるほど偉くなったんだ。お前らが献上したうえで俺が褒美としてくれてやろう」


再びの沈黙。こいつは馬鹿じゃなさそうだから、折れるはずだ。折れろって。


「おい、連れてこい」


折れた。数人のならず者どもが消える。リーダーと言うだけあって頭が良い。ここで騒動を起こすメリットがないと判断したのだろう。勝ち負けではないのだ。貴族相手じゃメリットどころか、デメリットしかないしな。察してくれて大変ありがたい。相手に助けられてばっかな気もするな。


引きずられるように一人の男が連れてこられた。髪は乱れ、顔には複数の痣、衣服も酷い有様だ。


「男を引き取れ」


ハゲ男たちに言うと、恐る恐ると近づき男に肩を貸す。その様子を赤い月のリーダーは何も言わずに見ている。


「五日前に北に向かったそうだ。北派の貴族にはコネなんてなさそうだが……」


情報を渡してやる。北に向かってアテは会ったのだろうかと、首を傾げる。


「北だと? くそっ!」


赤い月のリーダーには心当たりがあったらしい。「すぐに追え! 帝国領に逃げられたらどうにもならねぇ!」

そう声を張り上げて踵を返す。


「おい」


お忙しい所、申し訳ないですが。「一つ貸しだぞ」

そう投げかける。冷静に考えれば男との引き換えで渡した情報なのだから貸しでもなんでもない。


でも、こういうのって雰囲気と押しつけが大事。


「ちっ」


リーダーの口元が歪み、悔しげに舌打ちをするとその場から去っていった。

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