3話 長女
筆を置き言葉に失礼がないかを何度も確かめる。手紙を封筒に丁寧に収めると使用人に渡す。私の想いが綴られた手紙は慣れた手つきで蝋によって封じられた。
「お疲れ様でございます。お茶をご用意いたしました」
使用人の一人がテーブルにお茶を用意してくれていた。
「ありがとう。頂くわ」
子爵様への手紙を書き終え疲れた体を暖かいお茶が癒してくれる感じがした。
「失礼いたします」
扉をノックする音と共に男の声が部屋に響いた。使用人が扉を明けると壮年の執事が頭を下げて入室してくる。
「お手紙を書き終えたとご連絡がございました」
「ええ、こちらをお願い」
「かしこまりました。……やはりお断りを?」
執事は受け取った手紙を恭しく抱えながら、ふと目を細めた。
「ええ。まだ私には早いと思うのです」
「決してそのようなことは…… 奥様もお嬢様のお年頃の際にはすでに若様を身ごもられておりました」
「十六の時と聞いたわ。まだ二年もあるのよ。それにお母様は恋愛の末にと聞いています」
「失礼ながら、ご当主様と奥様は先代同士がお決めになった結婚でございます」
「お母様は恋愛と言っているわ」
「まあ、たしかに奥様の熱烈なアプローチには私も驚いた記憶がございます」
「お父様に一目惚れしたのね。お母様はお父様から。と言っているけれども」
よくある貴族同士の政略結婚なのだが、お父様とお母様はそうとは思えないほどに仲睦まじい。特にお母様は名のある貴族からの誘いを断ったうえでの結婚なのだからよほどにお父様が好きだったのだろう。
「奥様は王都で舞踏会に出れば引く手数多でございました。かつては"辺境の薔薇"と称されておりました」
執事が懐かしむように言葉を綴る。
「今でもお母様は美しいですもの」
「勿論でございます。そのようなお方が男爵家に嫁いで下さるとなった時の出来事は今でも鮮明に覚えております」
「まあ」
「まるで収穫祭が始まったかのような騒ぎでございました」
皆が声を上げて笑う。
「話を戻しますが、いつまでもお断りするのは難しいかと」
申し訳なさそうな顔で執事が言う。「お嬢様の噂は王都まで聞こえております」
「所詮は男爵家の娘ですよ?」
「王都から来る商人たちの話ではそう聞いております」
曰く、辺境に咲く一輪の百合は神がこの世にもたらした奇跡である。たおやかな指は辺境の民を癒し、艶やかな黒髪は光を受けて青みを帯び、瞳は夜明けの湖のように澄んでいる、と。
「大げさにもほどがあります。私は物語に出てくるような人間ではありません」
あまりにも誇張された内容に頭が痛くなる。
だが、それを否定するように執事が首を振る。「人伝ですので多少の誇張はありますでしょうが、嘘をついているわけではありません。商人たちはその御姿を見て王都に戻って話をするのです」
「私は、お母様のような人生を歩みたい」
両親は政略で結ばれたと聞くけれど、幼い頃から二人の仲睦まじい姿を見て育った。母が父を一途に想い、父がその想いを静かに受け止めた――その物語に、私は恋というものを夢見ずにはいられない。その言葉に使用人たちが顔を伏せる。お父様とお母様のような例は珍しいと何度も言われた。それでも理想が目の前にあるのだ。
「若様にもいくつかお手紙が届いているようですな」
執事が話題を逸らすように口にした。
「まあ、そうなの?」
「はい、ここからほど近い男爵家のご令嬢からと伺っています」
「知らなかったわ」
いずれは我が家を継ぐお兄様の元に嫁いでくる女性はどういった方なのだろうか。
廊下の向こうにいる兄たちを想う。厳格な兄は父の背を追い男爵家の後継ぎとして使命を果たそうとしている。豪放な兄は兵と笑い合い辺境の地に住む人たちの安寧の為に剣を振るっている。この地は決して優しくない。そんな辺境で懸命に生きる人たちの為に私も何かをしてあげたい。
「知らないのも無理はありません。何度か破談にもなっていますので」
「それはどういう……」
「三若様のお噂も有名になっております」
顔を顰めるしかできなかった。弟の行為は悪行として城だけでなく町にまで伝わっている。今となっては近隣の町にまでその噂は届いている。
いつから弟は変わってしまったのだろうか、幼心に弟を抱きしめて共に笑いあった事もあった。物心ついた頃には一緒に遊んだこともある。私が十歳になるころには貴族としての勉学もあり兄弟で一緒にいる時間も少なくなってしまった。その時には弟は部屋に閉じこもることが多くなった。
お母様とお父様の献身で外に出るようになった時には他者を顧みない性格へと変わってしまっていた。
「あなたたちには迷惑をかけます」
弟の悪行の矛先は目の前にいる使用人たちに向かっている。
「我々の事は良いのです。ですが、既にお家の問題にまでなりかけております。ご当主様にもご決断して頂く必要が来ているのかもしれません」
「どういう意味ですか」
「これ以上は、若様は元より、お嬢様の将来にまで影響が出かねません。三若様には当家を出て頂く……」
「それ以上は許しません!」
気づけば私は立ち上がっていた。椅子の脚が床を擦り甲高い音が部屋に響く。淑女としての振る舞いも忘れ、胸の奥から言葉が溢れ出した。
「弟を貶めるような物言いは許しません!」
怒りで震える声に、使用人たちは一斉に頭を下げる。
「申し訳ありません。出過ぎたことを申しました。どうかご容赦を」
俯く彼らの姿に、胸が締め付けられる。弟の横暴に苦しむのは彼らだ。それでも―― それでも私にとっては愛しい弟なのだ。幼い日の記憶が脳裏をよぎる。小さな体で必死にしがみついてきた温もり。泣きじゃくる弟を抱きしめ背を撫でたときの心地よい重み。あの温もりがこの胸にまだ残っている限り――誰が何を言おうと私は弟を見捨てることはできない。いつかまたあの笑顔を取り戻してくれると信じて




