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辺境三若記  作者: 芳美澪
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2話 長兄

「若様。おはようございます」


朝食を終え、散歩がてら城を歩いていると兵士に声をかけられた。俺は次期当主として、兵たちから“若”と呼ばれている。


「ああ、おはよう。そういえば子供が生まれたそうじゃないか」


「へへ、そうなんです。男の子でして」


兵士は照れ臭そうに頭をかく。


「そうか、では家族も喜んでいるだろう」


「大喜びです。俺も頑張らないと」


「無理はするなよ」


見送った兵士の背を追いながら、目を巡らせる。見渡せば、石造りの城壁の中にいつも通りの兵舎や礼拝堂が目に入る。兵舎には二十名ほどの兵士が詰め、反対側には礼拝堂と小さな広場。広場では村人たちが品を並べ始めていた。ここは辺境の地の市場として長年利用されている。


礼拝堂前の広場に近づくと村人の一人がこちらに気づき声をかけてきた。


「若様! 今日は良い肉が手に入りました」

 

木の台に吊るされた大きな獲物を誇らしげに示す。

 

「猪か。東の森で?」

 

「はい。父が仕留めました。これほどの大物は久しぶりです」


「森の奥まで行ったのか?」


「いえ、先日の魔物騒ぎもありますから、奥へは行かないと話し合っています」


「それが良い。何があるかわからない。深入りするのは控えるべきだ」


「はい。もう一度、父に言っておきます」

 

村人の言葉に頷きつつ、森の様子に思いを巡らせる。


(魔物が増え獲物は減っている。狩人が森の深くへ行きたがるのも無理はない。南や西の森へは道が悪く、北は王都へ続く街道。動ける範囲は狭い。やはり東の森が我らの生活線だな。なんとか維持せねばならない。一度、大掛かりに捜索と討伐を行うべきだろうか)


「これだけの肉なら王都でも高く売れそうですが……」


「たしかに立派だな」


改めて獲物を見るとここ最近では見かけることがないほどに大きい。これほどの獲物なら王都で高く売れるだろう。


「王都ではこれほど大きな獲物はとれないでしょう?」


「どうだろうか。王都は港もある。船で運ばれたりもするだろう」


「たしかに、王都ではなんでも揃いそうですね」


仮に大きな獲物はいなくとも港からの輸入品、海産物などで十分賄える。王都が王都と呼ばれる所以だ。品数の豊富さと人の多さは辺境の地とは比べ物にならないだろう。


「今日も一生懸命働かねぇと! 親父にも女神様にも顔向けできないですからね」


村人の言葉に視線が自然と礼拝堂へ向く。世界を想像した男神と女神を祀る礼拝堂は村にも、一つあるが、城の者にとってはこちらの方が身近だ。


村人と別れ、外の空気を吸い、気分転換もできたなと大広間へと足を向けた。入口の扉を守る兵士が扉を開けてくれたので軽く手を挙げて礼を言う。


大広間はすでに朝の食卓の姿を消し、メイドたちが床を磨いていた。窓から射し込む陽光に、磨かれた石床が淡く光る。まだパンの香りとスープの湯気がわずかに残っており、城の一日が始まったことを告げていた。


今朝の騒ぎの痕跡はテーブルと共に消えていた。使用人たちの手際の良さには頭が下がる。「ご苦労」と声をかけると、メイドは恐縮して深々と頭を下げた。


居住区へ向かう。二階へ上がると長い廊下が出迎えてくれる。厚い絨毯が敷かれており足音さえ吸い込まれる。壁には先祖の肖像画が並び、男爵家の歴史が語りかけている様だった。廊下には家族の部屋がずらりと並んでいる。手前は三男の部屋。足が止まりそうになるが、溜め息を押し殺して通り過ぎる。


(あの行いは、いずれ咎めねばならない。だが……)


村人たちは弟を「ゴブリンの子」と陰で呼ぶ。鼻も低く、家族の誰にも似ていない。兄としても弁護できるほどの容姿ではない。憐れんだ結果、弟は誰の咎めも聞かない性格になってしまった。責任は我らにもある。


長女の部屋の前で一瞬足が止まる。母上の美貌と父上の穏やかさを兼ね備え、王都でさえ噂になる“辺境の百合”。そんな妹の気配を背に、向かいの扉へ視線を移す。そこは次男の部屋。豪放(ごうほう)だが頼りになる弟だ。自室へ向かおうとしたところで、母上と鉢合わせた。後ろに控えていたメイドが慌てて下がり、深々と頭を下げる。


「母上。どちらに?」


「……三若(さんわか)の所に」


空気が張り詰める。


「あのような行動は(とが)めるべきです」


「わかっています」


言ってから、胸に苦味が残った。母上こそ、誰よりもわかっているのだ。


「あの子を思えばこそと見守ってきましたが、甘やかしすぎたのかもしれません」


陰で(ささや)かれる呼び名──“ゴブリンの子”。母上はその言葉を聞くたびに、弟を守ろうとした。


「私から言い聞かせます。もう少し見守ってくれますか」


「私にとっても大切な弟です。もう少しではなく、いつまでも見守ります」


「……ありがとう」


母上が弟の部屋へ入っていくのを見届ける。心の(もや)を晴らそうと足は自然と塔楼(とうろう)へ向かっていた。大広間に隣接するように立つ塔楼は、丘の上に立つ屋敷の中でも最も高い建物だ。


塔楼の最上階では兵士の一人が配備されており、異変を見逃すまいと遠くを伺っていた。


「これは若様。こちら、異常ありません」


姿勢を正した兵士がそう告げる。


「ああ、すまないな。少し風に当りに来た。邪魔をする気はない、引き続き警戒してくれ」


「はっ」


簡単に話を終え、塔楼から見える景色を望む。決して高くはないが、この辺境の地を一望できる。塔楼の上から見渡せば礼拝堂前の広場に人だかりが見える。遠い辺境にまで足を運ぶ商人たちがいることは我らにとって何よりの恩恵だ。城門から伸びた北の街道に目を向ける。北へ伸びる街道は村を抜け、さらに先には王都がある。


「王都か」


俺の独白に兵士が相槌を打つ。「そういえば、そろそろ祭りの時期とか」


「ああ、一度、父上と王都に行った時、見に行ったが…… あの人混みには参ったな」


「俺はこっちの収穫祭の方が好きですね」


「はは、そうか」


視線を東の森へと移す。この辺りは未開拓の地が多い。土地はあるが広く農作物を作るとなると、人も金も必要だ。それを補ってくれるのが東の森だった。東の森は領民にとって恵みであり同時に脅威でもある。


(やはり東の森の魔物はどうにかせねばならないな)


だが人の手が入れば自然は荒れる。獣たちへの影響は最小限にしなければならないのだ。判断が難しい。父上ならどう裁くか…… 俺はまだその重さを測りかねている。


西と南にも深い森が広がっている。だがどちらも行くには川と丘が行く手を阻む。手を伸ばすには危険が大きすぎる。


男爵家の長男として生を受け、父上の後継ぎとして期待をされているのは十分に理解している。我が祖先はかつて東の公国との大戦にて功績を認められこの地を正式に拝命された。それ以来、我が男爵家はこの地を守り続けてきた。俺はこの地を、ここに住む人たちの繁栄を約束せねばならない。それが貴族としての使命なのだ━━ そして、俺自身の誓いだ。

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