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辺境三若記  作者: 芳美澪
18/65

18話 日常

現実と夢の境界線に立っているような不思議な感覚。そんなまどろみから無理やり現実に引き戻されるように、閉じた瞼の裏側を赤く塗りつぶされた。少しでも抵抗しようと右手で顔を隠しながら、ああ、もう朝かと頭が理解した。パタパタと誰かが動く音と共に閉ざされていた部屋に朝の空気が舞い込んだ。


「おはようございます。三若様」


聞きなれたうさ耳の声が聞える。離れたがらない瞼を無理やりこじ開け、その姿を捉えた。


「ああ、おはよう」


「朝食の準備はできております」


「ああ、うん」


体を起こし立ち上がる。用意された水桶で軽く顔を洗うと一気に現実へと舞い降りた気分になった。開け放たれた窓からは爽やかな朝の空気と穏やかな自然の音が舞い込んでくる。以前は難民たちの生活音がしたが、既に全員が秘密拠点へと移動した。長閑な幽閉生活が再びこの屋敷に訪れている。


着替えを手伝ってもらい小広間へと降りる。夜は一緒に食べるが、朝と昼は俺一人だ。嫌われているからとかではなくて、単に取るタイミングの問題だ。嫌われているわけではない。重要なので二回言った。髭一家もうさ耳も朝が早いので俺が起きるころにはとっくに食べ終わってるのだ。


さて、肝心の朝食だがここで一つ朗報がある。最近食事が美味しい。前に「また塩か」と愚痴ったらそれを聞かれていたのか、うさ耳も髭の奥さんも張り切ってくれたらしい。


そんな朝食が今、目の前に置かれ俺を待ち受けていた。席に座り皿を前にしただけで、ニンニクの香りが鼻をくすぐった。これだけでご飯が進む気がする。いや、白米はないんだけど。黒パンで我慢だ。パンはスープに浸し柔らかくしてから口に運ぶ。次にトマトソースをちょんと付けて肉をかじると、塩辛さの中にニンニクとかすかな酸味が混ざり、思わず目を細めた。前ならただしょっぱいだけだったのに、今は「味」がある。素晴らしい。


お気づきだろうか、ニンニクとトマトの登場である。トマトは赤くなく緑なので、若干馴染みはない。青臭さとさっぱりした味わいなので俺の思い描くトマトではない。それでも調理方法のおかげで酸味の聞いたさっぱりソースとして欠かせない品に仕上がっている。


肉も改善している。塩漬け肉が基本だったのだが、ニンニクが手に入ったことで保存方法に変化が起きた。難民の一人が故郷でやっていた方法らしく。塩をまぶした肉にニンニクといくつかの香辛料をペーストにして塗りこみ乾燥させる。そうすることで単に塩辛いだけの肉ではなく、風味のある塩辛い肉になった。詳しいやり方は知らないが、スパイシーな生ハムみたいな感じで素晴らしい。


食後、庭に出ると髭親父と息子が畑の世話をしている姿が目に入った。髭親父は手に入れたニンニクとトマトを植えている辺りで難しい顔をしている。初めての野菜なので色々試行錯誤しているのだろう。息子は草むしりに勤しんでいる。


「お待たせしました」


振り返るといつもとは装いの違う、うさ耳がいた。いつものメイド服ではなく、チェニックとズボンで動きやすい格好をしている。髪も後ろでまとめているので雰囲気も違う。残念ながら耳は見えない。もちろん、うさ耳じゃないほうの耳がだ。


「いつもと違うな」


もっと気が利いた一言が言えないのかと、後悔した。


「森の中ですので動きやすい服に着替えました」


動きやすさというのは間違いではない。体にフィットした装いだ。言い方を考えないなら体のラインが出ているともいえる。ちょっと目のやり場に困るな。おかしい、露出は減ってるのに。うさ耳もいつもと違う服ということで気恥ずかしいのか、若干、もじもじしている感じが可愛い。あれ、俺って許されてる? と一瞬油断しかけたがそんなわけがないと気を引き締める。まあ、いきなり刺されるとかはないだろう。ないよね?


「向かわれますか?」


俺は頷いて返答する。今日は森の砦の視察だ。難民が砦に移動して数ヶ月。だいぶ様変わりしているとのことなので見に行きたいと言っていたのだ。森の入口まで迎えが来てるらしい。村の北から東へと折れ、歩いていると数人の難民が姿を現した。攫われた時を思い出してちょっと驚くが顔には出さない。


「三若様。お待ちしておりました。ご案内します」


男女の案内人に従い森の中へと入っていく。森を抜けると砦が見えてくる。砦は前に見たときと違い姿を変えていた。残骸は片付けられ、その代わりに木の杭や柵、鋭くとがった木の槍が外部からの侵入を拒んでいる。砦側の川は掘り下げられているようだ。色が違う。見た目以上に深くなっており、簡単には渡れそうにない。あの時は「死の匂い」で溢れていた場所が、今は確かに「生の匂い」で満ち溢れていた。


中に入ると、広場に面した畑が目に入った。屋敷の庭よりも広く、芋や豆が一面に植えられている。川から引かれた水路が土を潤し、子供たちが水桶を運んで笑い合っている。


その横の建物からは煙が立ち上っている。土と火の匂いが立ち込めていた。難民の中に鍛冶の見習いをしていた男がいたらしく、彼を中心に簡易の窯が作られている。打つのは鉄ではなく、粘土を焼いて作ったレンガや土器だ。皿や壺ができることで生活は一変した。奥にはいくつかの小屋と、ひときわ大きな集会所が建っていた。扉の隙間から子供の声が漏れ、人の気配が溢れている。


話によるとあれ以来、難民の数は増えている。今では五十名を越える人間がここに住んでいるらしい。俺が「難民の知り合いいるなら声かけてみれば?」という一言でこうなってるらしい。少し離れた子爵の領地の浮浪者にまで声をかけてるらしい。そんなに手広くやって人が入りきるんだろうか?


「三若様!」


集会所へと近づくと頭たちが出迎えてくれた。


「ご足労をお掛けし申し訳ありません」


全員が頭を下げるが、そんなに大層な話でもないので軽く手を挙げて中に入る。中はそれなりな広さになっている。恐らく、ここで色々話し合いとかしてるんだろう。


「最近はどうだ?」


普段は簡単な報告しか来ない。


「順調です。生活は向上し、人も集まってきてます」


それだ。集めすぎるのも問題だと思うのよね。


「入りきらなくなるだろう」


「今の倍程度は問題ありません。それに必ずしも来いとは言っていません。我らの庇護を得ることで情報を売る者も多いです」


どういうことだ。


「先日、北の子爵様は愛人が見つかり夫婦喧嘩になったとか」


頭がにやりとこちらを見る。「ご命令とあらば愛人についてもお調べできますが?」


「必要になったらな」


なにそれ。怖い。難民、浮浪者ネットワークか?


「難民と浮浪者がいない場所はありません」


自信ありげに語る頭に鳥肌が立った。

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