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辺境三若記  作者: 芳美澪
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16話 事件

あれから数日――特に何も起こらなかった。報告は来ている。熊の行動や状況について。そこまで焦って動くわけではなさそうなので、どこかでちゃんと言わないと駄目だなと思ってる。今日あたりにでも言うか。あの“作戦”は、どう考えても無茶だ。仮にやるにしても二の矢、三の矢の準備をしたうえでやるべきだ。


昼下がりののどかな日、畑の手伝いも、館の修繕も、どこかゆっくりとした空気が流れていた。


だからこそ。


「三若様――ッ!」


小広間の扉が勢いよく開かれ、駆け込んできたのは髭息子だった。肩で息をし、顔は蒼白。息の合間に途切れ途切れの言葉を吐き出す。


「魔物に……っ、見つかって……! 砦が……っ!」


言葉の半分以上、理解していない。だが胸を締めつける感覚に、思わず立ち上がっていた。


声がでない。ゆっくりと言葉をほぐすように理解し始める。森でなにかが起きた。


髭息子の報告は断片的で、まとまった言葉にならなかった。聞きたいことは山ほどある。だが、今この場で問いただしても混乱を増すだけだ。


「皆を集めろ」


近くに控えていた、うさ耳に言う。自分でも驚くほど冷静な声が出た。震えを抑えるために無理やり低く押さえつけたのだ。


髭息子は母親に水をもらって飲んでいる所だった。それをじっと待つ。心臓が痛いほど暴れていた。喉の奥が渇き、何度も唾を飲み込む。


(……なにが起きた?)


館の中は静かだ。外からは畑を耕す声や、子供の笑い声が微かに届いている。日常と惨状の落差が、さらに胸を締めつけた。ほどなくして館の前に難民全員が集められた。うさ耳の後をついて外に出た。そして森で起きた事件が語られることになる。


「話せ。なにがあった?」


髭息子に説明を促す。


「俺、親父と一緒に森の入口まで行ったんです。定時報告が入るからって。そしたら」


早口で言いきり、一度、間が空く。「報告の人が来なくて……心配になった親父が森に入ろうとして。そしたら報告が……魔物に見つかったって」


記憶を探るように言葉を繋いでいるのがわかる。いまだに気が動転しているのだろう。それはこの場にいる全員が同じだった。


「見つかったって……どういうことだ」

誰かが震える声で問いかける。


「魔物に……見つかったって……それしか……」


言葉は途切れ途切れで、まともな説明にならない。だが「魔物に見つかった」という言葉だけで十分だった。館に集まった人々の間にざわめきが走り、顔色が次々と失われていく。


最悪な結果になったことをようやく理解し始めた。習性や行動を把握して成功率を上げる。そう言っていたが、結果として見つかり襲われたのだろう。盗賊どころの騒ぎではない。死者が出た可能性がある。漁夫の利どころか、こっちが良い餌になったというわけだ。


何人が死んだ? 七名が森に入ってたはずだ。全員か?


後悔という名の感情が胸をどろりと覆うような感覚。もっとまともな指示がだせただろうという自分への怒りで体が震えそうになる。城に助けを求めるべきだろう。今更かもしれないがせめて亡骸だけは取り戻すべきだ。


そのとき、「あれ!」と、誰かが叫ぶ。


気が付けば辺りは影を帯びていた。だが土埃にまみれた一団がはっきりと見えた。中央には負傷した男を支える髭親父、そして血のついた布で腕を押さえた頭がいた。


「……戻ったか」

誰かが呟く。


場のざわめきがさらに大きくなる。だが今度は期待と恐怖が入り混じったざわめきだった。そして館の敷地へと足を踏み入れた八人を皆が出迎える。


「治療してやれ」


俺の言葉に女たちがハッとしたように動き出した。髭親父が支えていた男が一番重症の様だ。頭は腕を負傷したか。他は大きな傷を負ったようには見えないが、満身創痍だ。水が配られ、重傷の男が運ばれていく。頭は大丈夫そうだ。その場で治療が始まった。


「申し訳ありません」


治療を受けながら頭が頭を下げる。


「何があった」


俺の促しに頭は淡々と起きた事を話した。


母熊の調査は問題なく行われていた。むしろ順調で今日の調査を完了したら次の段階に進むつもりだったそうだ。だが、帰ろうとした時に事件が起きた。同種の雄熊と鉢合せたのだ。しかも魔物化した個体。その体躯は母熊の数倍にも達していたらしい。全員が身動きができなかったが、一人がその恐怖から動いてしまったらしい。背を向けてという最悪な行動で。それに反応した魔物が襲い掛かってきて大混乱になった。勝てない、逃げれないと判断した頭は作戦の開始を合図し、逃げる仲間を囮にして母熊と子熊へ接近した。それを見た魔物が子熊を抱えた頭へと襲い掛かってきたそうだ。どうも魔物と母熊は番だった可能性がある。


なんでそんな状況で作戦実行したんだと疑問だったが、どうも最初に逃げたのが砦方面に向かってしまったので、こちらの存在がバレるのも時間の問題だったらしい。


「それで?」


「そのまま、子熊を連れて砦に逃げ込みました。助けてくれ、と叫びながら」


盗賊たちも驚いただろうな。突然の救援要請が来たと思えば怒り狂った魔物化した父ちゃん熊と母ちゃん熊が襲い掛かってきたわけだ。


「子熊を砦内に置いたところで盗賊たちが熊へと向かっていくのが見えました」


「お前たちはどうした」


「我々は全員を集めてその場から逃げる事しかできず……」


頭は面目なさそうに俯いた。だが、それは正解だっただろう。そこまでの個体となれば怪獣に近い。どうにもできないだろうな。


「盗賊どもがどうなったかは……」


頭の声が重く響いた。庭は静まり返り、誰もが安堵と恐怖のはざまで言葉を失っていた。今回の件は事故に近い。だが、小川を境に雰囲気が変わることの情報をもっと重視していれば警戒できたはずだ。安易に熊を利用するといった俺の発言が原因だと言っていい。


「申し訳ありません。もっと俺が注意深く見ていれば……」


頭が頭を下げる。


「彼を知り己を知れば百戦殆からず」


ふと、昔読んだ歴史漫画の一コマが頭をよぎり言葉に出た。


「それは……」


「戦う場合には、敵と味方の両方の情勢をよく知った上で戦ったならば、何度戦っても敗れることはない。という意味だ」


口にしてから、虚しさが広がった。俺にはそんな情勢を測る力なんてない。何もわかってはいない。ただの思いつきで口を開き、人を死なせかけただけの男だと再認識させられた。

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