第3話 うちの常識は、世間の非常識らしい
「よい……しょっと!」
私はオークキングの半身を軽々と肩に担ぎ、家路についた。鼻歌交じりだ。
今日の夕飯は生姜焼きに決めた。あのピリッとしたタレが、豚肉……いや、オーク肉の脂と絶妙にマッチするのよね。
一方、私の後ろをついてくるアレクはというと。
「ふんっ……ぬぅ……お、重い……」
顔を真っ赤にして、プルプルと足を震わせながら、オークキングのもう半身を引きずっていた。さっきまでの騎士様らしいキリッとした表情は見る影もない。
そりゃそうだ、体重が何キロあるか分からない巨体だもの。鎧を着たままなんて、無謀にもほどがある。
「無理しなくていいのに。そこに置いといてくれたら、あとで取りに来るから」
「い、いえ! これしきのことで、賢者様の手を煩わせるわけには……!」
「だから賢者じゃないってば。というか、その賢者って一体誰なのよ」
「え? ご存じないのですか? ここ数年、この森の周辺では病や怪我が瞬く間に治ったり、枯れた作物が蘇ったりと、奇跡のような出来事が相次いでいるのです。人々はそれを、森の奥に住むという謎の賢者の御業だと噂しておりまして……」
あー……。それ、多分、全部、私のせいだ。
病や怪我っていうのは、私が調合に失敗した薬を川に流しちゃった時のやつかな。下流の村で、万病に効く『奇跡の川』とか呼ばれてるって、風の精霊が教えてくれた。
作物が蘇ったっていうのは、私が畑を広げようとして、生活魔法の『グロウ』をちょっと広範囲にかけすぎた時のことだろう。うん、間違いない。
まさかそんな大袈裟な話になっているとは。 しかも『森の賢者』って。もうちょっとマシな二つ名はなかったのかしら。
「……まあ、いいわ。それよりアレク、家に着いたよ」
私がそう言うと、アレクはハッと顔を上げた。そして、目の前に立つ私の家を見て、ポカンと口を開ける。
「こ、これが……賢者様のお住まい……?」
無理もない。私の家は、そこらへんの木を適当に組み合わせて、土のゴーレムに壁を塗ってもらっただけの、山小屋と呼ぶのもおこがましい代物だ。
屋根には苔が生え放題だし、煙突はちょっと曲がってる。
「まあ、見た目はボロいけど、中は快適なのよ。さ、入って」
私がドアを開けると、中からカチャカチャと金属音が聞こえてきた。
「リリ様、お帰りなさいませ。……そちらの方は?」
リビングアーマーのアーマーさんが、お盆に冷たいお水を用意して出迎えてくれる。
その姿を見たアレクは、さっきオークキングを見た時と同じくらい目を丸くして、完全にフリーズしてしまった。
「あ……あ……よ、鎧が……喋った……!?」
「うちの執事のアーマーさん。便利だよ」
「し、執事……!? アンデッド……いや、魔道具の一種、ですか……?」
「さあ? 拾った鎧に魔力を込めたら、いつの間にかこうなってた」
「拾った鎧に魔力を!?」
いちいち驚くアレクをよそに、私は担いできたオーク肉をキッチンの巨大なまな板というか、ただの岩の上にドスンと置いた。
「アーマーさん、ごめん。夕飯の準備、手伝ってもらってもいい? アレクの分もお願いね」
「かしこまりました。本日のメニューは?」
「オークキングの生姜焼きよ!」
「うわっははは! そいつは豪勢だな、リリちん!」
突然、天井からぬっと巨大な顔が逆さまに現れた。爛々と輝く金色の瞳に鋭い牙が覗く。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
アレクが短い悲鳴を上げて、腰を抜かした。剣を握ろうとするけど、さっき落としたままだったらしい。
「ドラゴン!? な、なぜドラゴンの首が家の中に……!?」
「ああ、エンシェントドラゴンのエンシェントさん。この家の屋根裏に住み着いてるの。家賃代わりに、たまに火を貸してもらってる」
「やあ、そこの騎士の嬢ちゃん。今日の火加減はミディアムかい? ウェルダンかい?」
「じょ、嬢ちゃん……!?」
アレクが、なぜか顔を真っ赤にして狼狽えている。エンシェントさん、見ただけで女の子だって見抜いたのかしら。
さすが長生きなだけあるわね。
「エンシェントさん、火は後で借りるから。それより、勝手にお客さんを女の子扱いしないの。ほら、アレクが困ってるでしょ」
「む? そうか? こりゃすまんかったな、騎士の兄ちゃん」
「あ、い、いえ……」
アレクはしどろもどろになりながら、必死に平静を装っている。何か事情がありそうだけど、まあ、深くは聞かないでおこう。
「さ、アレクも座って。お水どうぞ」
土のゴーレムが作った椅子を勧めると、アレクはまだ状況が飲み込めていない様子で、おそるおそる腰を下ろした。
「あ……ありがとうございます……」
「しかし、驚きました。リリ様がお客様をお連れするなんて、15年ぶりでは?」
「そうねえ。というか、アレクはそもそもなんでこんな森の奥まで来たの? 騎士団の任務か何か?」
私がそう尋ねると、アレクはハッとした表情になり、居住まいを正した。
「そ、そうでした! 僕は、任務の途中で……オークキングに部隊を壊滅させられ、一人この森に迷い込んでしまったのです」
「部隊が壊滅……? あのオークキング一体に?」
「は、はい……。あれはただのオークキングではなかった。異常なまでに強靭で、まるで何かに取り憑かれたように凶暴で……我々の剣も魔法も、全く歯が立ちませんでした」
ふむ。私にとっては、薪割り斧で一撃だったけど。
まあ、私の基準が世間一般からズレまくっていることは、さすがに自覚している。
「それで? 任務っていうのは?」
「それは……」
アレクは一瞬、口ごもった。
言いにくいことなのだろうか。
「……この森に自生するという、『月光苔』の探索です」
「げっこうごけ……」
あ、それ、さっきアーマーさんが言ってたやつだ。私の家の周りに雑草みたいに生えてる、夜になると光る苔。万病を癒し、死者すら蘇らせるという、国宝級のアイテム。
「王都で流行り病が……? それとも、誰か偉い人が死にそうとか?」
「! なぜそれを……!? さすがは賢者様……!」
いや、勘です。
アレクは、私のただの勘に感動したのか、目をキラキラさせながら身を乗り出してきた。
「はい! 実は、国王陛下の一人娘である、ソフィア王女殿下が、原因不明の病に倒れられて……。日に日に衰弱されており、もはや『月光苔』にしか助ける術はないと、宮廷魔術師長が」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
アレクの話を遮るように、再び森が、いや、家が激しく揺れた。さっきのオークキングの時よりも、もっと強い揺れだ。
「な、なんだ!?」
「また何か来たの」
「リリ様、今度は家の裏手です!」
アーマーさんの言葉に、私は裏口のドアを勢いよく開ける。そこには、信じられない光景が広がっていた。
うちの畑が……私が丹精込めて育ててきた野菜たちが……無数の小さな魔物に食い荒らされているのだ。
緑色の体に、大きな口だけのスライムとゴブリンを足して2で割ったような、見るからに厄介そうな魔物の群れ。
一匹一匹は弱そうだけど数が尋常じゃない。
「あーーーーーっ! 私のトマトがあああぁぁぁっ!!」
私の絶叫が森中に響き渡った。
生姜焼き用に育てていた、特別な生姜もやられている。
「……許さない」
ゴキリ、と首の骨が鳴った。
振り返ると、アレクが「え、何この人怖い」みたいな顔で私を見ている。
冒険の準備?
ソフィア王女?
月光苔?
そんなことは、どうでもいい。
今はただ、私の可愛い野菜たちの仇を討つ。それだけだ。
「ちょっと、畑の害虫駆除してくる」
私は、キッチンの隅に立てかけてあった、もう一本の薪割り斧――こっちは対集団戦用の刃渡りの長いタイプを手に取った。
ああ、もう! なんでこう、次から次へと面倒事が起きるのよ!
私の冒険は、一体いつになったら始まるっていうの!?