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人は自分で選びたい

三月三十日 晴れ

普段着で行って良いのだろうか


「会合があるのと、このところ付き合いが続いてて……」

「春だし出掛ける予定入れちゃったのよね」


 二人とも「もっと早くに言ってくれないと」とのことだった。

 両親を誘い、喫茶店「竹籠(たけかご)」に行こうと思っていたが二人に断られてしまった。竹籠はもうすぐ閉店してしまうのでその前に行っておきたかった。かと言って一人で行くのもはばかれる。

 店ができたばかりの時に家族で行った時には、珈琲や紅茶などの飲み物と卵を使った西洋風の料理を提供する店だった。人伝に聞いたところ、最近は画家が集まるサロンのような場になっているらしいとも聞く。絵心は無いし、美術にも詳しくない。そんな話を振られたところで会話についていけるわけがない。そういう高尚な店には一人で行ったこともなければ、一人で入って何をしたら良いかわからない。一人だからと周りに気を遣わせてしまって声を掛けられても困る。気のない返事をしてへらへら笑っている自分が目に見える。

 飯屋には一人で行くこともあるが、そんな洒落ている場所にはどのような心持ちで行ったら良いのかわからない。この年にもなり、近所の喫茶店に一人で行くこともできないのかと自分の生きる世界がとても狭いことを気付かされ、ひどく落ち込んだ。

 こうなったら誰かを誘って行くしかないか……。

 真っ先にお隣りの「鮨処岩松」にいる修さんの顔が脳裏に浮かんだ。修さんも自分と同じ雰囲気を感じる。一緒に竹籠で珈琲を飲んでいる姿が全く想像できない。断られそうな気がする。

 次に裏手にお住まいの橘さんの顔が浮かんだ。橘さんは一体何の商売をしているかわからないが、立派な服装をした人が時々店先を訪れているのを見た事がある。骨董品を扱っているのか、店先に陶器が置かれていることがあった。彼自身が文化人なような気もしている。ただ、彼は恐ろしく見た目が整っているので一緒に並んで喫茶店に入るのに抵抗がある。店内にいる客の視線を一身に浴びるだろう。そして会話にもついて行けない自分は人から見向きもされないのだ。


「うーん、どうしようかなぁ……」

 

 帳場でため息をついたところ、近くの椅子に座り角打ちをしていた桜井さんが手にしていた本をぱたりと閉じた。


「何か悩み事? 今なら診察代は無料で聞いてあげる」

「知ってます? 少し行った先にある竹籠っていう喫茶店なんですけど」

「あー、あそこ。閉店しちゃうんだってね」

「閉店前に行こうかなと思ってるんですけど、一人で行くのはどうも……」


 桜井さんは升の角に口をつけて、ひと口飲んだ。この人は既に三杯目を飲んでいるが、顔色ひとつ変えない。


「あれ? 誠一郎さん、そういう人だったっけ? 場所見知りする人? なら誰か誘って行ったら?」


 それはたった今考えていたことなので黙っていると


「ははーん、誘う人がいないのか。私が一緒に行ってあげても良いけど」


 桜井さんは悪い人では無いが……。嫌いとか苦手とかそういうのでは無いのだが。とても気乗りがしないのはなぜだろうか。一緒に行く人は自分で選びたい。


「…………」

「え、ひど。面と向かって断られた。誠一郎さんね、人は良いし優しいけど、君、わりと残酷なのよねぇ。紳士の断り方ってのがあるんだよなぁ。これだから老舗の倅は。あはは」


 一人ケタケタ笑いながら、膝を叩いている。桜井さんは女性だが、たまに兄のような親戚の叔父のような不思議な安心感がある。

 引き続き商店街で心当たりのある知り合いの顔を思い出しては消し、それを頭の中で何回か繰り返した。ひと通り思い描いた候補が消え、最終的に桜井さんを誘おうかなと思ったところだった。


「こんにちはー、いつもの置いてますか?」


 暖簾を手でくぐり、入って来たのは裏手の橘さんのところで住み込みで働いている弥生さんだった。手にしている籠の中には大根の葉が見えている。


「あぁ、いらっしゃい。弥生さ──」

「あ、ちょうど良いところにっ!」


 こっちに来いと桜井さんが手招きすると、弥生さんはにこにこと人懐こい笑顔で近付いて来た。

 彼女となら一緒に行きたいかもしれ──


「誠一郎さんが一緒に喫茶店に行ってくれる人を探してるんですって。竹籠でご馳走様してくれるって」

「え、本当ですか! 行きます行きます! いつですか? 卵の料理が食べたいです! ふわふわとろとろの!」


 即答だった。

 完全に食べ物目当てのようだが、彼女となら楽しく過ごせそうな気がする。なぜだかわからないけれど。


「えっと……ご馳走様するとは言っ──」


 桜井さんにお腹を思い切り肘でつつかれた。腹が痛くて声が出ない。息を吸うのがやっとだった。


「ふわふわとろとろっていうと、オムライスのこと? あれ美味しいわよねぇ。ご馳走様してくれるって。誠一郎さんが」

「うわぁー嬉しい。私のお小遣いじゃとても食べられないなと思ってたんです。いつなら行っても良いかご主人に聞いてきますね!」


 弥生さんはぱたぱたと草履を鳴らし店を出て行った。


「俺、ご馳走様するんですか? 弥生さんに」

「まぁ、細かいこたぁ気にしなさんなって。彼女すっごい喜んでたわよお、可愛いじゃない。弥生さん、喜ぶ。誠一郎さんも喜ぶ。これ即ち全員幸福ぅ!」

 

 そして升を口につけ、ぐいと一気に酒を飲み干した。

 だめだ。この人は酔っ払っている。自分が今日何を言ったのかも翌日には思い出さないだろう。

 でも、きっと弥生さんとなら楽しい時間を過ごせそうな気がする。竹籠に行くのが今から楽しみだ。

※角打ち… 酒屋の一角で立ち飲みをしながら店主お勧めのお酒を楽しむスタイル。簡単な椅子が置かれている場合も。



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どの話も基本的には1話完結していますが、今回の話は少し続き物です。

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