猫は可愛い
3月◯日 晴れ
頭から背中にかけての線が特に良いと思う
配達経路に笹山さんというお宅がある。
笹山さんの家に商品を配達することは無かったが、配達は毎日あるのでほぼ毎日笹山さんの家の前を通っている。
ごく普通の一軒家で、生垣の隙間からはガラス戸の内側にあるくれ縁が見えていた。そのくれ縁には小さな棚が置かれ、その棚の上には座布団が敷いてあった。
いつからか記憶には無いが、置かれている座布団には猫がいることがあった。ここ最近、季節はすっかり春めき暖かい日も多くなったからか猫の姿を頻繁に見かけるようになった。
猫は毛並みが真っ黒で艶々としており全身が黒色のため、青い瞳が宝石のように目立っていた。何て綺麗な猫なんだろうと家の前を通る度に思っている。その黒猫を見かける度に、猫見たさで笹山さんの家の中を見ようと覗いているのではなく、生垣の隙間から自然と視界に入ってきてしまうのだ……と毎回自分に言い聞かせている。
「また猫がいる……」
何の気無しにまたいつもの黒猫がいるなと思っていると、猫の方もこちらの姿を認識したらしく視線が合うようになった。「合う」というより警戒しているようにも思える。じっと動かず、澄ました顔をして座ってはいるが、自分が家の側を横切るのに合わせ、猫の視線も動いているからだ。ただ動くものを視線で追いかけているだけかもしれない。
笹山さんの家の前を通る時、猫の姿を見かけるとあまりにも自分の方をじっと見つめているのが面白くて、試しに数歩進んでは数歩戻る動きをしてみた。澄ました顔をして座っている猫の視線と顔が自分の動きに合わせて右へ左へと動くのでこれまたたいそう面白かった。
次第に笹山さん家の猫に愛着が湧き、勝手に「クロ美」と名付けた。家主から与えられている名前があるとは思うが、心の中で呼ぶだけなので構わないだろう。
またいつものようにクロ美の家の前を通ると、座布団の上で横になっていたクロ美は起きて棚の上から床に降り立つようになった。
またある時は床の上に降り立ち、ガラス戸を開けてくれと言わんばかりにガラス戸に両前足をかけ、口を開けたり閉じたり忙しなくしていた。音は外まで聞こえないが鳴いているようだった。「開けてくれ」と言っているように思える。
またある時は自分が家の前を通るその時に、家の中から急いでくれ縁のところまで走って来た。物音で察知したのだろうか。そしてまたガラス戸に両前足をかけ、「開けてくれ」と鳴くのであった。
そうなってくるとクロ美が可愛くてしょうがなく、姿を見掛ける度に激しく鳴いている姿を見ると胸が締め付けられる。まるで悲劇の恋人のようだなと思った。決して開かない扉を挟み、愛し合っている恋人どうしは物悲しそうに見つめ合う、そんな物語。
もし、クロ美が人間だったとしたら澄んだ瞳の美しい人に違いない。一人、窓際で読書をするのが好きな、普段は物静かだが恋となると情熱的になる……きっとそんな熱を秘めた女性だろう。クロ美の黒く美しい姿を見ているとそんな気がする。
ある日、いつものように笹山さんの家の前を通るとこの日はくれ縁に高齢の女性がいた。女性の膝の上でクロ美は寝ていた。寝ていたが、耳がぴくりと動き、起き上がると両前足をガラス戸にかけてまた開けてくれと鳴いている。ゆっくりと女性が立ち上がり戸を開けた。自分は生垣の側で突っ立ったままだった。
ガラス戸が少し開くと同時に鉄砲玉のような勢いでクロ美が家から飛び出し、庭を駆け、生垣の下からするりと出てきた。そして足に頭や尻尾をこすりつけてくる。思わず屈み、抱っこをして頬擦りをしたい気分だったが、家から飼い主である笹山さんが出て来たのでそれはしなかった。
「あらー、良かったわねぇ髙岡さんに会えて」
「人懐っこいですね」
「男の人が好きみたいなのよね。他の人にもそうなんですよ」
クロ美……そうか。
自分だけに懐いていると勘違いをしてしまった。そうだろうな、他の人も家の前は通るしな。まぁでも、猫に懐かれるのは嫌な気分ではないし、こうして足元で尻尾をぴんと立てている姿は愛らしい。
しゃがんでクロ美のあごを撫でてやった。あごをあげて気持ち良さそうに目を細めている。クロ美はしばらくするとごろんと地面に横になった。
「たくさん撫でてもらって良かったわねぇ、源ちゃん」
「げ、源ちゃん?」
「源太郎なので源ちゃん。主人がつけたんですよ」
よく見ると、股の辺りにふかふかとした毛玉が2つついている。雄猫だ。
「雄なんですけど、男の人によく懐くんですよ。不思議ですねぇ」
「そうですね……」
「日差しは暖かいのにまだ風は冷たいですね。さ、中に入ろうかねぇ。では失礼しますね」
そう言ってクロ美もとい源太郎は笹山さんに抱き抱えられ家の中に入って行った。
雌猫だと思い込んでいたが雄猫だった。
あれこれ一人で妄想していたのが急に恥ずかしくなってきてしまった。
「まぁ……猫は可愛いから良いか」
その日以降、笹山さんは源太郎の為に時々ガラス戸を少し開けてくれているようだった。家の前を通りかかる時、どこからともなく源太郎が現れて足元に寄ってくる。頭を撫でると満足気にそそくさと開いているガラス戸の隙間へと戻って行く。
呆気なく自分の家へと戻って行く源太郎の後ろ姿を見る度に、実に猫らしくて可愛いなといつも思うのだ。
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どの話も1話完結しています。お時間のある時に気になるタイトルからぜひご覧になって下さい。
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