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一番最初に言い出した人がいる

5月○日 晴れ時々くもり

誰が一番最初に言い出したのだろうか。何を思ってそんなことを。


 軽籠坂(かるこざか)を上りきった先にこの辺りではひと際大きな家がある。二階建ての立派な家屋に広い庭、北原さんの家だ。

 配達の帰りに坂を上ると、北原さんの家の庭で葉を茂らせている背の高い木が目に入った。うっそうと生えている葉の隙間にくすんだ黄色の丸い実がいくつかなっている。

 びわの木だ。

 もうそんな時期になったのかと、下から眺めているとふと人の気配があることに気がついた。

 自分と同じように下からびわの木を眺めているのはこの家の主人、北原さんだった。


「今年もたくさんなりそうねぇ」


 木陰の下で深いしわのある目尻をさらに細め、びわの木を眺めている。生い茂る葉は上にも横にも旺盛に伸び、小柄な北原さんをすっぽりと覆いそうな勢いだった。


「大きくて立派ですね」

「毎年、手入れが大変なのよね」


 びわの木は育つのが早いのだそうだ。葉もよく付け、冬でも落葉しないと教えてくれた。


「あの上の方の実はどうやって取るんですか?」 


 上の方の枝にこんもりと実がなっている。まさか高齢の北原さんが脚立に乗り枝を切り落とすのではないかと不安になった。倒れたりでもしたら大変だ。それ程、びわの木は大きく育ち二階の窓に届きそうな勢いだ。


「植木屋さんに来てもらってるの。毎年ご近所に配ってるのよ。髙岡さんもいる?」

「良いんですか。ぜひ。びわなんてなかなか食べる機会ないから嬉しいなぁ。ありがとうございます」


 いつか貰えるびわのことを思い、青空の下で見事になっているびわを眺めていると


「びわの木は庭に植えると縁起が悪いって言われてるし、見掛けるのも珍しいでしょう?」

「まぁ、そうですね……珍しいですよね」 


 あえて口に出さなかったことを言われてしまった。何と受け答えをしたら良いのか返事に困る。

 この辺りは店の立ち並ぶ賑やかな通りから一本入れば閑静な住宅街で、庭のある家も多い。しかし庭に植えてあるびわの木は北原さんの家以外で見かけたことが無かった。庭に植えると病人が出るといった言い伝えがあるからだろうか。不吉な迷信は北原さんも承知しているようだ。


「父も母も九十まで生きて大往生だったし。主人は亡くなりましたけどね。びわを配ればご近所には喜んでもらえるし。私も大きな病気になったことないし。そんな話はでたらめなのにねぇ」


 北原さんは木をなぐさめるように太い幹に手を置いてぱしりぱしりと叩いている。すっかり大木に成長しているびわの木はびくともしなかった。


「そういう話は一番先に言い出した誰かがいるんですよ。きっと」

「ほんとね。何でそんな風に言ったのかしらね」


 腕を組み、しばし考えてみたがわからなかった。びわの木の迷信を自分もどこで知ったのかさっぱり覚えていない。母か父か。それとも祖母から教わったのか。何となく意識の中に刷り込まれていた。

 背中が少し丸くなっている北原さんも高齢ではあるがかくしゃくとしておりご両親のように長生きするのだろうなと思う。息子さんが二人いて、二人とも家庭を持ち家を出ていると聞いた。北原さんは一人、この家で穏やかな余生を過ごしているのだろう。


「でもね、びわはよく伸びるから手入れが大変なの。うちは毎年三回、植木屋さんに来てもらってるし」

「三回もですか? それは大変だ」

「実のなる時期と秋、あとは春になる前くらいに。お金もかかるから、人に勧めるかって言ったらお勧めはしないわね」

「そんなに……一年間放っておくとどうなるんですかね」


 北原さんは目を見開き、驚いた顔をして振り向いた。


「とんでもない! この木は毎年手入れをする決まりなの。びわは毎年植木屋さんに来てもらって剪定するっていうのが昔からの決まりなの。一年も放ったらかしだなんて! ダメなのよ」


 何か変な事を言ってしまっただろうか。

 先ほどまで穏やかに話していた北原さんが急に別人のように声を荒げた。剪定をしないことがとんでもない罰当たりのような言いぶりだ。驚いた。


「家族の健康の為に余計なびわの枝は毎年必ず切らなきゃいけないの。そういう決まりなのよ。祖父から言われてずっと守ってる。絶対に植木屋さんは呼ばないと。一年放ったらかしなんてダメよ」

「それは……やっぱりびわの木が植えてあると何か良くないことがあるからですか?」

「違う違う。びわじゃなくて枝ね。枝の方は細めに切らなきゃいけないのよね。切ることが大事なの。うちにとっては」

「おじいさんに何かあったんですか?」 


 不吉な迷信は信じていないようだが、健康の為に毎年必ず伸びたびわの枝を切らなければいけないらしい。そう思うきっかけとなる出来事があったのだろうか。


「さぁ? 母だったら何か知ってたかもしれないけど」


 何となく祖父からの決まり事を守り、北原さんは年に三回もびわの枝の剪定をしている。それは「縁起の悪いびわの木」の迷信を信じることと同じような気がしたが口には出さないでおいた。同じびわの木なのに、世間と北原さんで解釈が少し違う……ということらしい。


「立ち話に付き合わせちゃってごめんなさいね」

「いえ……」


 家の中へと戻る北原さんの背中を見送り、側にある大きく育ったびわの木を見上げた。

 風が吹き、葉はざわざわと揺れた。

 びわにとっては自分がのびのびと育つことができれば、どちらも関係のないことだ。

 びわの実が葉の隙間に実っている。

 あれこれと理由や物語を後からつけるのは人間の勝手で、誰かが最初に何かを言い出したのだろう。大きく育っているびわの木を背中に感じながら店へと戻った。

 ざわざわとびわの木が揺れている。




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