ごみはごみ箱へ
4月○日 晴れ
人にはいろいろな苦労があるのだなと改めて思った。しかしよくわからなかった。
この日、店先に置いてある傘立ての中に紙が入っているのを見つけた。小綺麗な淡い緑色の紙でくしゃりと丸められている。
店前の通りは人がひっきりなしに往来する為、傘立てにはごく少数の心無い人がごみを入れて行くこともあった。今はもうごみを入れられる事にいちいち腹を立てることは無くなったが、やれやれと思いつつ底に落ちているごみを拾うと文字が見えた。
ほんの小さな興味がわき紙を開げると、
『あなたのことを思うと夜も寝られず、苦しい毎日です。来週、お会いできませんか』
どきりとした。恋文だろうか。まさか自分に向けられたものだろうか。淡い期待をこらえつつその後の文面を読み、酷くがっかりとした。
『麗子さん。あなた夜を照らす月よりも私の心を照らしている』
誰かが麗子という人物に宛てた恋文のようだった。知りもしない他人の恋路には興味もまるでない。拾った紙はそのまま店奥のごみ箱へ捨てた。
それから数日後、傘立てにまた紙くずが入っていた。見覚えのある紙だ。ひろげてみるとやはり麗子に宛てた恋文だった。
また数日後、傘立てにはまた紙くずが入っていた。今度は黄土色をした小さな桜模様の紙だった。まさかと思いつつひろげてみると、やはり麗子に宛てた恋文だった。前に拾った紙とは字体が明らかに違うので、別の人物が書いたもののようだった。
店先に捨てられた麗子宛の恋文はその都度捨てているわけだが、こんなにも相手に思われている麗子とは一体何者なのかと興味がわいた。
二人から慕われている麗子。そして、なぜか店先の傘立てにそれを捨てて行く麗子。三人の関係はとても虚しく悲しい。
ある日、配達を終え店に戻ると坂になっている店前の通りをこちらに向かって歩いて来る女性がいた。感嘆の声が漏れてしまう程の美しい女性で、彼女が通った後はすれ違う人、すれ違う人、男女を問わず皆が振り返っていた。女性はたくさんの紙を手に持ちながら歩いている。
麗子だととっさに思った。
恋文に書かれていたような特徴が全て備わっていた。額に少しかかった前髪、長いまつ毛、ぱっちりとした瞳、鼻筋の通った鼻、形の良い唇、顔にある部位の配置がとにかく美しく造られた人形のようだった。
しばらく遠くから眺めていると、麗子は手にしていた紙を一枚手に取り、裏を確認するとすぐにくしゃりと丸めた。丸めた紙を違う店先に置いてあるごみ袋にぽいと放り込んだ。
そしてまた次の手紙の裏を見て何かを確認し、丸めてまた別の店先に置いてある籠の中に放り投げた。 手に持っているのは手紙ではないだろうか。手紙、それも恋文を捨てているのではないだろうか。ついには自分のいる店先へと進んできた。店の中へと入り、商品を陳列するふりをしながら外へと注意をやっているとやはり麗子はぽいと紙くずを店先に置かれている傘立てに捨てた。現行犯だ。
「すみません。そこ、屑入れじゃないですよ」
見たこともないような見目麗しい女性に声を掛けるのもはばかられたが、思い切って注意をした。麗子はバツが悪そうに顔を背け、すぐさま謝ってきた。
「ごめんなさい。そうですよね。もうしません」
長いまつ毛を伏せ俯く姿が本当に可憐で弱々しく、注意をした自分が逆に悪い気になった。しかしここで情に、見た目にほだされてはいけない。
「……他の店先にも捨ててましたよね。あれ、やめてくれませんか。迷惑なので」
「そうですよね。ごめんなさい」
こうもあっさりと非を認められると拍子抜けしてしまう。わかっているのなら始めからやらないで欲しい。なぜ、彼女は人からもらった恋文を店先に捨てているのだろうか。自分の家のごみ箱に捨てれば良いじゃないか。
「手にしているのは手紙……ですよね。なぜ手紙を店先に?」
麗子は困ったように手にしていた手紙の束を見つめ、ふうとため息をついた。
「そうなのです。手紙……恋文です。殿方からたくさん恋文をもらうのです。でも、私にその気はありませんし、一方的に気持ちが書かれていて気味が悪くて。家に置いておくのも嫌で……かと言って捨てるのも何だか可哀想で。とても身勝手ですが、他の人にどうにかして貰おうと思ったのです」
あまりにも勝手な言い分にかちんときた。傘立てにごみを入れられるこちらの身にもなってほしい。
「いや……それは関係のない我々からしたらただのごみですから。ごみをそこら辺に捨てないで下さい」
「でも手紙なのです。捨てたら祟られそうで。この人たちは毎日私を想って眠れないらしいのです。私は何もしていないのに。勝手に一目惚れをして勝手にそう思うらしいのです。もう、怖くて。私がごみ箱に捨てたらそれこそ祟られそうじゃないですか」
「いやでも……ごみはご自身で捨ててもらいたいんですけど……」
「どうしたら良いのか困っているのです。店先に捨てることはやめます。でも、こんなにたくさんの想いの詰まった恋文、どうしたら良いと思いますか?」
そんなことを言われても。人から恋文だなんて貰ったことがない。しかしそこら辺に捨ててはいけない。やはり不要なものは自分の手で自宅のごみ箱へ捨てるべきだ。
しかし、意中ではない人から恋文をもらったとしても自分に捨てるなんてできないかもしれない。ふと、麗子の気持ちもわからないでもない気もした。
「うーん……そんなに気になるならお寺に持って行ったらどうですか」
視線を通りの向かいにある寺へと移すと、麗子もはっとして振り返った。
「毎朝お焚き上げされてますし。お札とか古いお守りを燃やしてるって聞きましたよ。お寺に相談してみてはどうですか?」
「まぁ! そうしてみます! ありがとうございます」
麗子は花のように美しい笑顔を振りまいて急いで向かいの寺へとかけた。これで良かったのだろうか。寺の住職とは見知った仲だが、何だか悪い事を言ってしまったかもしれない。
それ以降、店先の傘立てに麗子宛の恋文が入ることは無くなった。
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