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アイラブユーの命日  作者: 日逢藍花
第二章 不可能なもの
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 はっぴーばーすでーとぅゆー、はっぴーばーすでーとぅーゆー


 はっぴーばーすでー、でぃあ、もちづきあおい。



 ——望月蒼。殺人未遂の罪状により、貴殿を三年の特殊懲役刑に処する。


 

 名前を呼ばれたところでふと思い出す。


 あの酸素の薄い異様に狭苦しい部屋。


 真夏なのに凍りついたように温かみを微塵も感じさせない空気。


 妙に明るく眩しい照明。


 無表情で俯きながら硬質な声で弁舌を振るう裁判官たち。


 中心に鎮座する病的に頬の痩せた白毛混じりの裁判長。


 一年前に見聞きした生々しい光景が、ファンシーな誕生日の歌とない混ぜになって頭の中でオーバーラップした。


「乾杯」


 我に返る。


 僕の手にはいつのまにか三百ミリのチューハイが握られ、ナガシマさんは缶の生ビールを掲げていた。


 控えめに手を突き出すと、かつんと小気味よい音が鳴った。


 おそるおそる缶を口に運ぶ。


 鈍い甘味と後から襲ってくるつんとくる苦味が同居した、今まで味わったことのない類の味だ。


 僕が思わず顔を顰めるとナガシマさんはからかうように笑った。


「お気に召す味じゃなかったか?」


「えっと、なんというか、不思議な味ですね」


 僕は強がってそう答えた。


 ナガシマさんが用意していた紙コップに手持ちのビールを注いで、こちらに寄越した。


 麦茶を何倍にも濃縮したような独特な風味とその比ではない苦味。


仕方なく飲んだが、こちらは明白に不味いという感想を抱いた。


 思わず咽ると、彼は盛大に笑った。


 僕は内心で毒を吐く。

 

 大人たちはこのために生きているなどと嘯いているが、実際はこんなものなのか。


 今までずっと騙されたような気がしてならなかった。


 コップを取り上げながら、ナガシマさんは僕の肩を叩いた。


「まあ、美味くはなかっただろうな。なに、その内お前にだってこれのよさが分かる時が来るさ」


「とてもそうとは思えませんね」僕は不貞腐れて言った。


「酒っていうのは、不味いとか美味いじゃないんだよ。覚えておけ。高い酒だろうが安い酒だろう、そんなことはひとまずどうでもいい。酒っていうのは何を飲むかに意味があるんじゃない、飲むこと自体に意味があるんだから」


 それじゃあまるで、何かの儀式みたいじゃないか。


 僕は「そんなもんですか」と適当な言葉で躱し、一口大の細切りサラミを無理やり口に入れ込んだ。


 酒を飲めるようになると歳上のつまらない説教に付き合わされる。


 そんな教訓を得たというだけの話だ。



 家に戻る途中、たまたまナガシマさんと出くわした。


 いつも神出鬼没な人だ。


 こちら側に用があってもどうにも会えないのに、一人になりたい気分の時は決まってふらりと現れる。


 彼は今日が僕の誕生日であることを覚えていたようだ。


 以前ふとしたきっかけで話したことがあったらしい。


 スーパーで適当に何かを買ってきて、晩酌でもしようという話になった。


 断ることもできたが、今だけは日常の温かさを存分に享受したい気分だった。


 すっかり日は暮れていたが、七月の夜はまだまだ蒸していて不快な暑さを伴う。


 それでも時々心地の良い涼風が吹いてきて、身体と気分を慰めてくれた。


 鉄棒と滑り台しか置いていないうら寂しい公園のベンチに座って、二人で酒とつまみを並べたところだった。


 どこか芝居じみた前のめりさを演出しながらも、ナガシマさんはこの茶番を楽しんでいるようだった。


 歳を重ねれば若者の門出さえ立派な酒の肴になるのだろうか。今の僕には理解できない話だった。



 それにしても、だ。


 神父に殺されそうになった僕を助けたあの少女。


 確かエイリとか名乗っていたっけ。


 突如倒れた彼女を背負って、なんとか誰にも見つからずに自分の部屋まで運びきった。


 駐車場に停めたままのスクーターを回収してからもう一度帰路を歩いていた折、ナガシマさんとばったり出会ったわけだ。


 少女の方は命に別状はないのだろう。


 しかし病的に痩せこけた頬と落ち窪んだ目元から、彼女の不健康さは窺い知ることができた。


 あの時は状況の異常さから雰囲気に呑まれてしまったが、多少なり頭が冷えた今となってはあんな少女の妄言を鵜呑みにするべきではなかったと分かる。


 他に連れて行く場所がないから匿うことにしたが、目を覚ましたら即刻出ていってもらうべきだ。


 相手はおそらく学生だし、なにより殺人犯だ。


 見つかって 管理部に変な嫌疑をかけられれば、それこそ望む死がさらに遠のいてしまう。


 誕生日を誰かに祝われるのは二年ぶりだった。


 まだ僕が犯罪者になる前の話だ。


 かつては両親、友達、そして幼馴染の皆に「おめでとう」と言葉をかけられるのが常だった。


 生まれてきたことへの祝福は、世界に生きる上での当然の権利だと信じていた。 


 子供なんて産まなければ良かったな。


 一年前の今日、自嘲するようにぽつりと母親が呟いた言葉が、ふとした時に今も頭に残響して離れなかった。


 有象無象の祝福は一滴の呪いで全てがかき消された。


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