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冷たくなった天沼の遺体を残して、僕たちは急いでにその場を後にした。
こんな凄惨な姿のまま公共交通機関を使えば、どれだけ人目につくか分かったものじゃない。
体力は底をついていたが、なんとかして徒歩で棲家に戻る他なかった。
エイリはすでに限界を超えていた。
天沼に引導を渡すその瞬間まで、ひたすら執念だけで動き続けていたのだろう。
もはや立ち上がる気力さえ残されていない以上、僕が背負っていくしかなかった。
問題は彼女がマンションに同行する気があるかだったが、さしものエイリもこの後に及んで拒否することはなかった。
急いでいたこともあってか、彼女は借りてきた猫のように大人しく僕の背中に収まった。
今さら通行人相手には滑稽な姿に映っているという事実に羞恥は感じない。
マンションまでは徒歩で三十分ほど歩く必要があった。
途中、駅構内のロッカーからエイリのスーツケースを回収した。
その間、天沼にやられた患部や筋肉の節々から響く鈍い痛みが、生き残ったという生の感覚を際立たせてくれた。
僕らの間には相変わらず沈黙が流れていたが、それは以前とは違うどこか穏やかなものだった。
途中、どこかの飲食店に寄ってエイリの飢えを満たすことを考えたが、本人がそれを拒否した。
結局、スーパーで食品を買い込んで帰宅してから食べることにした。
その中で彼女が意外なものを選んだので僕は驚いた。
それは、なんてことのないソーダ味の棒つきアイスだった。
案外断食からの回復食としては理想的なのかもしれない。
理由を訊くと、彼女は躊躇いがちに「思い出、だからです」と答えた。
何か切実なものを感じたので、それ以上追求はしなかった。
僕たちは買ったそれを口に咥えながら残りの帰り道を歩いた。
アイスなんてものを食べるのは数年ぶりだったが、優しい甘さと同居した冷たさが夏の夜に酷使した身体に深く染み渡って今は何物よりも美味く感じた。
いつの間にか、エイリはまた声を殺して背中で啜り泣いている様子だった。
僕は何も声をかけず、ただ疼く傷跡を庇いながら棲家まで歩いた。
マンションに着く頃には、すでに翌日を迎えていた。
帰宅して真っ先に身体を洗いたかった。
どうせ借り物なのだから抵抗はないと思ったが、エイリには後でいいと強く言われたので先に使わせてもらうことにした。
患部に水が滲み痛みに呻きながらも、全身にべったりと張り付いて乾いた汗を洗い流す快楽に酔いしれた。
応急措置としてエイリから貰った鎮痛剤を飲んで包帯を巻いてから、別のシャツに着替えて脱衣所を出た。
僕が出たことを告げると、エイリは手持ちのスーツケースを抱えて脱兎のごとく脱衣所へ消えていった。
思えばようやく、一人になることができた。
こんなことを思うのも久しい。
〈脳錠〉持ちである僕にとって、一人であることは当たり前のことであり、一つの解釈を与えるのならそれはまた罰であったはずだ。
今夜のように長く深い時間(実際はほんの数時間の出来事に過ぎなかったのだけれど)、誰かが隣にいたのは本当に久し振りのことだったのだ。
ソファに座り込んでエイリが戻ってくるのを待った。
脳裏に二人の人物の顔が浮かんで消えなかった。
一人は汀で、もう一人は天沼だった。
今夜僕は、紛れもなく本心からエイリを助け、結果として天沼は殺された。
喉に泥が詰まったように、一線を超えてしまったという不快な感覚が拭いきれなかった。
どれだけ言い訳を重ねようが関係ない。
僕は一人の少女を助け、一人の男を殺した。
その事実を覆すことは、この先一生できない。
その代わり、あの日果たせなかった復讐をついに果たした。
しかも、それはより本質的な復讐そのものになった。
彼の最期の言葉で前提がすべてひっくり返ってしまった。
それに、彼はどこか心の奥では死にたがっているような言動を見せていた。それは、まるで昨日までの僕のように。
天沼と汀の関係が単純な加害者と被害者ではないのは明白だった。
なぜ天沼は汀を殺さなければならなかったのだろうか。
僕はもういない幼馴染の少女に問いかける。
君はどうしてあんな嘘を僕に話したんだ?
君は僕に何を隠しているんだ?
おそらく、僕が生きている限りその答えに解答が与えられることはない。




