xii
集合場所にエイリの姿はなかった。
入り口近くから店内の様子を伺ったが見つからない。
集合時間を十分以上過ぎても、一向に彼女が現れる様子はなかった。
何かメールが来ているわけでもない。
痺れを切らして、能動的に彼女を探しに行くことにした。
本当に嫌で嫌で堪らなくて震えながら、それでもこの場所まで足を運んだのだ。
今さら簡単に納得して、全てを諦めて逃げ去るわけにはいかない。
まず店の周辺を注意深く練り歩いて、それから昨日彼女から送られたデータを頼りに住宅地の中心にあるターゲットの自宅付近まで足を伸ばした。
通りに沿って店舗が立ち並ぶ繁華街から離れたこの場所は、都会の喧騒が嘘のようにひっそりとしている。
エイリが僕に意図的に偽の情報を伝えたのでなければ、彼女は遅かれ早かれ計画を果たすはずだ。
四方を注意深く確認しながら、耳を澄まして歩いた。
不意に路地の隅から人影が現れた。
一瞬身構えたが、それは僕の背丈の半分ほどの体躯をしていた。
小学生低学年ほどの少女だった。
こんな夜中に子どもが出歩いているのは奇妙だと思ったが、都会ではよく見かける光景なのだろうか。
それにしても、何か違和感があった。
僕がその違和感の正体を頭で追い切る前に、少女は小走りで僕を無視して通り過ぎていった。
地面につきそうな長髪を垂らしたその背中を眺めながら、僕ははたと気づく。
その身体は少女という前提を抜きにしても痩せ細り過ぎていて、着ている白磁色のワンピースには傷つけられたような破れ目やほつれがあった。
池崎さんの教会の奥で見た光景がフラッシュバックする。
僕はポケットからスマートフォンを取り出して、昨日エイリから送られたデータを確認する。
小学校の集合写真の切り抜きだろうか。間違いなかった。彼女はエイリが今日殺す予定の男の娘だった。
しかし、それはおかしい。
エイリの話では、彼女は自宅に監禁という形で囚われているはずだ。
すぐに走って、少女の行く先を追いかけた。
僕の勘が間違いなく事態が動いていることを告げていた。
工事中につきこの先侵入禁止の立て看板を無視して、執拗に彼女を追った。
四方をアパートに囲まれた住宅街のT字路の中心で、ふと少女は立ち止まった。
そして一切の動きを止めて呆然と目の前を眺めていた。
次の瞬間、僕は耳を覆った。
銃声のような爆音が前方から聞こえてきたのだ。
街頭の白い明かりが親の仇のように深い闇を照らしていた。
その奥で山脈のようなタワーマンションが僕たちを見下している。
少女の視線の先に僕は目を凝らす。
すっかり見慣れてしまった、金に黒のメッシュが混じった短髪が風に吹かれて妖しく揺らめいていた。
人間の身体が壊れる音を初めて聞いた。
意外と何ともない、すぐに環境へ馴染んでしまう地味な音だ。
無機質な鉄の塊が人の頭蓋を叩き割る音。
加害者とは不釣り合いな大柄でがさつな体躯がゆっくりと倒れた。
人が事切れる様を再び目撃した。
嘔吐感を堪えながら、僕はしばらく身じろぐこともできずその場に固まっていた。
「なにやっているんですか、早くこっちに来て運ぶのを手伝ってください」
なんだ結局来たのか、とでも言いたそうな表情をわざとらしく浮かべながら、彼女は二対の軍手を投げ寄越して目の前の死体に目配せした。
それでも僕が動けないでいると、エイリの方からこちらに近づいてきた。
僕ははっととする。
自分の前には追いかけていた少女がいる。もう一度、冷や汗が全身から吹き出した。
少女はエイリの姿を視認できるらしく(安全保障の観点から子どもへのBCIの装用年齢は、年々減少の一途を辿っているはずだが)、顔面を蒼白にさせて一歩引き下がった。
その様は、山中で不運にも冬眠前の熊と出くわしてしまった哀れな登山者を想起させた。
「やめてくれ」とあらん限りの声で叫んだ。
彼女の手に握られた鈍器が少女の頭に振り翳される前に、絶対に届かないと知っている片手を必死に伸ばした。
僕の手は届かない。
気づけばエイリは少女の目の前にいて、少女は腰を抜かしてアスファルトの上に倒れ込んだ。
エイリの手が振り翳される。反射的に目を逸らす。
しかし、頭の中でシリコンのように固まって離れなくなった、あの音と悲鳴が聞こえることはなかった。
目の前の光景が信じられなかった。
少女はエイリの腕の中にいた。
彼女は少女を抱きしめながら、慰めるように頭を撫でていた。
父親の血に濡れたワイシャツが彼女の涙を吸い取った。
僕は呆然としながら、震えた声で問いかける。
「……どういう風の吹き回しだ?」
少女はすでに精神の限界値を超えてしまっていたらしく、気を失ってしまったようだった。
監禁されていたというこの少女がなぜここにいるのか。
普通に考えれば可能性は一つしかない。
他ならないエイリが、マンションで捕らわれていた少女を助けたのだ。
「早く片づけてください。メガホンのデメリットは不要な耳目を集めてしまうことですい。こんな夜でも誰かが来るかもしれません」
酷薄な声でそう言いながら、エイリは気絶した少女を地面にゆっくり横たわらせた。
たった今、彼女は犯人の娘である少女に情けをかけた。
それは確かだが、その行為はこれまで見てきた殺人鬼である彼女の冷徹な像とはまるで結びつかなかった。
もう一度、眠り姫のように地面に横たわっている少女を見た。
この少女は確かにエイリの手で自由の身にはなった。
もう二度と父親からの暴力にも暴言にも怯えることもないだろう。
しかし、どれだけ取り繕ったところで肉親を喪ったという事実は変わらない。
それは彼女の生涯において永遠に墓石のように横たわる。
話に聞けば、彼女の母親はまだ少女が物心つかない頃に若い男と駆け落ちして蒸発しているらしい。
その行き先を思うと、この結果が正しかったなどと口が裂けても言うことができない。
「殺人鬼にも心は、情けはあるのかって、そう思いましたか?」
そんなものは軽蔑にしか値しないと昨日憎悪をぶつけてきたのは君じゃないかと、僕には彼女を糾弾する権利があったはずだ。
しかし、できなかった。
そんな僕の弱さを、彼女はまた軽蔑するだろう。
エイリは薄く笑った。思わず心臓が高鳴るような蠱惑的な笑みだった。
「ねえ、望月さん。生きるって、こういうことなんですよ」
その張り裂けそうな声は、淡い暗闇の中に淡く溶けていった。




