iv
これは告解だ。
高校三年生の夏、汀の父親が行方不明になった。
ある日、唯一残った最後の肉親さえ彼女は喪った。
勤め先から自宅へ帰宅することなく、ふらっと蒸発してしまったと言う。
いまだに彼が見つかったという話は聞いたことはない。
彼の同僚だった数人も行方不明になったらしく、何かの事件に巻き込まれたのではないかと一時騒然となった。
真篠家を襲ったあの不条理としか言いようがない交通事故以来、彼の眉間の皺はより一層深く刻まれ、不用意に人前に顔を出すことはほとんどなくなってしまった。
彼の失踪事件が、汀が自死を選んだ因果の一つであることは確実だろう。
その事件がどのような綿密さで彼女の心を蝕んだかは、想像の余地を出ない。
しかし、母と弟を喪ったあの悲惨な交通事故の後でさえ気丈だった彼女が、父親の失踪に関しては人が変わったように動揺していたのは事実だ。
その日、僕は携帯電話のメッセージで呼び出されて真篠家の敷居をまたいだ。
他人の家特有の生活臭はまったく感じられなかった。
かつて見慣れた所帯臭さが感じられない豪壮な家は、一段とひっそり静まり返っていた。
幽霊屋敷というか、まるで魂が抜かれた亡骸のような有様だった。
汀の部屋に入るのは何年振りだったか。
控えめにノックをして、躊躇いながら扉を開ける。
彼女はベッドを背にして、三角座りでぼんやりと遠い視線を虚空に投げかけていた。
およそ初めて見る悄然しきった汀の様子を見て、僕は近づいて恐る恐る「大丈夫か?」と声をかけた。
「うん」と控えめな返事があった。
それから僕らは少し話をした。
この家を手放して、親戚の家に預けられることになったこと。
大学生になったらこの町で一人暮らしを始めること。
大学に推薦入試で受かったこと。
雰囲気は沈みながらも淡々と色々な話をした。
互いの家でこんな風に腰を下ろして何気ない会話を交わすのはいつ以来だろう。緩やかな幸福感が脳裏を満たした。
しかし会話の途中、ふと髪が翻って遊ぶように宙を舞った。
気づけば僕は押し倒されていて、目と鼻の先に汀の顔があった。
疑問とか抗議とかの声を上げる前に、その発信源が塞がれた。
いつの間にか僕は汀とキスをしていた。
一体何秒、何分唇を重ねていただろうか。
一瞬でありながら永遠のように感じられる時間の錯誤を、僕は生まれて初めて経験した。
僕の脇腹を万力のように抱きながら、彼女は上擦った声で言った。
「慰めて」
一言だけだった。
僕はその要求を否定することができなかった。
そして、一度きりの間違いを犯した。
傍から見れば実に羨ましく聞こえるかもしれない。
しかし、その記憶は甘い飴玉のようでいて、その実遅効性の猛毒のように僕の内側を蝕んだ。
罪というものを、僕は生まれて初めて自覚した。
いくら肉親の失踪で心を病んでいたとして、彼女が本心からその心の隙間を埋めるものを渇望していたとして、僕にはその素肌に触れる資格などありはしなかった。
その夜以来、僕にとって真篠汀はさらに遠い存在になった。
身体で繋がったとしても、心までは繋がり合えないのが人間だと知った。
彼女の顔を見ただけで、罪悪感で心が破裂してしまいそうだった。
だから彼女の直接的な死の原因となった例の事件が起きて、最期に汀が助けを求めて来た時も僕は怖かった。
汀が? それとも決定的にすれ違ってしまった彼女との距離が?
そんなことを自問自答している内に、彼女は海の藻屑になってしまった。
僕は間違えた。失敗した。取り違えた。
遅刻したヒーローにいかほどの価値があるのだろう。
僕は真篠汀のヒーローにはなれなかった。




