ii
時は下り、小学校の五年生の時だった。一つの事件が起きた。
家族で熱海に旅行に行った帰り道で、真篠家が凄惨な交通事故に遭ったのだ。
高速道路で突然弾き出された前の車を避けるためにハンドルを大きく切り、
そのまま路肩のコンクリート壁に衝突したらしい。
玉突き事故が発生し、彼女たちの乗っていた車は無残な姿で大破したらしい。
原因は前方二車両がSAから諍いを起こしていて、先頭車が煽り運転で突然急激に車間を狭めたからだという。
高速道路でつまらない私怨からそんな真似をしでかすなんて、頭がどうかしているとしか言いようがない。
しかし実際に事件は起こり、人がたくさん死んだ。
死者数五人を数える大事件に発展し、全国で大々的に報道されることになった。
汀は母親を亡くし、まだ小学校にも入学していなかった幼い弟も喪った。
奇跡的に運転手の父親は五体満足だったが、汀自身、頭部や上半身に大怪我を負って生死の境を彷徨った。
数ヶ月後、久しぶりに玄関先で出会った幼馴染は事故前と何も変わらないように見えた。
その頃には彼女もある程度成長していた。
まだ僕の方が身長は高かったが、前に立って彼女を守るということはなくなっていた。
相変わらずころころ笑う女の子で、学校に行けなかったことを謝ってから、昨日のバラエティ番組の話なんかを自然に振ってきた。
そんな汀の様子を見て、僕の心はひどく抉られた。
今までの人生で一番ショックな出来事だったと言ってもいい。
朝の登校路の道すがら、いつの間にか僕は泣き出してしまった。
やはり僕は、彼女のヒーローであることに誇りを持っていたのだ。
だから、彼女を守れなかったことが悔しくて仕方がなかった。
母親と幼い弟を喪った傷を抑え込んで、幼馴染の前で平常に振る舞う汀の姿が痛々しく感じられてならなかった。
涙を流して地面に座り込む僕を見て、汀は随分と驚いて焦っている様子だった。
これまでどれだけクラスメイトに意地悪をされても、先生に怒られても、僕が彼女の前で泣くことは一度もなかったからだ。
汀は慌てふためいて、それから何かに気づいたようだった。
「あおくん、泣かないで」
彼女はそう言って、笑いながら僕の両手を自分の両手で握りしめた。
かつて僕がそうしていたのを、彼女はよく覚えていたのだろう。
相変わらずしゃくり上げながら、僕は汀に「ごめん」と何に対してかよく分からない謝罪を続けた。
その時、ふと思った。
真篠汀という人間が不幸の只中にいると、なぜ自分までこんなにも哀しくなるのか。
彼女が笑うと、なぜ自分まで晴れやかな気分になるのか。
その不思議のすべてが、その一瞬の内に氷解した。
僕は彼女――真篠汀のことがずっと好きだったのだ。
幼少期から頭に巣食っていた未知数の解を、僕はようやく突き止めたのだ。
「約束する。今度は僕が守るよ、汀。どんなことがあっても」
だって、僕は君のヒーローだから。
「うん。あおくんは私のヒーローだから」
何も言わずとも、彼女は僕の望む答えをくれる。
初めから僕たちには、お互いの魂の入れ場所が半分ずつ空いていたんだと思った。
それは僕の人生で最良の瞬間だった。
望月蒼の生き方はこの時に決定づけられた。
汀は満面の笑みを浮かべて、僕を抱きしめる力を強めた。




