3 「不機嫌そうな当主の名」
これはこの地域特有のものなのか、それともこの墓地一帯だけに現れる現象なのか。
昼頃にローデスを発ってから、ここに到着するまでの道程は確かに長かった。
だがミュゼの感覚としては、今の時刻はまだ夕刻にも満たないはず。にも関わらず周囲はすでに日没寸前のように、どんどん薄暗くなって来ていた。
加えて城の表側には墓地。
墓守なのだから墓場の近くに住むのは道理だと思われるが、それにしても……とミュゼは疑問に思った。
黙ったままつかつかと歩いて行く男の歩調に合わせるように、ミュゼは少し小走りになる。
長身で足が長いせいだろうが、それにしても早すぎるくらいだ。
ミュゼは調査隊に保護されてから今に至るまで、少量の水とパンしか口にしていなかった。空腹で思うように体を動かせない。
それでもこうして訪れるささやかな苦難でさえ、ミュゼにとっては罰なのだと当たり前のように受け入れていた。
文句も愚痴も口にせず、ただ黙って耐えることが自分の使命なのだとでも言うように。
城の中に入ると、外観とは裏腹に随分と清潔に保たれていた。
驚くことにゴミ一つ落ちていない。廃城のような雰囲気から、中は蜘蛛の巣と埃だらけで、とても人が住めるような場所ではないと思っていたのだから、これは本当に衝撃だった。
おどろおどろしい城と墓場の組み合わせ、加えて不機嫌な主人。
それなのに城内は、人が普通に住める程度には綺麗に掃除されている。この何とも言えないアンバランスさが、かえってミュゼの不安を煽った。
表玄関となるエントランスポーチを抜けてホールに出る。そこから東側へ続く廊下を歩いて階段を上った。
数えること四階、男が案内した先は城の東側にあるタレット部分。
その区画には三つほど部屋が並んでいる。男は一番手前のドアを開けた。
客間と呼べる程度には家具が揃っている部屋だった。
ここも蜘蛛の巣が張っていたり、埃が積もっていたり、はたまたカーテンや壁紙がビリビリに破れているといったこともない。
ごく普通の、煌びやかとまではいかないが住める程度には衛生的な部屋だった。
「ここを使え」
男の口調は淡々としていた。
だらだらと喋ることもなく、かといって案内している間ぶつぶつと文句を垂れるわけでもない。
何を考えているのかミュゼにはわからなかった。
自分は迷惑がられているのか、それとも教会の命令に従って一応は歓迎してくれているのか……。
「朝は特に早起きしろとは言わない。だが食事が出るのは昼と夜だけだ。食事の時間になったら食堂に来ること」
ミュゼは黙って聞いていた。
説明の途中に口を出していいものかどうか、迷ってしまう。
(どうしよう。他にもたくさん聞きたいことがあるんだけど……。この人の顔を見ていたら、とても出来そうにない)
嫌そうな顔をしているわけではないが、やはりむすっとした表情をした相手の機嫌を読み取ることは困難だった。
しかしこれからどのような生活が待っているのかわからないミュゼは、今の内にこの城で生活する上でのルールのようなものを聞いておかないといけないのも事実だ。
そんな時だった。男は今突然気付いたのか、短く「あ」と口にしたかと思うとミュゼに向かって唐突に自己紹介を軽くした。
「そういえばまだだったな。俺はレックス・グレイヴヤード、ここの墓守をやっている」
「よろしくお願いします、レックス……様」
仮にも自分は刑罰を与えられている身、そしてレックスはミュゼの管理者という立場だろう。
かしこまった口調で深く頭を下げると、レックスが短く呻いたような声が聞こえた。
「様とか付けなくていい。それに俺を敬う必要もない」
「え、でも」
「そういうのは苦手なんだよ」
しかしミュゼにとってレックスは刑罰を与える人間、だと思っている。詳細はミュゼ自身も知らされていないが、とにかく裁判長からはグレイヴヤードで地獄を味わえ、と言われていた。
ここで苦しい思いをすることこそ、ミュゼにとっての贖罪になるはずだ。少なくともミュゼに与えられた情報から汲み取ると、そういうことになる。
「あの、私はここで何をすれば……」
困ったように、すがるように、ミュゼはレックスに問う。
前代未聞であろう罪を償うには一体何をしたら、どうしたらその罪を清算できるのか。どうか教えて欲しいと願うように。
しかし困っているのはレックスも同様のようで、バツの悪そうな表情で自分の頭を乱暴に掻きむしる。
「とにかくだ! お前はただここで静かに暮らせばいい」
「でも、そういうわけには」
食い下がるミュゼに痺れを切らしたレックスが、ビシッと人差し指を突き出した。
「いいか、お前は教会の命令でここに来た。俺も教会の管理下に置かれてる墓場の墓守である以上、教会の決定には従わないといけない! わかるか」
ミュゼが反論したことで城の主人を怒らせてしまった。
贖罪を果たす為に従わなければいけない相手を。自分は逆らってしまったのだ。
俯き反省の色を見せると、レックスの顔が引きつる。
おろおろとミュゼに手を差し伸べようか、なんて言葉をかけたらいいのか考えあぐねた結果。
彼は気を取り直して、冷静を装いながら続けることにした。
「何度も言うが、ここで普通に暮らすだけでいい。それだけだ」
「……はい」
それが何の罪滅ぼしになるのかわからない。
しかしこれ以上逆らって、また別の刑罰を与えられることになるのもミュゼは気が引けた。
心のどこかで、自分のような罪深い人間にこの場所はお似合いのように思えたからだ。どこか陰鬱で、おどろおどろしい雰囲気のあるこの城と墓場が。
「ただし、ルールを守ってもらう」
「……ルール、ですか?」
「ここで住む為に、三つのルールを厳守するんだ」
暗い顔から興味を引かれる表情に変わったミュゼを見て、レックスは少しホッとした。しかしそんな顔を見せるわけにはいかないとでも言うように、レックスは右に左に移動しながらルールを教え始めた。