久し振りの3人でのお茶会で、少し心が癒されました。
レオは、全速力で空を駆ける。冷たい風が頬を叩き、目が乾いて涙が出る。時折、流れる涙を拭いながらも、速度は緩めない。
やがて、王城が見えてきた。ようやく速度を落とすと、念のため城の外にリゼの姿がないか確認する。たまに、外で茶会を開いていることもあるからだ。
(今日は、やってなさそうだな。これで会議に出てたら、厄介だけど)
ふわりと、城の出入り口の前に降り立つ。出入り口の両脇に立つ衛兵が、「お帰りなさいませ」と口を揃えて言った。
「ただいま帰りました」
「ご苦労様です。申し訳ありませんが、通行証を拝見いたします」
彼等とは顔見知りだし、レオがリゼ付きだということも当然ながら知っている。それでも、名前と身分が書かれた通行証を提示する。毎回面倒ではあるが、決まりなのでしかたがない。
「まだ、変えてもらえませんか」
右側に立つ衛兵が、通行証を覗き込んで苦笑した。
「殿下には、お願いしているんですけどね」
レオの身分は、リゼの幼馴染と書かれている。到底、身分とは言い難いものだ。
レオは何度も、部下なり側近なりに変えてくれと直談判している。しかし、リゼは頑として首を縦に振ってくれない。
「殿下も頑固なところが、おありですからな」
左側に立つ衛兵が、ははは、と大笑いする。リゼは肩をすくめて、城の中に入った。
(いつまでも、このままってわけにはいかないのに)
レオは通行証を見下ろすと、溜息を吐いた。そこに、「レオ」と声を掛けられる。
振り返ると、モノクルを付けた男性が立っていた。オーリスだ。
「一人で、どうしましたか? たしか、北の集落に向かったのでは?」
「ライカさんに、ていよく追い出されてきたんです」
口をとがらせると、オーリスは苦笑した。聡い彼のことだ。レオとライカの歯車がかみ合っていないことなど、お見通しだろう。
「でも、ちょうど良かった。殿下は今、どちらに?」
「殿下でしたら、図書室にいらっしゃいますよ」
「わかった。ありがとう」
レオは小走りで、図書室へと向かう。本当はもっと急ぎたいところだが、城の廊下を全速力で走ったり杖で飛んだりしては、父や兄から大目玉を食らってしまう。
図書室は、一階の北廊下の最奥にある。扉の前には、リゼ付きの護衛が二人立っていた。腰に剣を下げた二人は、共に筋骨隆々だ。鋭い目つきといい、ライカに雰囲気が似ている。
「殿下に御用があるのですが、入っても大丈夫ですか?」
レオが尋ねると、二人は目を和らげた。一見すると迫力がある彼等だが、味方にはこの上なく優しい。
「ええ。レオ様でしたら、問題ありませんよ。どうぞ、お入りください」
扉を開けてくれる護衛に礼を言って、レオは図書室に入った。
城の図書室は、街にある国立図書館ほどではないものの、たくさんの本を収容している。その多くは、王立史だ。官吏の名簿や刑罰の履歴、危険な魔法などを取り扱った禁書も収められている。
立ち並ぶ本棚は、ライカの背丈ほどの高さしかない。本棚と本棚の間は、楽に人とすれ違うことができるほどの余裕がある。本棚の上には観葉植物が置かれていて、圧迫感はなかった。
「リゼー?」
レオは、図書室の奥に向かって呼びかけた。主人の名前を呼び捨てにするべきではないことなど、レオだってわかっている。だが、二人きりの時はそう呼ばないと返事をしない、とリゼが言うのでしかたがない。
(意外と、わがままなところがあるんだよね)
レオは苦笑しながらも、もう一度リゼを呼んだ。
「奥にいるよ」
優しい声が、返事をした。
レオは本棚の間を通って、最奥へと歩いていく。本棚と天井との間には、何もない空間がある。本当は魔法で本棚を飛び越えたいところだが、これも決まりなのでしかたがない。
図書室の最奥で、一冊の本を手にしたリゼは、柔らかくほほ笑んでいた。
「どうしたんだい? ライカは?」
「死体を掘り起こしてる」
率直な答えに、リゼは困惑した表情を浮かべる。
「どうして、そんなことになっているんだい?」
これまでの経緯を、レオは話した。
偽医者が、証拠隠滅を謀った可能性があること。青年と出会い、遺体を掘り起こすことになったこと。ライカから葉っぱを託されたこと。
すべて話し終わると、リゼの表情も納得したものに変わった。
「なるほど。ライカなりに、気を遣ったわけだ」
「私は大丈夫なのに」
「僕だって、レオには見せたくないよ」
むくれるレオに、リゼは手を差し出した。
「それに、大事なことを任されたんだろう?」
「一応は」
レオは預かった葉っぱを、リゼの手に乗せた。ライカから預かった時よりも、更にしおれている。
「半分以上、焦げてるね。まあ、なんとかなるだろう。すぐに、調べさせるよ」
リゼはポケットから、角を合わせて折りたたまれたハンカチーフを取り出した。折り目の間に葉っぱを挟むと、再びポケットにしまった。
「この後、レオは、どうする?」
「すぐに戻る」
「だと、思った」
リゼは、わざとらしいほど長く息を吐いた。
「でも、お茶くらい飲んでいきなよ。これからまた、長い距離を飛ぶだろう?」
「私は大じょ」
「大丈夫じゃないよ」
リゼは、レオの額を指で弾いた。「痛っ」と言いながら、レオは両手で額を押さえる。
「レオが飛行魔法が得意なことは、僕だって知ってるよ。でも、もしかしたら戻った後も、更に魔法を使うかもしれないだろう?」
指摘されて、レオは「う」と言葉を詰まらせる。「それに」と、更にリゼは言葉を重ねる。
「少しくらい、僕と話してくれても良いだろう? 君が僕の元に戻ってきてから、まだ落ち着いて話をしたことが無いじゃないか。すぐに用意させるから」
レオが返事をする前に、リゼは護衛に茶の用意を頼みにいってしまう。彼自身は、図書室から動く気が無いらしい。レオを逃がさないためだ。
(もう。たまに、ほんっとうに、わがままなんだから。お茶してる間に、掘り起こしちゃうよ)
レオは口を尖らせるが、戻ってきたリゼは笑顔のまま一歩も引かない。
結局は、リゼの私室で、茶と焼き菓子をおいしくいただいている。十五歳の誕生日に貰った焼き菓子と同じものを出してくれたのだ。レオは少しだけ機嫌を直すことにした。
「リゼの部屋に久し振りに入ったけど、子供の頃とあまり変わらないね」
おもちゃが本に変わったくらいで、調度品はすべて記憶のままだ。楕円形の鏡に、机に椅子に寝台。サイドテーブルには、本が山積みになっている。今、レオとリゼが向き合うティーテーブルに、昔はオーリスも加わっていた。
「オーリスは来ないの?」
「呼びにいってもらったから、そのうち来ると思うよ。ただ、ついでに葉の調査依頼もするよう頼んだから、少し遅れてくるかもしれないな」
「ああいうのって、どこに持っていくの? 医師団でも良さそうだけど」
「たしかに医師団でも、それなりの設備は持っているけど。今回は、薬学研究機関に持っていってもらったよ。今、医師団の半分以上が北に行ってしまっているし。より専門性が高いからね」
「なるほど」
城には騎士団や医師団だけでなく、専門的な研究機関がいくつかある。薬学研究機関もその一つで、新薬の開発はもちろんのこと、動植物や鉱物の成分調査なども行っているらしい。
「オーリスは、薬学研究機関に知り合いが何人かいるらしいから、話が速いと思うよ」
リゼがそう言ったのと同時に、ノックの音が聞こえた。
「オーリス様が、お見えです」
外で待機していた護衛の言葉に、レオとリゼは顔を見合わせて笑った。
「三人で茶会など、どれくらい振りでしょうね」
オーリスは柔らかく笑いながら、レオの隣に座った。すぐに侍女がやって来て、オーリスの分の茶を用意していく。
「レオが僕の元を離れる前だから、六、七年振りじゃないかな。葉っぱの方は、どうなった?」
「調べていただけるそうですよ。ただ、結果が出るまでに時間が掛かるようです」
「うん。葉っぱがあの状態では、しかたがないね。調べてもらえるだけ、良しとしよう」
オーリスはうなずくと、レオを見た。
「レオの方は、どうですか? ライカ殿とは、うまくやれていますか?」
途端にレオは渋面を作ると、首を横に振った。
「ぜーんぜん。まあ、会話ができるようになっただけマシかな。初日は、ほぼ無言だったから。でも、ひどいんだよ。私はリゼのために働くのみだって言ったら、忠義の人のつもりになっているだけじゃないかって」
レオは両手で目尻を引っ張って、細目を再現する。リゼは、ははっと笑い声をあげた。オーリスは困ったように、ほほ笑んでいる。
「彼は、レオのことをまだ知りませんからね。リゼの傍にいたいだけの甘ったれじゃないか、と疑っているのかもしれません」
「そんなわけないのにね。僕が引き留めなかったら、この茶会はできていないよ」
リゼの言葉に、オーリスがうなずいた。
「一緒にいるうちに、レオの良さも伝わるはずですよ。レオもライカ殿も、途中で仕事を投げ出すような人ではありませんから。きっと、互いを補い合えるようになるはずです」
「だと、いいけど」
レオは、焼き菓子をかじった。口の中で生地がほろほろと崩れ、ほのかな甘みと香ばしさが舌に広がる。
焼き菓子とオーリスのおかげで、レオの心がほんのり温まった。