次は、立派なお医者様とやらに会いに行きましょう。
(まあ、納得はしてないだろうな)
報告を受け取ったうえで、リゼは疫病を治したという医師を疑っている。レオもライカも、その彼の命を受けて、ここにいるのだ。はい、そうですか、と帰るわけにはいかない。
「一度、疫病を治したという医師の話をお聞きしたいと思うのですが。居場所は、わかりますか?」
レオが尋ねると、スイはわずかに首を傾げた。
「ううん、そうですね。彼は、滅多にこちらには寄りません。今も、村内のどこかにいるとは思いますが」
「そうですか。探してみるしかなさそうですね」
幸い、集落は小さい。すぐに見つけることができるだろう。
「それでは、失礼します」
二人は天幕を出ると、集落に向かって歩きだす。医師団の天幕群と集落とは森で隔てられてはいるものの、細い獣道で行き来はできるようになっていた。草が踏みしめられ、邪魔になるような枝も取り払われていることから、それなりに人が通っているのだとわかる。
百歩も歩かないうちに、集落に着いた。辺りはしんとしていて、小鳥の鳴き声がよく聞こえる。疫病で、三分の一に近い住民が死んだというから、無理もない。
村の家々は、一階建てばかりのようだ。細い丸太で組まれた火の見櫓が、建物としては一番高い。櫓の周りは広場になっていて、傍にはつるべ式の井戸がある。井戸の周りには、水汲みの手伝いをする子供や洗濯をする大人がいて、憩いの場となっているらしかった。
レオとライカが近づくと、彼等は話を止めた。子供を背にかばい、目を細める。外からの出入りが少ない集落に住む人々は、よそ者に対する警戒心が高い。彼等の話を聞くには、何かしらの方法で信頼を得なければならない。
(まずいな。気遣いができない男が、後ろにいるんだけど)
ライカが余計なことを言い出しやしないか気にしながらも、レオは笑顔で口を開いた。「こんにちは。私、スイ団長に話をうかがって、ここまで来たんですけど」
「スイ姉ちゃんなら、知ってるよ。ぼく、ケガを診てもらったんだ」
大人の背後に隠れていた子供が、声を上げた。
「ああ、なんだ。彼女のお知り合いですか。息子が世話になりまして」
子供をかばっていた男も、笑顔を見せる。村を訪れたという医師は疫病を治すことで、スイはケガを治すことで、村人達の信頼を得ていたのだ。
(スイさん、ありがとう)
レオは心の中で、スイに礼を言った。彼女が聞けば、仕事だから当然のこと、と答えるかもしれない。しかし、レオも少年も、彼女に助けられたことに変わりはなかった。
「先ほど、スイさんからお聞きしたのですが。現在こちらに、ご立派なお医者様が滞在されているそうですね」
レオがそう言うと、人々は笑顔で何度もうなずいた。
「あの方は、本当に偉大なお方です。滅ぶしかないと思っていたところを、お救いくださったのですから」
「あの方に薬草をいただいた奴等は、みんな順調に回復していったんですよ」
「うちの父ちゃんも、治してもらったんだ」
へへっと笑う子供に、レオも笑った。
「そんなに素晴らしいお医者様なら、私も一度お会いしてみたいです。今、どちらにいらっしゃるのでしょう? どなたか、ご存知ありませんか?」
「ぼく、知ってるよ。村長さんちの離れにいるんだ」
父を治してもらったと笑顔を見せた子供が、元気よく手を挙げる。洗濯ものを手にした女性が、口を開いた。
「この村にいらっしゃってから、ずっとそちらに滞在されているんですよ。午前中は家々を尋ね歩いていらっしゃいますが、午後は中においでになることが多いんです」
「スイさんの知り合いとはいえ、あんたらは、よそ者だから。一応、村長さんに一言あいさつしてくれや。一番でかい家だから、すぐにわかる」
「わかりました」
樽を持つ男性に、レオは素直にうなずく。集落には集落の決まり事がある。任務を滞りなく遂行するためには、住民の反感を買わないことが大事だ。
「ありがとうございました。行ってみます」
レオは人々に深々と頭を下げると、歩きだした。ライカも黙って付いてくる。
(このまま余計なことは言わず、必要なことだけ口にしてくれればいいけど)
時々後ろを気にしながらも、レオは村長の家を目指す。一軒だけ、他より屋根が高い家がある。おそこらくは、そこが村長の家だろう。
さほど時間を要することなく、村長の家とその離れと思われる建物の前に着いた。
「おそらく、ここですよね?」
周囲の家々よりも、横幅が二回りほど大きい。屋根は高いが、窓の数から一階建てだと推測できる。もしくは、一階の上が物置になっているのかもしれない。どちらの家も、屋根や壁は石造りだが、窓枠と戸は木でできていた。
二軒並ぶうち左側の屋根にだけ、風見鶏が付いている。風見鶏が付いた家の方が、壁の色が薄汚れている。木戸の色も濃い。より年数が経っている、ということだろう。
家の造りが他の家々と違うということから、代々長を務めてきたと推測できた。
「間違いないだろう」
低い声で肯定したライカは、風見鶏が付いた家の戸を叩いた。年季が入っている方が母屋だと判断したようだ。
当たりを引いたようで、すぐに壮年の男性が出てきた。井戸の周辺にいた人々よりも、肌艶が良い。豊かな口髭を持った男だ。
彼もまた、訝しげにレオ達を見た。
「何者かね? どこから来なすった?」
「スイさんに御用があって、首都より参りました」
本来の目的は、もちろん伏せておく。
「スイさんに、ご立派なお医者様の話をお聞きしまして。ぜひ一度、お会いしてみたいと思い、こちらにお伺いいたしました」
「あなた方も、医療に興味がおありで?」
村長はなおも疑わしそうに、レオとライカを交互に見た。井戸で会った父子のようにはいかなさそうだ。
(まあ、私はともかく、この男が医療に興味あるとは思えないよね。私はともかく)
自分のことは棚上げをし、横目でライカを見る。不愛想のまま立つ彼は、やはり屈強の剣士にしか見えない。
「ご覧の通り、私達は。医療分野に関わる仕事をしているわけではありません」
『私達』と言いつつ、レオはライカを示した。
「だからこそ、応急処置くらい自分でできるようになるといい、とスイさんに言われまして。どうせ教えを請うのであれば、より腕の良い方にと思ったのです」
「なるほど。武闘家ともなれば、ケガは絶えないでしょうからな」
村長は、まじまじとライカを見上げた。ライカの眉が、少し中央に寄る。不本意だと思っているようだ。
「まさか、お嬢さんも武闘を?」
ライカの表情の変化に気付くことなく、村長はレオを見た。レオは笑顔で、「いいえ」と否定する。
「私は、魔術師です」
「ああ、ああ、そうでしょうな。その細い手首では、逆に痛めてしまう」
村長は、何度もうなずいた。ライカの眉がますます寄ったが、村長は気付かない。レオは、笑いをこらえるのに必死だ。
「しかし、魔術師でもケガをすることが?」
「失敗すれば。未熟者は特に」
意趣返しとばかりに、ライカが答えた。
(誰が未熟だっ)
レオは、勢いよくライカを見上げる。
否定したいところだが、村長は彼女のことなど気にすることなく、「なるほど」と納得してしまう。
「そういうことでしたら、案内しましょう。お医者様でしたら、離れにおられるはずです」
長である以上、顔を立てるのが筋だ。案内されるまでもない距離だが、二人は村長に従った。
「マッシュ様。いらっしゃいますでしょうか?」
村長が、呼ばわりながら離れの戸を叩く。
「マッシュ、というのが、お医者様の名前なんですね」
レオの言葉に、村長がうなずいた。
「偽名だろうな」
ライカの呟き声は聞こえなかったようで、村長は何の反応も示さない。
(偽名か。あり得るな)
呟く声が聞き取れたレオは、口には出さずに同意する。
死人が何人も出る疫病ともなれば、国から調査が入る。現に、医師団が滞在しているし、彼等は城へ都度報告書を送っている。本名を出して面倒な思いをしたくない、と考える人間は意外と多い。もっとも、名を上げるために、あえて本名を使うこともあるだろうが。
しばらく待った後、「はい」という返事と共に戸が開けられた。