一室しか用意してもらえませんでしたけど、どうしますか?
風呂桶の中で、レオは大きく息を吐いた。
「つっかれたー」
湯の中につかり、足を伸ばせることに幸せを感じる。もう一度大きく息を吐いた後、ふくらはぎを手で揉み始めた。少しでも足をほぐしておきたい。
「ライスウォークじゃ、王城だけの贅沢なのにな」
揉む手を止めて、湯をすくってみる。マルエルでは、市庁舎や有力者の邸宅だけでなく、宿泊施設や病院、民間の家にも浴室があるらしい。さすがに花びらを浮かべたり、香油を垂らすといった趣向はしない。しかし、他の都市からすれば、毎夜湯につかれるだけで充分贅沢なのだ。
首都のライスウォークでは、浴室があるのは王城だけだ。王家の人間には、個々に用意されている。騎士団が管理する大浴場と、医師団が管理する中浴場もある。中浴場の方は、療養目的であれば身分問わず入ることができる。
街中にも湯浴み場はあるが、体を洗うのみで、湯につかることはできない。使用できる曜日も、地区ごとに決められている。
大浴場と湯浴み場の湯を用意するのは、騎士団の魔術師の中でも下っ端の仕事だ。魔力の微調整の訓練も兼ねている。
(私は、リゼの恩恵を受けてきたけど)
本来、王太子付きのレオは、騎士団と同じく大浴場に入るべきだ。王付きの父や兄も、大浴場を使っている。
しかし、「レオは大切な幼馴染だから」の一言で、客人用を使用していた。一度断ったこともあるのだが、彼は聞き入れなかった。
(リゼって、過保護すぎるよね。帰ったら、改めて断ろう)
ため息を吐いてから、風呂を出た。
髪を拭きながら部屋に戻ると、ライカが魔法で作り出した温風で、頭の毛を乾かしていた。炎の竜が杖を持ち、ライカの前に立てている。竜を熱源にし、杖から風を吹かせているのだ。
「なかなか器用なことをしていますね」
(炎の竜に、こんな使い方があるとは)
炎の魔法には縁遠いレオは、素直に感嘆した。氷の蝶では、こうはいかない。
レオの声を拾った猫の耳が、ピクピクと動く。
(ほんとに、かわいいっ)
撫でまわしたくなるが、手を伸ばす前にライカが振り返った。
「燃えない素材を選ぶ必要があるのが難点だが、なかなか便利だ。そこに座れ。ついでに乾かしてやる」
猫の手で、隣りの床を叩いた。レオはありがたく、ライカの隣りに座る。心地よい温風が、レオに向けられた。
隣りに座るライカは、半袖シャツに麻のズボンと、簡素な格好をしている。人の姿なら意識して仕方がないだろうが、猫の姿だと気にならない。
「もう服を着てますけど、体だけ先に乾かしたんですか?」
「ああ。無駄に時間が掛かって、不便だ」
「猫の毛って、乾きにくいんですね」
「そのようだな。人と違い、全身が毛だらけというのもあるが」
項垂れるライカは、しっぽをまだ乾かしていなかったらしい。両手でしっぽを掴むと、体の前にもってくる。
(あああ、かわいいっ)
レオは、両手で頭を抱えた。
「急にどうした?」
「い、いえ。べつに。ただ、猫の姿はかわ、いえ、不便なことが多いんだなーと思って」
「ああ。杖を持つにしても、服を着るにしても、結局は魔法で補助している。いつもより、魔力の消費量が多くて敵わん」
「だったら尚更、魔法が使えて良かったじゃないですか。魔法が使えなかったら、ただのおっきな猫ですよ」
「それを言うな」
ライカは、盛大にため息を吐いた。
ただ、魔法が使えるからこそ呪いに掛けられた、とも言える。魔術師の総数は、世界的に見ても少ない。国内の魔術師の大多数は、王城で働いている。彼等は研究機関で働くか、騎士団に入るかのどちらかだ。呪いに触れる機会は、一般市民より格段に多くなる。
「この街は、寛大な人間が多いのが助かる。この姿でも怖がられることは、まず無い」
「むしろ、子供達に大人気でしたね」
市庁舎から下水道に向かう最中に、ライカが子供達にもみくちゃにされていたことを思い出す。周囲の大人達の多くは、温かい眼差しで子供達を見守っていた。他の一部の大人達は、うらやましそうに子供達を眺めていた。彼等も、大きな猫を構いたかったのだろう。
「あれには参った」
あちこち撫でられた感触を思い出したのか、ライカはぶるぶるっと頭を振った。
「だが、街や下水道を見たこと自体は良かった。まだ、すべてを歩き回ったわけではないが、ライスウォークよりも衛生面で優れていると思う。魔術師無しでも湯につかれるのは、近くに豊かな水脈と火山があるのだろうが」
「そういえば、上水道も下水道も近くの湖から引いているって言ってましたね。おかげで、下水道の水に淀みはありませんでした。害虫も見かけませんでしたし、あそこでネズミが大繁殖するとは思えないんですけど」
髪が乾ききったところで、レオはブラシを通す。ついでに、水で喉も潤した。用意されたガラスの水差しには、ぎっしりと果実が入っている。舌に、ほのかな酸味と甘味を感じた。
「俺も、そう思う。下水道の調査は医師団に任せて、俺達は別の角度から探ってみるか」
「別の角度?」
「旅の商人だ」
レオは、「ああ」と声を出した。下水道に気を取られて、今の今まで忘れていたのだ。
「確かに、怪しいですよね。わかりました。さっそく、明日の朝から探してみましょう」
そうと決まれば、早めに寝て、爽快な目覚めと共に朝を迎えたい。レオは寝台に乗ろうとしたが、「そういえば」とライカを振り返る。
「市長さん、ライカさんのこと、私が連れてきた猫っていう認識しかなかったんですよ。だからか、一室しか用意してもらえなかったんですよね。どうしますか?」
「どうする、とは?」
「一緒に寝ます? 猫としては大きいですけど、一緒に寝ても問題ありませんよ? その姿なら、私はぜんっぜん構いませんけど」
(むしろ、あったかそうだし、ふかふかそうだし、もふもふしたいし)
マルエルの夜は、さほど寒くはない。しかし、毛玉を抱えていられないほど暑くもない。毛並みに顔を埋めることを想像して、レオの顔が緩んだ。
ライカの毛が、これでもかというほど逆立つ。
「少しは構えっ。こんな姿でも、俺は俺だっ。俺は、椅子の上でいいっ」
早口でまくし立てると、ライカは椅子の座面に丸くなった。レオには、やはり猫にしか見えない。
(もふもふしたかったな。でも確かに、いつものライカさんと一緒の寝台は)
レオは、同じ寝台で、隣りに眠る人の姿をしたライカを想像してみる。
「うん。無いっ」
レオは寝台に上がると、頭から毛布を被った。ライカが丸まる椅子とは、逆方向に体を倒す。火照った頬は、なかなか冷めなかった。




