卒業式
ちゃんと『さようなら』を言えた。
先輩に届く声で言えた。
『元気でな』と返してもらえた。
背の高いその笑顔がいつもより遠く見えた。
明日からもう会えないなんて、嘘みたい。
ずっと眩しいその姿が側にある日々が続いていくって思ってた。
冬のあいだ足にまとわりついてた制服のスカートが春の風にふわりと離れて舞う。
歩道には桜が散って、溶けたみたいになってる。
誰かが泣いたあとみたいな花びらを、なるべく踏まないように、気をつけて歩いていたら、猫背になってた。
もう、会えないんだ──
言えなかった。
あたしの気持ちを伝えられなかった。
卒業式は、終わった。
先輩は中学校を、あたしは先輩を、卒業する。
白いふんわりとしたネコがすれ違っていった。
店先で知らないおばさんが掃除をしてる。
あたしは今、ここにいる。
きっと大人になって思い出すんだろうな。
とても天気のいい日に、先輩に何も言えなかった帰り道のこの景色。
不思議なぐらいに、涙って出ない。
きっと家に帰って、部屋でひとりぼっちになったら止まらなくなるんだろうな。
もう、会えないんだな……
絶対に忘れないからな。
こんなに好きで、あんなに好きだったんだから。
忘れられないよな。
桜の花びらが雪みたいに降る中を速歩きになった時、ふいに大きな声で、遠くから名前を呼ばれた。
「おーい！」
もう会えないと思ってたそのひとが、バス停に立って、こっちに向かって大きく手を振ってた。
「先輩！」
あたしはどんな顔をしているんだろう。自分でもわからなかった。
先輩はいつもの優しい笑顔だった。
またこの笑顔に会えるなんて思わなかった。
「どうしたんですか？ もうとっくに帰ってると思ってた」
「ちょっと寄り道してたらバスに乗りそこねちゃってね」
照れたような笑顔。
桜の花びらが降るせいか、少し頬が紅く見える。
時刻表を見た。
次のバスが来るのは10分後。
10分間、先輩と、本当の最後のお話ができる。
伝えなきゃ。
ここで伝えなきゃ、永遠に伝えることはできない。
でも、今さら伝えて、どうなるんだろう。
あたしたちは懐かしい話をした。
ほんのちょっと前のことなのに、既に大昔みたいな、懐かしい話を。
もう二人の思い出は過去形ばかりだ。
これから始まることなんてひとつもない。
バスを待つ人が増えはじめた。
学生はあたしと先輩だけで、おばさんとか、スーツ姿の営業マン。
おじいさんの後に子供を連れたお母さんが並んだ。
人が増えると先輩は無口になって、あたしを内側からもじもじさせた。
伝えなきゃ。
これから始まることなんて、気にする必要ない。
ただ、ずっと胸にあったこの気持ちを伝えたい。
伝えなきゃ、きっと一生後悔する。
桜が一片、先輩の制服の肩に乗った。
「先輩！」
その花びらを見つめながら──
「あたし、先輩のこと、ずっと好きでした！ 先輩があたしのこと、妹みたいなものだって思っててもいい！ ただ、あたしは、先輩のこと、心からっ……！ ずっとずっと好きでしたっ！」
言った……
言えた！
逃げ帰ろうかと思った
その時──
強い風が吹いて、あたしたちの上に桜吹雪が降りかかってきた。
「あ、髪についたよ」
そう言ってあたしの髪に触れてきた先輩の顔が、よく見えなかった、桜色に滲んで……
「嬉しいな。俺のほうこそ、ずっとただの先輩だって思われてると思ってた」
桜色の景色の中、先輩の声だけが、はっきりと聞こえた。
「俺も好きだよ」
バスを待つ人たちが、笑顔で拍手をしてくれた。
泣いてしまったあたしの頭を、先輩の硬い手が優しく撫でてくれた。
これからも先輩と繋がってていいんだ。
卒業式が終わっても、先輩はあたしの人生からは卒業していかなかった。
「バスはまた次のでいいや」
先輩が、あたしの手を握る。
「少し歩く？」
祝福するみたいに桜の花びらが降り注いでた。
本羽 香耶さま、お題をありがとうございました(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ
