EP25 回天 新たな運命の糸車
______それはレイジー博士達が<ナイトメア亭>に向かう日の朝の事。冒険者組合のフロアで、穏やかに世間話をする二人の姿があった。
ほッほッ
「ルチア、デリーシャにそう伝えたのじゃな。そうかそうか、それはいつもすまない事じゃのう」
「ご案内するのは当然です。あそこが潰れでもしたら、デリーシャさんが困るでしょう?」
ふぉっふぉ。
「そうじゃのぉ、それよりもいい相手が出来れば、生い先短い儂も心配はいらんのじゃが、それにしても誰かおらんものかのう、なぁルチアや」
はぁ~私に訊かれましても......その困ります。
『あの怪しいけれどイケメン薬師に、まさか私と同じ歳のデリーシャさんが目を付ける事は無いとは思うけど。一応彼女、普段は男性がたくさん居る所にいるんだしぃ』
そう思った途端、ルチアの背筋に悪寒が走った。
ブルブル縁起でもない。それはない、ない。そんな事になったら私......。
かぁ~
『はぇ~私ったらどうしちゃったのよ、なんでぇ~』
「ん? 顔が赤いぞよ。どうしたんじゃ、まさか! 感染しておるのか!? 皆、これは大変じゃぁ~!」
老人の叫びが、広いフロアに響き渡ると辺りは騒然となった。
「なんだとぉ!俺のルチアちゃんが感染したってかぁ!」
「馬鹿野郎、俺んだ!」
その日、冒険者組合のフロアは一時凍りついたが、感染ではないと説明して、やっといつもの日常に戻ったのだった。
______謎の高熱病は依然として感染拡大中である。
その特効薬<レイジー・マイシン>を求めて、冒険者組合ルチア・アルデールの窓口の先頭に立ち、大声を出してしまったのがデブーラ男爵家執事オイスター・ケチャップだった。
そこに現れたのは、いつも不機嫌な顔をした組合長マスターアデリア。
彼女はここ最近、朝九時を過ぎると執務室からフロアに降りて来る事が多く、ちょっとした話題を提供していた。
「来た来た、マスターアデリアのお出ましだぜ。相変わらず不機嫌な怖い顔して。何が気に入らないんだ?」
「エルフの超美人なのに、あぁ勿体ない。あんなんでは誰も告れる奴はいないだろうけど、あのツンツンがまた堪らないんだよな~。俺、アデリアに罵倒されてみたい」
「馬鹿か、ついでにブーツのヒールで踏まれたいんだろうが。ありゃ相当痛ぇぞ」
「あぁアデリア女王様ぁ~」
重症だな、おい。
朝から冒険者組合に顔を出すこんな変態は、マスターアデリア目当ての者も少なくないのだ。それが毎日フロアに顔を出すと訊いて、冒険者組合は以前の活気を取り戻す程になっていた。
「何をしている。貴様ら朝から騒がしいぞ!」
ギラッ
「ひえぇ、睨んでる、睨んでる」
『あぁレイジー様は今日も来ていらっしゃらない。あたしの心はあなた様の事で一杯。張り裂けそうなのに、もう仕事など放りだしちゃって、今すぐにでも跳んで行きたいのにぃ、あぁ~ん♡』
こんな激甘な事を想っていても、顔はキツイ超美人エルフ。一度あの瞳で睨まれれば、あのジャッカルでさへ後ずさりする程なのだ。
そうでなくては冒険者組合のマスターなど、単なる美女だけでは勤まらないのだ。
「ふん!腰抜け共が」
その理由、付いた二つ名が<アイス・アイ>。その極寒の瞳に睨まれれば、屈強な冒険者でもタマキンが縮み上がるのだ。
マスターアデリア、二つ名が<アイス・アイ>は、この街が誇る数少ないSランク冒険者でもある。
「あッ、おはようございますぅ、マスターアデリア。丁度デブーラ男爵家の執事さんがいらっしゃってます」
ギラッ
はひぃ『おしっこが漏れちゃぅ』
「ルチア、私を馬鹿にしておるのか?そんなものは見ればわかる。しかしお前は本当に感染しないんだな。レイは感染して休んだと言うのに」
謎の高熱病から復活して間もないのに、隣で窓口に立つレイも苦笑いを隠せなかった。
「先輩って病気した事ないもん、ほんと不思議だよねぇ~、なんでぇ?」
「あはは、何故でしょう。私、馬鹿だからかなぁ~」
呆れた視線が一斉にルチアに降り注いだのは、ルチアは冒険者組合の人気ナンバーワン、出来るゴールドプレート受付嬢だからで、今の言葉は末端の厚紙プレート受付嬢達には嫌味にしか映らないのだ。
「ところでオイスター、流行の高熱病に感染した使用人達は、まだ完治していないのか?」
......左様ですのう。
立場上、老いぼれとは言え、デブーラ男爵は予防として長年仕えた執事を優先した結果、老執事オイスターは感染を免れていたのだ。
ところで異世界人のエルフと人種では、DNA配列に少しばかりの違いがある。
私とジョーが、地球から持ち込んでしまったコローナ高熱病ウィルスは、実はエルフは感染しにくいという事実を、私はまだ知らない。
______「あぁ失念していたな。本当にどうでもいい事だが、Fランク如きの糞薬師に<ナイトメア亭>を紹介しておいた。もしかしたら、もう泊まっているかもしれんぞ」
「そのようですな。儂もルチアから今、訊いたばかりですじゃ」
『あぁ~ん、早くお友達になりたいのに。そうよ、バイソンがあたしの紹介だと訊けば、レイジー様はきっとあたしの気持ちに気づいてくれるのよ。それにモーリンは感がいいからぁ』
あはぁん♪ いやぁん♪ ばかあぁん♪
『はて、儂は耳までおかしくなったかのぉ。あさはいや ばか♪とは......儂、エロい事を訊いてしまったかの? マスターアデリアもそろそろ結婚を望んでもおかしくはないが、エルフは長寿故、婚期というものが分かりにくい。確かマスターアデリアは160歳だったような、いやいやもっと年増で200だったとか?』
ギラッ
「おいテメエ、オイスター! 私の逆鱗に触れるような事を......まさかとは思うが考えてはいないよな!」
ビクぅ ふがぁ~
「ワヒは残り少ない寿命でふが。ふぉんな事は滅相もないでふが」
「ふん、ならばいいが入れ歯を飛ばすな。汚らわしい!」
オイスターの本音と確信は別として、アデリアが勝手に想像した事が、現実になると決め込んだ乙女心は、ある意味で狂気と紙一重でもあった。
マスターアデリア180歳にして、遅い初恋だった。
『いやぁんバカぁん』
______時は戻り午後の<ナイトメア亭>
「おう戻ったか、お二人さんよう」
ジョーの冴えない顔で、バイソンは感づいたのだろう。
『こいつ等、墓地に行ってアレを見たのか?』
「ここは広くて静かで、とてもいい所ですね」
店主に何か一つでもお世辞を言わないと拙いと私は思ったのだ。いわゆる社交辞令と言う奴だ。
「ケッ、ここをいいと思う奴なんざ、一人もいねぇんだ。見え過ぎた嘘を言うんじゃねぇ」
その通り。こんな店主にお世辞を言う必要は無かったのだった。
「ところで、ウチの娘達は上手くやってますかね?」
厨房では、意外にも三体の娘達が熱心に、今晩の料理を観察する姿があった。
主人である私が食べるのだから、脳天気なバニラ・アイスまで熱意が違うようだ。
「あら、お早いお帰りでしたね。まだもう少し煮込みますので少々、お待ち願えますか?」
「今日の晩飯はな、ルルが北の湖で摂った特製キノコ山菜シチューに、ポイズンダックスのステーキだ。キノコは湖でしか摂れねぇんだ。お前等は運がいいぜ」
ごくり
私は初めて食べれる異世界の料理に、期待がどんどん膨らんでいった。
「ポイズンって、動物は毒を持ったのが多いのですか?」
「あぁん?おめぇ薬師だろうが。毒は血抜きすれば問題ない。それにお前等、いったいどこから来たんだ? まさかお前のパーティーに解毒が出来るヒーラーはいねぇのか? 冒険者を生業にするなら、それは致命的だぜ」
「あらあら、それはそれは無謀ですわよ」
奥さんのモーリンさんまでが、納得の表情である。
そうでした。
「うちのパーティーは、攻撃主体でヒーラー無し。そりゃ無謀ですよねぇ」
はん!
「そういう馬鹿が、一番先に死んで逝くんだよ!冒険者なんぞ止めて薬師に専念しろってこった。それに何だ、美少女三人と年増一人で冒険者だと? 一体何を考えていやがる」
「いえ、これでもこの子達は強いですけど」
「いい加減な事を抜かすな、追い出すぜ」
______私はドラッグストアを開く土地の下見を兼ねてここへ来ている。最悪、ドラッグストアの経営だけでもいいと思ってはいるのだ。
「毒と言われても、こちらの世界の毒と地球の毒が同じ物とは限らない。解毒剤を作るにも、異世界のデータが無いのが薬師としては致命的だな」
ほぉ~ん
「兄貴ぃ、ボクってハメリア合衆国情報部エージェントだって事、まさか忘れてない? あっ、言って無かった? ボクってば毒のエキスパートだよ、全くボクの事をもっと知らなきゃ駄目じゃないのさ」
なるほど。異世界の毒をジョーに調べて貰えばこの先、私の新薬開発に大いに役に立つだろう。
「姐さんにも活躍の場があったのか。ふむふむ、それは重畳」
______突然いくつものワードが、私の頭の中で円を描き出した。
<冒険者組合長アデリア>、<ナイトメア亭>、娘<ルル・ハーモニー>、<謎の墓石>、<ジョーの意外な才能>そして<感染しないルチア・アルデール><ハメリア合衆国とルルシア帝国><消えた女医>エトセトラ、エトセトラ。
カチン ガリィ
天才の頭の中で、何かが擦れ合ったような音がした。噛み合っていない歯車が擦れたように、はっきりとした音ではなかった。それが噛み合った時、青年は天が回り出すような気がしたのだった______