第三話 【転生したら だった男ー1】
温かい日差しは生命を育み、また豊かな風を運ぶ。それらは日々重ねられる所謂【普通】と言う名の奇跡で構成されており、奇跡と言えど余りにも普遍的に隣に在れば、やがてその尊き有り難みも消失する。かつての俺も、そんな当たり前を失念していた様に思う。
鉄を打つ軽快な音色、息子の織り為す名盤を聞きながら鼻唄を鳴らす妻、彼女によって生み出される家族揃った食事という至高の逸品、それを食す幸せな亭主、そして亭主の一言で翌日も励む息子。只これだけの小さな幸せは、在れば当たり前で、無ければ尊い奇跡となる。そんな何処にでも在るであろう小さな奇跡を目撃し、一つ人生を噛み締める方法を覚えた俺は、一人の名工より生み出されし極みに届かんとする一振りを、毎日眺めては満足するという、とても美しい日々に身を窶して過ごしていた。そして皆が寝静まる時間に、一人小屋を飛び出しては、それらを擬態するという一挙幾得だろうかという夢の様な日々。そんな日常は、ある日突然瓦解する。積み上げるは難しく、砕くは易いというのが世の理なのだろう。
「ジョン、今日も出かけるよ!」
「わふっ!」
レイリーに誘われ、日課となっていた散歩へと繰り出した一人と一匹は、あの日以来変えていた走行ルートにもすっかり慣れ、軽快に脚を進めていた。ルートを変えたというのは他でもない、俺がやってしまった【希少鉱石を見つける】という名犬ぶりを期待されての事なのだが。それらは早々見つかる訳でも無く、俺は無理に探さず見つかった時だけ報告すると言う日々を過ごしていた。幾ら希少と言えど、やはり何百日と森を駆け周れば見つかるもので。アレから二年という年月が過ぎていたが、既に五個の鉱石の取得に成功していた。
そしてその甲斐もあって。
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条件達成
スキル【周辺探知Lv1】を獲得しました
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俺は第四のスキルを習得していた。鑑定ほど詳しく知れる訳ではないのだが、わざわざ目をやらずとも何処に何があり、またどんな生命が何をしているのかが把握出来る様になったのだ。鉱石探しにこの能力を投入しようとはしなかったが、未知の物を鑑定するという流れが停滞気味であった昨今に、このスキルが来た事で転機が訪れた。つまり、未知を見つける周辺探知と、見つけてからの鑑定の流れが見事に機能し、俺はまた一つ便利な物を獲得するに至ったのだ。その能力の恩恵もあり、この辺りでは最早俺の知らない何かなど存在しておらず、【そのルートに行くなら今日は希少鉱石は無いな】と事前に分かる程まで把握しつつあった。
そんな甲斐もあってつい先日、
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スキル【周辺探知Lv1】
は
スキル【周辺探知Lv2】
に成長しました
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と進化を終えていた。やはりレベルが上がると使い易さも段違いだ。だがこの辺りでの周辺探知得られる新情報は特に存在せず、面白いスキルを手に入れた反面、持て余す感覚も覚えていた。
さて、一方レイリーはと言うと、それらを駆使して新たな防具となる籠手、盾、鎧上部、鎧下部を精製しており、言わずもがな全て父へと献上している。これらの防具を以って父はいよいよ英雄へと片足を入れ始めており、これを重く見たレイリーは五つ目の希少鉱石【オリハルコン】を用いて二振り目となる名剣を生み出したのだ。元を正せば名犬の為した名剣と思えば、やはりと言うべきなのだろう。
冗談はさておき、父の名声と匠の業、この二つを以ってその名剣の銘は遂に世間へと知られる事となった。与えられた銘は【神剣フラガラッハ】、柵を断ち切るきっかけとなった鍛治に最大限の感謝を捧げるという意味合いを持たせたと、英雄の談ではあるが。俺に言わせてみれば【妻への感謝】も一枚噛んでいると言わざるを得ない。プライドの高い奴は口が裂けてもこんな事を言わないだろうが、それを察する能力のある有能な妻フランは、その日の夕食を考えられない程豪勢に振る舞ったという話は想像に易い。勿論当の妻は名剣の生誕祭としてその日をセッティングしており、これも流石の一言に尽きるだろう。
そんな訳で、我々は今日も森の中を走行している。既にこの辺りは全て踏破しており、徐々に走行ルートも際どいモノが増えてきていた。俺の出生の地である池も含め、脚を踏み外したなら命の危機に直結し兼ねない場所が多々存在している。故に、この事故はいつの日かやがて起こるであろう必然と言えば必然だったのかもしれない。
「ん、向こうに見慣れない道があるな」
「わふっ」
それは道と言うには余りにもか細く、また何か一つでも違った場合に危険を孕んだ断崖絶壁。下に待ち受けるは川であり、前日に上流で大雨でも降ったのか勢いが頗る強い。今思えば、条件は全て揃っていたのだ。
「あの向こうに幾つか石があるな、行ってみるか」
「わふ……」
「何だよ、嫌そうだな。大丈夫だって」
いつだってそうだ。非日常が日常となるまで繰り返され、やがてそこに慢心が生まれ、特別な日常は刺激の無い無味無臭へと成り下がる。僅かばかりの抵抗を見せた俺だったが力及ばず、レイリーは足早にか細く続く道なき道を進み始める。崖下に流れている水はいつもよりも随分と激しく、そしてそれが故に、いつもよりも側面の崖を抉っていた。だからこそ、在るのだ。
「うわっ!?」
いつもは存在しない、踏んではならぬ脆い箇所が。
レイリーが踏み抜いたのは体重を乗せたばかりの崖側の弱所で、そこから彼が自力で体制を戻すのは不可能だった。彼の目には走馬灯でも見えていたかもしれない。日々の幸せ、その特別を軽んじた瞬間の悲劇、そしてそれは悲劇でも何でも無く、一人の男の愚かな慢心が招いた失態である。
だが俺は、それを【だから仕方ない】と切り捨てられる程、彼の事をどうでも良い存在とは考えて居なかった。彼が努力している姿を知っていた。槌を振るった時間も、流した汗の量も、身を粉にして今尚向き合い続けているその直向きさを、俺は良く知っているのだ。
故に、彼が脆弱な道擬きを踏み抜いた瞬間に、崖肌を登る様に彼とは逆側へと全力走行を始めた。そして俺と彼を繋ぐ紐がピンと張り詰めた瞬間に。
「なっ!? じょ、ジョン!!!」
レイリーは安全な場所へと弾かれる様に飛び戻り、そして俺は。当然、危険な崖下たる川の側へと弾き飛ばされる。身体の位置を交換し合う様に互いに交差する二人。質量差から、レイリーはギリギリ引き戻され、俺は勢い良く飛び出した形だ。だがそんな最中、事の顛末が透けて見えていた俺は酷く冷静で。こんな時だと言うのに、擦れ違う彼の様子を具に観察していた。
レイリー、お前の顔はよく見えている。驚き、そして絶望し、俺への謝罪に溢れた実にユーモラスな顔をしているぞ。もし、悪いと思う気持ちが在るのなら。忘れるな、お前が享受する幸せは、未来永劫それが普通で在る時など片時も存在しないと言う事を。噛み締めてくれ、俺がこの幸せの噛み締め方を学んだ様に、俺の存在の消失を以って、その特別を永遠の物に。
「ジョォォォォン!!!!」
そんな事を願いながら、俺は激流の藻屑と化したのだった。
……。
とは言えだ。原型を突き詰めるなら、ここは実家の様な場所。俺にとっては危険でも何でもない。犬の姿から水の姿へと擬態を解放し、流されるままに下流へと行き着いた。やはり例によって流された時間も分からなければ、方角も距離も、何一つ分からない状態。元の場所に戻るのは困難極まると言えるだろう。さて、どうしたものか。そんな事を考えていると。
「フンッ! フンッ! フンッ! フンッ!」
一定のリズムで剣を振る一人の存在に気が付いた。気付けた理由は、どうやらここは浅瀬だったらしく流れは緩やかで、また歩いて足を川へ浸けられる程に距離感が近い。いや、寧ろ剣を振っているその存在が、川へ向かって素振りを行って居たため、俺と言うより彼女に原因があると言えるかもしれない。
そう、剣を振っている人物は女であった。
「フンッ! フンッ! フンッ! フンッ!」
その女は一心不乱に剣を振っており、素人の俺から見てもその練度の高さが窺える程の鋭さを誇っていた。息を整え、全身を脱力させたかと思うと、全筋力を以って剣を走らせる。その剣筋は振り上げられた頂点から最短と思しきルートを綺麗になぞり、気がつくと目の前に構えられている有り様で。
その女そのものと言うより、俺はその真っ直ぐな眼に、真っ直ぐな剣に、揺らがぬ信念の様な物を垣間見た様な気がした。俺には終ぞ持ち得なかったその美しい眼は、俺の心を奪い去るのに十分な威力を携えていた。故に俺はー
「フンッ! フンッ! ……なんだ? 剣?」
擬態のLv2を使った、混成体へと姿を変えていた。剣は剣だが、その持ち手部分は極めて一般的なそれに、そして刀身だけが【フラガラッハ】。そんな一振りへと姿を変えたのだ。さて、不自然に水没する俺を見つけたその女は「何故」という表情を隠す事もなく、水中へと手を伸ばす。そして俺を拾い上げると、軽く柄と鞘を拭き、刀身を引き抜いた。
「なっ、なんだこの美しい刀身は……、吸い込まれてしまいそうだ。何故これ程の業物がこんな川に?」
訝しみながら周囲を見渡すその女は、やはり何一つ気配を察知出来ず、その剣は単独で打ち捨てられて居たと断ずる他ない状況と言えてしまった。故に彼女はー
「クッ、人様の物を悪戯に拝借するなど考えられぬが……。これ程の業物を見つけておいて、むざむざ野へ返すなど考えられぬ。ましてや水中より拾った物。水中へ戻すのは幾ら何でも……。しかし、いや、クッ、ど、どうすれば……」
尋常では無い真面目さを見せるその女は、素振りする事も忘れ一時間ほど悩み続けた結果、持ち主が現れなかった事を理由に持ち帰る事を決意する。一本の剣の前で禅を組み、丸一時間物思いに耽る様は中々に珍妙な景色であった。絶えず変化するその表情に、俺は何一つ退屈を覚える事なく、一時間の経過の後、彼女によって持ち帰られる事となった。