内調機密指定『徳永文書』 Part 6
「目的は理解しました。ですが、職位を盾に迫るのは――」
「嫌でなければ、と断った。そして同意を得た。なのにハラスメントだと?」
「ご存知ですか? 圧力をかける人間はみなそう言うんですよ。本っ当に屁理屈が大好きですね、この冷血官僚!」
「あの、高野さん、わたしは本当に自分の意思でお呼びしていますので……」
一行を乗せた公用車は右折し、庁舎の正面に広がる駐車場へ入った。磁気嵐警報の発令を受けて役場へ避難していたとみられる町民たちが、続々と入れ違いに敷地を出てゆく。
「では、車を取ってくるよ。少し待っていてくれないか」
「や、ウチはここまででいいよ。ありがと」
ガラガラになった広場の中心に車を停め、運転手は後部座席を見やる。そこで彼を待っていたのは――七海の悲痛な叫びであった。
「あのさ、ウチは個人としてのハヤトんが好きだし、信じてるよ。あの良ちゃんがすんなり言うこと聞くくらいだもん、うまくやれてるってことでいいんだよね」
「もちろん。かえって我々のほうが名選手に無作法を働いていないか心配になるよ」
「そっ、かぁ……」
あれだけ元気だったギャルが、伏し目がちに震えた声で受け答えをしている。様子がおかしいと直感した隼人は車を降り、後ろに回ってスライドドアを開けた。
その途端、七海が急に飛び出し指揮官の衿元につかみかかる。反対側の扉から「徳永班長!」と叫んで車内に乗り込み、彼女を引き離そうとする四弦を手で制して、彼は相手の顔をじっと見つめた。
「工藤く――」
「知ってんだぞ! 防衛省と内調、国家安全保障会議。組織としてのアンタと、アンタ以外のクソ上級国民が良ちゃんに何してるか、何もかも全部!」
日本政府のビジネスパートナーとなったアステラシア社は国と秘密保持契約を結び、国家安全保障上の機密情報を共有してきた。その中には内調が関わり、首席情報調査技官が手に入れたものも含まれている。
七海の真のクライアントで、今をときめくサッカー界の北極星――佐々木シャルル良平の生い立ちから今に至るまでの全記録。本人も語りたがらないほど忌まわしいもの、彼について国がひた隠しにしてきたことに、彼女は触れてしまったのだ。
「……キミは、私が思うよりずっとマジメなんだな。命じたのは〝良平君の妹分になれ〟の一言だけ。それから一年、よくぞこうして彼の身を案じ、自然な怒りを覚えるところまで役作りを仕上げてきた」
「バカにしてんの? 褒めるトコじゃないよ、そこは」
「まさか。私もあの件には許しがたい怒りを覚えたとも。怒って、そのうえで自分に何ができるかを考えた。その結果がこれだ」
「ナイチョー辞める覚悟で全部バラそう、とは思わなかったの? ハヤトんはあんなのおかしいって、異常だってわかってたんでしょ?」
七海の言葉が胸を刺す。入局直後、まだ青かった頃の自分に詰問されているかのようだ。
四弦とマキナは、黙ったまま状況を注視している。隼人は衿を握り締める少女の両手にそっと右手を添えると、諭すように静かな声で言葉を続けた。
「内調に『辞職』『免職』という言葉は無い。大して情報を知らない部下、知りすぎている局長と違って、私程度の管理職は回りくどい方法で消される」
「……マジ?」
「ともかく私は、妻と娘を路頭に迷わせないためには国の言うことを聞くしかなかった。それを理解した上で、私はわざと良平君に対し最大の禁忌を――」
「班長、そのあたりで。人に聞かれます」
部下の指摘を受け、班長は我に返った。ここは野外、誰がどこで聞き耳を立てているか分からない。
こういった話は、いずれ別の機会に語るべき時が来るだろう。言いたいことを言って多少スッキリしたのか、七海は着物から手を離してニッと笑った。
「あ、そうそう。バイト先が迎えに来てくれたっぽいから、マジで役場解散にしていーよ」
「わたしも一緒にとのことですので、こちらで失礼します」
「ん? そうか、わかった。気をつけて帰るんだよ」
いつの間に連絡を取っていたのだろうか。七海の指差したほうに目を向けると、暗闇の中で誰かが手を振っている。先にマキナが荷物を手にして車外へ出、彼女もあとに続いた。
先ほどまでの険悪な空気が一転、穏やかに解散できると思った矢先、わずかな街灯の光を吸ってギャルの目が妖しく光る。
「忘れないで。良ちゃんを裏切ったら――アンタら全員、地獄逝きな」
「その予定はないが、肝に銘じておこう」
「りょーかい。そんじゃ、ういっちゅによろしく! ばいならー!」
隼人の答えを聞くと、二人の女子高校生は連れ立って迎えの車に乗り込んだ。互いに顔も見えない中、頭を下げた相手の運転手にこちらも黙礼を返す。
ワゴン車のエンジン音が遠ざかると、大人たちは荷物を持って公用車の鍵を返しに役場庁舎へ足を向けた。そのさなか、サムライがふと思い出したようにつぶやく。
「……ういっちゅ?」
「娘さんのあだ名でしょう。初さんだけに」
「さっきは火に油を注ぎそうだから黙っていたが、この歳で〝ハヤトん〟もだいぶキツいぞ。あのネーミングセンス、どうにかならないものかね」
「諦めてください班長。彼女は佐々木家に汚染されています」
「頼むから良平君の前ではそういうこと言わないでね?」
オレンジの光に照らされた、レンガ張りの正面玄関。頭上に金文字で【逢桜町役場】と書かれた建物の中から、小さな影が二人を見つけ走り出てくる。
「お父さん、四弦さん! おかえり!」
「初! 無事か、よかった!」
「――はい。ただいま戻りました」
今日もまた、夜がやってくる。星が瞬き始めた春空の下、無事を確かめ喜び合う父と娘の声がこだました。




