内調機密指定『徳永文書』 Part 5
一行の右手に、白く大きな建物が見えてくる。宮城県の出先機関、逢桜合同庁舎もまた事後処理に追われているのか、ぽつぽつと明かりが点いていた。
「ところで工藤君。エージェントの先輩として物申すが、同級生たちはキミと良平君との距離感に違和感を持っていたようだぞ」
(ギクッ!)
「まさかとは思うが――遠縁の親戚である、という肝心な設定を説明しそびれていないだろうね?」
運転手はその前を通りしなに軽い気持ちで問いかけたが、バックミラー越しに金髪ギャルの表情が凍りついたのを見て考えを改めた。
「……てへっ?」
「てへっ、じゃないよまったく。その報告を怠った分も上乗せ減点、本日のレビューは星三とする」
「んにゃああああああ!」
合同庁舎を通り過ぎ、一行はトの字型になっている県道と町道の交差点にやってきた。ここの信号は矢印の補助表記がないタイプの時差式で、右折のタイミングが分かりづらいと悪名高い場所だ。
隼人は右にウィンカーを出して車を車道の中央に寄せ、誰もいない歩道と途切れない対向車を注視しながら軽くため息をついた。
「ウチの給料ってか、生活費に影響するんだよそのユーザー評価! ハヤトんそれ知ってるのに! なのに! 星三!?」
「良平君は複数愛者を公表している。サッカー界ダントツのプレイボーイ、節操のないハーレム男との偏見が未だ根強い中、キミの不始末で『未成年者に手を出した』とさらなる誤報が出ては困るのだよ」
関係者全員の同意を得て、複数のパートナーと同時かつオープンに交際するポリアモリー。扱いに序列はなく平等で、必ずしも体の関係を伴わず、しかして非常に親密な相手が多数いるという状況だ。
社会的に大きな影響力を持つ良平が当事者だと明かしたことで、少しずつ世間の理解は進みつつある。東海ステラとそのサポーターも「クラブに迷惑をかけず、サッカーできちんと結果を出してくれるならそれでいい」という考えのもと、彼の交友関係を見守るだけにとどまっていた。
『でも、やっぱ早いうちに言っといて正解だったと思う。事情知らない状態で俺を見たら、毎日女のコ取っかえ引っかえしてるただのクズじゃん』
『……良ちゃん』
『そんな泣きそうな顔すんなよ。たい焼きでも食べに行くか? ん?』
それでもなお、彼のもとには時として激しい中傷が届く。妹分を「演じる」身として始まったつき合いながら、七海はいつしか良平を心から慕い、傷つきながらも力強く歩むその道のりを邪魔したくないと切に願うようになっていった。
けれど、この想いを悟られてはいけない。とりわけこのサムライには――。ギャルはかぶりを振って前を見据え、後部座席から身を乗り出した。
「うん。ウチも困るから、そこら辺はおいおいちゃんとします。そういう契約だし」
「ああ、頼んだよ」
「でもさ、そっちだって人のこと言えないっしょ。ウチらが使ってないほうの校舎、あちこちぶっ壊れたまんまだったじゃん。関係者以外の人目についたらどう言い訳すんのさ」
陽気におどけていた七海の声音が急に変わる。車道の信号が青のまま、対向車が停まったのを見計らって、公用車は前の車に続き右へ曲がった。
このあたりは官庁街だ。先ほど見かけた県の合同庁舎に加え、町の不動産業協会、年金事務所、そして逢桜町役場が近距離に集結している。規模も賑わいもまったく異なるが、まるで霞が関周辺のようだと隼人は思った。
「今回は損壊がひどく、修復が追いつかなかったのです。それでやむなく、特殊な機材を用いた空間認知能力への干渉と、プロジェクト……プロジェクター?」
「プロジェクションマッピング」
「――の合わせ技でごまかしました。貴女が〈Psychic〉の理論武装を解除した際、一緒に魔法が解けたのでしょう」
「ふーん……」
それまで黙って話を聞いていた四弦が、突然内幕の説明を始めた。肝心なところでメカ音痴を発揮し、上司にフォローを入れられたのでカッコいい弁明とは評しがたいが、説明として筋は通っている。
七海はそれ以上何も言わず、しばし車内に重苦しい雰囲気が戻ってきた。窓の外をまばらな街灯とすれ違う対向車のヘッドライトが流れていく。
「あっ、班長さん。役場庁舎が見えてきました」
「今日の仕事はすでに終わった。もう少しカジュアルに呼んでくれて構わないよ、一ノ瀬君。もちろんキミが嫌でなければ、だが」
「承知しました。では……徳永さん、と」
「うん、ありがとう。やはり名前のほうがしっくりくるな」
目的地を前に、美少女ヒューマノイドがうまく沈黙を破ってくれたところで、四弦が「セクハラですよ徳永班長」としたり顔で割って入った。悪態をつくしかなくなるまで追い詰められたことが相当悔しかったのか、反撃の機会を今か今かと待ちわびていたらしい。
隼人はハンドルを握ったまま首をすくめると、合同庁舎よりも広範囲に明かりのついた役場の建物へ目を投じ、役場の正門前でブレーキを踏んだ。
「こういった地方の小さな町は、町民同士のつながりが強固でね。名前を知るという行為は、相手の素性や人となりを知ること。日本的なムラ社会の名残で、コミュニティへ迎え入れることを意味するんだ」
「コミュニティへの、招待……ですか?」
「そうとも。この町の町民にしてみれば、私たちは全員東京から来たよそ者。特に私は官僚の身分のまま逢桜町入りしたから、第一印象は良くないはずだ」
「ええ、そうでしょうね。地方に対する国の政策は現場との温度差が大きく、失敗に終わっているものもありますから」
「そこで、この作戦だ。まずは身近な職員や顔見知りの一般町民と名前で呼び合い、それを耳にしたほかの町民にも人脈を広げて、地域に溶け込んでいく。私が不純な動機で彼女にお願いをしたと思っているなら、その認識は誤りだぞ高野君」
この社会は、常にスケープゴートを求めている。誰か一人を敵に回せば、寄ってたかって名指しで袋叩きにする世の中である。やり場のない怒り、悲しみ、鬱憤が充満する火薬庫のような逢桜町では特にその傾向が顕著だ。
そんな町の公務員となって町民と名前で呼び合える、安心して名を明かせる信頼関係を築くということは、簡単に見えて大変勇気の要る行動であった。




