内調機密指定『徳永文書』 Part 3
「勘は確かなキミのことだ。あの〈特定災害〉を視認した時点で、すでに援護なしでは手に負えない勢力となっていたことを見抜いたのだろう?」
「え……」
「独りでは足止めすら不可能と判断し、早々に撤退。身を隠し生還に至った――と。いい判断だったな、よくぞ生きて戻ってくれた」
予想だにしなかった労いの言葉に、後部座席の学生たちが「マジ? しーちゃむヤバすぎわろた」「すごいです、高野さん。さすがですね」と反応する。
すると、黙って下を向いていた四弦はたちまち元気を取り戻し、助手席でふふんと胸を張った。
「そ……そうでしょう、そうでしょうとも! ようやく正当にご評価くださったようで何よりです。引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
「わ~お……この人、なかなかブッ飛んでますねぇ」
「聞こえるぞ工藤君!」
ポラリスの運営事務局長にして、逢桜町危機管理課〈特定災害〉対策班を率いる最高権力者。細い目にまあまあ整った顔、ゲゲゲの鬼太郎を黒髪にしたような感じで、つかみどころのない飄々とした雰囲気が言いようのない怪しさを醸し出す。
これまた〈黄昏の危機〉を受けて格上げされた内閣情報調査局――旧調査室、いわゆる〝内調〟職員の徳永隼人は、なるほど確かに官僚らしく喰えない男であった。
「プププ、しーちゃむも懲りないねぇ。これで何戦何敗?」
「お黙りなさい。あの男の縁者だからといって、なぜ貴女まで軽薄な気質に寄せる必要があるのです」
「そういう設定なんで。良ちゃんは誰とつながってるか思い出せないくらい縁遠いけど、小っちゃい時に一回だけ会ってる親戚のお兄ちゃん。それをリスペクトしてる妹分ってんなら、別にチャラくてもおかしくないっしょ」
「むしろ、地味な見た目で遠戚を名乗っては説得力に欠けるぞ。せっかく華の女子高校生になったんだ、やり過ぎない程度に満喫しなさい」
「だよね~。ハヤトん、わかってるぅ~!」
車内に七海の笑い声が弾ける。隼人は左右を確認すると、口角とスピードを上げてハンドルを切った。帰宅ラッシュで混み合い始めた夜の交通に、左折車がするりと紛れ込む。
学校近くのファミリーマートと、逢桜高校正門前を何食わぬ顔で通過。本来あり得ない時間、あり得ない場所に、あり得ないメンバーを乗せた公用車がいるのに、通行人や並走する車が不審がる様子は見られない。
(官公庁の多くは五時十五分が終業時刻。逢桜町役場も閉庁する時間だが、ここはつい先ほどまで〈特定災害〉に見舞われていた地だ。磁気嵐警報が解除されたあと、職員が残業……被害調査で町内を出歩くのは別段おかしなことではない)
まさに隼人の読みどおり、非常事態が日常と化している逢桜町の町民たちは「常識」の基準に狂いが生じていた。
災害とは名ばかりの、化け物と人間が殺し合った跡を調べて回るという気が狂いそうな仕事を黙々とこなす役人たち。それを知る住民は彼らに感謝こそすれ、非難などという罰当たりなことは考えもしないのである。
「ところで、どう? ウチの働き。潜入調査員としてどうだった?」
「尊敬の対象かつ自慢の親戚が同じ町へやってきて、戸惑いつつも嬉しさを隠しきれない妹分――といったキャラ付けか。なかなかの名演技だったよ」
「ほう」
「良平君と我々の三者間〈テレパス〉もつつがなく通じた。水原君と一緒に行動していると聞いた時は肝を冷やしたがね。あの子、ギフテッドだそうじゃないか」
「おろ? リンちゃんのこと知ってんの?」
「内閣府はギフテッド学園の運営にも関わっているから、この町に選抜候補生の子がいることは聞いていた。あれだけ勘の鋭い子によく言うことを聞かせたな」
「イエス! さっすが、違いのわかるナイチョーなんちゃら技官!」
運転手はハンドルを握ったまま、流れるようなコメントを返した。霞が関では「胡散臭い」と不評だったが、とっさに相手を立てるこの言い回しは一朝一夕に身につくものではない。
それを知ってか知らずか、素直に賛辞を受け取った七海は嬉しそうに声を弾ませる。場の雰囲気を明るく変えてくれた少女の笑顔に免じて、人の職名をデタラメに覚えていることは不問に付そうと隼人は思った。
「内閣情報調査局国家安全保障会議対策室、首席情報調査技官。そのNSCに出向する前、私が持っていた肩書きだ」
「ああ、そうでしたね。内調の首席情報調査ぎ――首席!?」
「そうだよ? 工藤君と一ノ瀬君にも話したと思うが」
「知 っ て た」
「はい。詳細についてのデータはありませんが、そう伺っています」
助手席の四弦が目を白黒させ、今日一番の大声を張り上げた。どうやら隼人への反感が先立つあまり、その正体がすっかり頭から抜け落ちていたようだ。
本来なら、下っ端の自分とは接点すらない政府の影武者。力と経験の差は歴然である。この男へ噛みつくという行為は、ペルシャ猫が雄ライオンにケンカを売るようなものであろう。
「ってかその肩書き、よく噛まないで名乗れるね。漢字と略称の暴力で草」
「内調の構成員は所属を伏せ、派遣先の職員になりきって活動している。私も内閣官房で事務官を務めている設定だった。だが、その実態は――」
「……ドキドキ」
「機密事項につき守秘義務が課されているので、これ以上のコメントは差し控えさせてもらおう。キミたちの豊かな想像力にお任せするよ、はっはっは」
「ハ~ヤ~ト~ん!」
不満げに抗議するギャルを尻目に、隼人はからからと笑った。笑いながら、フロントガラス越しに高く遠い夜空へ目を向ける。
街の光と遠すぎる距離のせいでよく分からないが、蔵王山を望む南西方向――かつて過ごした東京方面の空は、心なしか少し明るく見えた。
かつて江戸幕末、明治へと移り行く激動の時代には、薩摩藩出身の人間が深く関わっていたという。自分も同郷なのは単なる偶然だが、偉大な先達たちはどんな思いでこの空を見上げていたのだろうか。
(再び、こん世界は大きく変わろうとしちょるのかもしれん)
大して進まないうちに、行く手の信号が黄色になった。対向車の通過を待ち、前にいる車列を送り出す間に赤へ変わるだろう。
サムライは考え事をやめて車の運転操作に専念し、ペダルを踏み変える。速度を落とした公用車はゆるゆると夜の市街地を進んでいった。




