内調機密指定『徳永文書』 Part 2
――川岸澪が逢桜高校へ入学し、その校内における「防災活動」が終結したあとのこと。
彼女たちの見送りを受け、公用車はゆっくりと動き出した。一列に並んで手を振る彼らの姿がどんどん小さくなっていく。
「それじゃあみんな、おっさきぃ~!」
突き当たりの丁字路を左に曲がって完全に何も見えなくなると、工藤七海は窓から突き出していた頭と手を白い軽バンの車中に引っ込めた。スライドドアの内側についたハンドルを回して車内を閉め切りながら、運転席に座す男の背中を見やる。
「ねーハヤトん、これって役場の車っしょ? なんで今どき手動の窓なの?」
「この車、エブリイは軽貨物車だ。後部座席にまで人を乗せる機会はそう多くない。ゆえに、後ろの窓を開けることも少ないはずだから、手動で事足りると考えての設計ではないかな」
「ほぇ~、そっかぁ。しーちゃむはどう思う?」
「は?」
「だーかーらー、この車の後部座席にある窓はなぜ手動なのでしょーか? 十秒以内にお答えください。それではスタート!」
前髪と側頭部に赤い筋の入った彼女の長い金髪が揺れ、街灯の淡い光を反射してキラキラ輝く。それが目障りだったのか、振り返った助手席の同乗者が眉をひそめた。
首元で軽く毛先の跳ねた黒髪が印象的な、防衛省所属の陸上自衛官・高野四弦。どうも彼女はこういった派手な外見を好まないらしい。
「……後部座席がパワーウィンドウでは、走行中に荷崩れが起きた場合、荷物がスイッチに当たって自動で窓が開くおそれがあるでしょう。窓の開閉が手動なのは、積み荷の落下による事故を防ぐための物理的対策を兼ねていると思われます」
「なる~。しーちゃむ、あったまい~!」
「いい加減になさい、七海。そのいかにも頭が悪そうな話し方をやめなさいと言っているでしょう。非常に不快です」
男女三人を乗せた車は、逢桜高校の本校舎より少し規模の大きな赤レンガの建物が立ち並ぶエリアを走り抜けていく。新入生向けオリエンテーションでは「町外に出られなくなった大学生・院生たちのためのスクーリング施設」と説明されたが、それが真っ赤な嘘であることをこの三人は知っていた。
これらの建造物は校舎のようでありながら、明らかに様相が異なっている。看板の一部が削り取られた図書館、壊れたテーブルが転がるカフェテリア。壁と柱に刻まれた、巨大な五本の爪痕と咬み傷……
ここには、得体の知れない「何か」が潜んでいる――。一気に車内へ緊張が走った。
「そろそろ到着だ。工藤君、脇に詰めてくれ」
「あ~い」
「敵性反応はありません。このまま進んでください」
「了解。安全運転で行かせてもらうよ」
一行が道なりに進んできたのは、業者がキャンパス外からの出入りに使う通路。主要な建物の裏手を網羅し、正門を通らずとも敷地外に出られる。
左向きの青い矢印に【大講堂・高校食堂】と書き添えてある看板の手前で、車はウィンカーを焚き左折した。照明ひとつない袋小路、闇が満ちた搬入口の手前で、車のヘッドライトにたおやかな人影が照らし出される。
「すまない、一ノ瀬君。遅くなった」
「大丈夫ですよ、班長さん。こちらもつい先ほどまで片づけをしていまして、ちょうど皆さんと入れ違いに撤収したところです」
七海が側面のスライドドアを開け、可憐な雰囲気の少女を車内に迎え入れた。運転手と不機嫌そうな自衛官に会釈をして、一ノ瀬マキナが後部座席の乗員に加わる。
サイバー民間警備会社・アステラシア社製のヒューマノイドである彼女は、自然な所作で自ら着席しシートベルトを締めた。銀髪に真っ赤な瞳という特異な容姿でなければ、言われるまで機械だと気づく者は少ないだろう。
「いくらヒューマノイドとはいえ、この真っ暗闇に女子高校生を独りで待たせるなんて何を考えておられるのですか? パワハラですよ。猛省してください」
「キミは私の保護者か何かか? 少しでも気に入らないと、やれ不適切だのパワハラだのと文句をつける。それで私が頭を下げると思ったら大間違いだぞ」
「何ですって?」
「言い忘れていたが、高野建設の会長と私は知己でね。腑抜けたワガママ娘の根性を叩き直してやってくれと直々に頼まれたのだよ」
高野建設は、国が発注する工事の下請けを中心に業績を伸ばしてきた建設会社である。この逢桜町内においても昨年、一連の事件で損壊した国・県の施設における補修工事を受注したところだ。
常々、その会長の末娘であることを笠に着てきた四弦は、同時に厳格な母親の目を恐れてもいた。思わぬ形で実家の話題を出された自衛官は硬直し、怯えたような顔で運転席を見る。
「嘘、です。お母様が、徳永班長と知り合いのはず――!」
「内閣府はキミが思うよりもずっと顔が広くてね。疑うならご実家に〈テレパス〉でもして訊いてみるといい」
「お母様と……何をお話しになったのですか」
「キミの仕事ぶりを聞きたいと仰せだったから、今日の活躍をお伝えしようかと。りょーちんをブチ切れさせて、あわや大惨事だったとな」
ハンドルを握る着物の男はドアが閉まったことを確認すると、緩やかにアクセルを踏み込んだ。そのまま前進しつつ転回し、元来た道と重なる三叉路を左へ。
空気が重さを持ちのしかかってくるような雰囲気の中、公用車は再び暗い夜道をヘッドライトで照らしながら進んでいく。
「そ……っ、それだけは! それだけは、どうか……」
「私の何が――何もかも気に入らないのかもしれないが、個人の感情と仕事は分けて考えなさい。分かったら、以後勝手な行動は慎むように」
「は、い……っ」
上司の低い声は落ち着いてこそいるものの、静かな怒りを感じさせる語調だった。四弦は口をつぐみ、膝の上で両手を握り締めて、恐怖と屈辱に耐えている。
欠点を指摘するだけなら誰でもいい。だが、失敗のフォローは限られた人間しかできない。そして、この場でそれができるのは自分だけだ。
県道との合流点を前に一時停止したタイミングで、意を決したざんばら髪のサムライは口元を緩めてこう切り出した。




