Side C - Part 2 公開処刑
Phase:01 - Side C "The Samurai"
『傷つけたくなかった。痛い思いなんてしてほしくなかった! 私は……私はただ、自分の言葉でみんなを笑顔にしたかっただけなのに!』
データ化された人間は実体を持たず、流動的な存在となって生身の身体から解放される。ヒトではないモノに宿り、本来なら生命維持活動に割くべきリソースをほかのタスクに振り向けることで、より高度かつ複雑な思考・分析が可能になる。
〈エンプレス〉は名乗りをあげてすぐ、町内のネットワークを介して市川さんの意識を河川敷のスピーカーに追いやった。彼女の意思、彼女の声……彼女の中身は今、そこに監禁されているんだ。
ハッカーにとっても、この状況は好都合でね。乗っ取った相手の意識を生かしておけば、任意のタイミングで「人質」として表に引きずり出せるんだよ。
もし、仮に〈エンプレス〉が最初から最後まで市川さんの意識を身体の中に残したまま、このような事件を起こした場合は我々にどう見えると思う?
「どう……見えるんですか、サムライさん」
「勘のいいキミなら察しはついているはずだよ、チャラ男君」
犯人は市川さんへ擬態し、彼女に成り済ましてサイバーテロを起こすんだ。宿主へ全責任をなすりつけ、自分は電子の海へ雲隠れ――ああ、考えただけで頭痛がする。なんてタチの悪い多重人格ごっこだ!
ともすれば完全犯罪を成し得たトリックであろうに、それをわざわざ劇場型に仕立て直し、堂々とタネ明かしをしてくれただけ良心的と思うほかないな。
『どうして私なの? 私が何をしたっていうの? どうして、私が……!』
――ぱちん。
乾いた音がした瞬間、ディレクターの男性が手で口を押さえ苦しみ始めた。体内からの圧力でなけなしの抵抗は徒労に終わり、女帝の拷問が幕を開ける。
逆流する胃酸と未消化の食物が織り成すすえた臭いに鼻を突かれ、我々は思わず顔をしかめた。
「うぷっ――げ、おぼぇぇぇぇぇ!」
「女の子を泣かせるなんて、いけない人。あなたには公開処刑が必要ね」
『いやあああああああ!』
最初はパタパタ、次第にぼたぼたと勢いを増して、被害者の口から真っ赤な液体が噴き出し始める。懸命に鳴くアマガエルのように喉を膨らませ、重ねた両手をじわじわ押し返しながら、新鮮な生肉の色をした物体が鉄の臭いをまとって姿を見せた。
『やめて! 返して、〈エンプレス〉! 私の身体で勝手なことしないで!』
「なぜわたしに怒っているの、ハルミ? 彼はあなたを化け物と呼んだ。彼はあなたの悪口を言ったのよ。罰せられてしかるべきだわ」
『私の心は私のもの、私の身体も私のもの。あなたには渡さない、私の中から出て行って!』
「出て行け? そのお達者な口以外、わたしにすべてを奪われたあなたに何ができるというのかしら。頼むにしても言い方があると思うのだけれど」
『くっ……!』
ああ、やはりチャラ男君はうつむいているな。大丈夫、それが正常な反応だ。人間である限り、吐き気はイケメンにも平等に襲ってくる。
恥じることなんてないぞ、かえって我慢するほうが体に悪い。バラエティ番組ならキラキラ加工でごまかされるところだ。
それに、キミならきっと苦しむ姿さえ神々しく映る。私も致し方ないもの、不可抗力、見なかったことにしてあげるから――
「あ、大丈夫ですよサムライさん。俺は平気です」
「なんで!?」
「なんで、って言われても……AIのくせにホラー大好きで、毎晩リアル系のVR映画とかゲーム実況動画見るのに俺をつき合わせるマネージャーのせいじゃないですかね」
「……なんて?」
「その代わり、俺が寝てる間はひたすら〈Psychic〉の睡眠学習モードで欧州サッカーの試合中継流してもらってるんです。いやー、人生経験ってやつは何がどこでどう役立つかわからないな」
……〈Psychic〉を搭載した人間は、病気やケガなどによる身体的・心理的不調と五感の異常以外が原因でキラキラすることもある。
そのひとつが、市川さんとディレクター氏のケース。機器に宿るAGIが侵入者の攻撃に屈し、生ものである我々の脳を支配されてしまった場合だ。
生物は、自分の認識と身体感覚から得られる情報の間に大きな乖離があると、その状況に対して強い恐怖や不安、嫌悪感を覚える。現実との差が開くほど精神は異常をきたし、臨界点を迎えた人体はただの「器」と化すか自壊するんだ。
自分は今、どうなっているのか。怖い。これは現実なのか。現実なら、なぜ身体が言うことを聞かないのか。自分は本当に生きているのか――。
いわゆる「生理的に無理」なキラキラ嘔吐で済めばいいが、ひとたび自問自答の無限ループに陥ってしまうと、抜け出すのは困難を極める。そうなったら……終わり、と考えていいだろうね。
「気持ち悪くないのか、って訊かれたらそりゃキモいですよ。吐くほどじゃないってだけで。綿詰めてる途中の縫いぐるみみたいに人体が裏返るなんてあり得ないでしょ」
「しかし、目の前で起きているからには現実の出来事と認めざるを得まい。そのあたり、チャラ男君の見解をお聞かせ願えるかな」
「サムライさんも同じこと考えてたんじゃ?」
「念には念を、ね。認識の共有と戦術に対する合意形成は、サッカーでも基礎基本にして要だろう?」
〈Psychic〉から入ってくる情報を脳が処理しきれないと、一寸先は闇だ。快楽中枢をやられて廃人となるか、人格に異常をきたし廃人となるか。驚異の精神崩壊率百パーセント、当然治癒の見込みもない。
これは〈Psychic〉がもたらす劇症性・急性の重篤な副反応として世界的に問題視されているのだが、恐ろしいことにこの日本では「サイキック酔い」という名称がつけられ、あたかも軽い症状であるかのように受け止められている。
「俺は、あえて人前で化け物を生み出す行為そのものが女帝サマの狙いだと思います。どんな奇跡も、悪夢でさえも、目撃者がいれば事実になる」
それゆえに、日本政府は〈Psychic〉の開発プロジェクトが始まった段階から研究者たちに中止を求め、国際機関に対しても再三にわたり危険性を訴えてきた。
我々は叫んだ。声を嗄らして叫び続けた。だが、科学者たちは陰謀論だと言って耳を貸さず、世界を変えると言ってパンドラの箱を開けてしまった。
その結果はご覧のとおり。これは、起こるべくして起こった人災なのだ。