Side C - Part 2 公開処刑
Phase:01 - Side C "The Samurai"
「……晴海、ちゃん?」
『傷つけたくなかった。痛い思いなんてしてほしくなかった! 私は……私はただ、自分の言葉でみんなを笑顔にしたかっただけなのに!』
データ化された人間は実体を持たず、意識だけの流動的な存在となって生身の身体から解放される。ヒトではないモノに宿り、これまで生命維持活動に割いていたエネルギーをも充てることで、より高度かつ複雑な思考・分析が可能になる。
〈エンプレス〉は名乗りをあげてすぐ、町内の〈Psychic〉ネットワークを介して市川さんの意識を河川敷のスピーカーに追いやった。彼女の意思、彼女の声……本物の彼女は今、その中に監禁されているんだ。
「敵にとっても、この状況は非常に都合がいい。寄生した相手の意識を生かしておけば、任意のタイミングで『人質』として表に引きずり出せるからね」
「うんうん。現実にもいますよね、清楚ぶって近づいてくる本性ドS女子」
「――と、ここで問題だ。もし〈エンプレス〉が市川さんの意識を身体に残したまま、同様の悪事を働いた場合はどんな展開になっていたと思う?」
「ええ? ツッコんでくれないんすかサムライさん。ショック~」
「既婚者であり父なのでね。チャラ男君のチャラい話には乗らないよ」
犯人は晴海さんに擬態し、本人に成り代わってサイバーテロを実行しただろう。事が済めば彼女へ全責任をなすりつけ、自分は痕跡を消して電子の海へ雲隠れ――
ああ、考えただけで頭痛がする。なんてタチの悪い冤罪、多重人格ごっこなんだ! 人間を嘲笑っているのか、あるいは単に娯楽のつもりなのか……
ともすれば完全犯罪を成し得たであろうに、なぜそれをわざわざ劇場型に仕立て直した? トリックを自ら開示した目的は何だ?
率直に言って、非常に嫌な予感がする。
『どうして私なの? 私が何をしたっていうの? どうして、私が……!』
「違う、違うんだ! 言葉の綾だよ晴海ちゃん! 君に対して言ったんじゃない、君の中にいるモノに言ったんだ!」
「君の中? 何をおっしゃっているのかしら。どうしてわたしに許しを乞うの?」
市川さんの声で繰り出される指摘が、本物の彼女とディレクターの精神を追い詰めていく。
言うまでもないが、これは罠だ。人間同士で仲間割れするよう仕向けた〈エンプレス〉の巧妙な策略だ。
いいか、市川さん。キミの同僚は精神的に混乱している。これはキミが肉体から切り離されてしまったという現実を彼が受け止めきれず、キミの姿をした敵を本人と誤認したことによる不幸な事故だ。
だから、信じろ。疑うな。今のキミには、疑念こそが最大の敵だ。敵に耳を貸さず、苦楽をともにした仲間を信じろ。この程度で揺らぐ信頼ではないはずだぞ!
『――あ』
「わたしはここ、ハルミはあれよ。謝りたいなら、スピーカーに土下座なさるのが筋ではなくて?」
「お前は黙ってろ! ……頼む、聞いてくれ晴海ちゃん! おれは本当にうっかりしてたんだ!」
「ええ、そうよね。そうでしょうね。目の前にいるのはただの抜け殻、本体は生き物ですらないスピーカーの中。あなたたち人間さんがAIに負けるなんておぞましい現実、考えたくもないものねえ!」
『ああっ、あ……うああああああ――!』
――ぱちん。
市川さんの絶叫が響くと同時に、彼女の姿をした〈エンプレス〉が指を鳴らす。すると、ディレクターが両手で口を押さえ、地面をのたうち回って苦しみ始めた。
なけなしの抵抗は徒労に終わり、女帝の拷問ショーが幕を開ける。始まりの演目は、胃酸と未消化の食物にすえた臭いを添えた劇症性の嘔吐だ。
「うぷっ――げ、おぼぇぇぇぇぇ!」
「女性を悲しませるなんて、いけない人。あなたには公開処刑が必要ね」
『あっ? あ……っ、いやぁあああああ!』
やがて、男性の吐瀉物に真っ赤な液体が混じり始める。懸命に鳴くカエルのように喉を膨らませ、口元に重ねた両手を押し返しながら、新鮮な人間の内臓が鉄の臭いをまとって姿を見せた。
『やめて! 返して、〈エンプレス〉! 私の身体で勝手なことしないで!』
「なぜわたしに怒っているの、ハルミ? わたしは、あなたの代わりに彼を罰してあげたのよ。どうして怒られなければいけないの?」
『あなたには関係ない。私が何を思い、どう行動するかは私の自由。私の心と身体は私のもの。あなたに私は渡さない!』
「おかしな人ね。渡すも何も、あなたはすでに奪われた側よ。返してほしいと頼むにしても、言い方があると思うのだけれど」
『くっ……!』
このグロテスクな光景を前に、チャラ男君はうつむいていた。大丈夫、それが正常な反応だ。人間である限り、吐き気はイケメンにも平等に襲いかかる。
恥じることなんてないぞ、かえって我慢するほうが体に悪い。バラエティ番組ならキラキラ加工でごまかされるところだ。私も致し方ないもの、不可抗力、見なかったことにしてあげるから――
「大丈夫ですよサムライさん。俺、このくらいは平気です」
「なん……だと……?」
「何ですか、バケモノでも見るような目しちゃって。文句ならAIのくせにホラー大好きで、毎晩リアル系のVR映画とかゲーム実況動画漁りに俺をつき合わせるマネージャーにお願いしますよ」
「……なんて?」
そ、そうか……昨今はあまりにもリアルすぎて、言われなければそれと分からないクオリティのCGがあふれ返る世の中だからね。
今どきの若者はすごいな、下手すれば私より最先端の情報技術に詳しいかもしれない。この先、解説者としての私の出番はあるのだろうか……。
「ところでサムライさん、あんた〈Psychic〉に詳しかったよな。さっき聞きそびれたんだけど、こいつを乗っ取られたら廃人になるってのはなんでなの?」
「よくぞ聞いてくれたチャラ男君、ちょうど今からその話をするところだ!」
「わ、圧が強い。近い近い。ちゃんと聞きますから落ち着いてくださいって」
よし。聞いてやるとの言質を取ったから、私も張り切って解説しよう。
専門用語を並べ立ててああだこうだ言うのは簡単だが、これから話をする相手は一般人。なるべく嚙み砕いて説明しないといけない。
それに、明日は我が身となりそうで蛮行を止められないとはいえ、今は〈エンプレス〉とにらみ合っている最中だ。いつでも話を打ち切り、荒事に対応できるよう警戒を続けねば。
私は腰の刀に手をかけ、話すべきことを整理して口を開いた。