Side B - Part 5 サッカーファミリー
Phase:04 - Side B "Kimitaka"
「チッ……わかった、もういい。そこをどけ」
「できません。今の羽田氏は貴方にケガを負わせる可能性があります。その汚らしい鳥も、うるさく騒いで邪魔をしかねません。退がりなさい、シャル――」
「俺をその名で呼ぶなって言ってんだろ!」
こうなってしまうと、和解なんてあり得ない。大切な人とその家族を軽んじた相手に対し、りょーちんは完全にブチ切れた。
普段、特に女の人相手には絶対やらない荒々しさで、最推しは高野さんを扉のそばから押しのける。それから、打って変わって明るい調子で「お邪魔しま~す」と車内に声をかけ、中に踏み込んだ。
直後、大きな物音と複数の叫び声が聞こえて、思わずみんな身構える。徳永さんの制止を振り切り、オレは車のそばに駆け寄った。
「来るな、触るな! それ以上俺に近づくなぁぁっ!」
「大丈夫だ、ショウ。俺の目を見ろ」
「皆が言うんだ、こんな身体に価値なんかないって。サッカーができなくなった俺なんて、俺じゃないって!」
「しっかりしろ、そんなこと言うやつここにはいない」
「ワァー! リョーチン、助ケテ! 助ケテ!」
「怒鳴ってごめんな、おまえに言ったんじゃないんだ。落ち着いたら一緒に帰ろう」
灰色のデカい鳥が、頑丈なケージの中で翼を広げて騒いでいる。りょーちんは近くにあった黒い布を手に取り、優しく声をかけながら自分の姿が見える面以外を覆うようにそっとかぶせた。
それから、錯乱状態に陥った飼い主の両手を押さえつけてなだめる。泣きながら首を横に振るハネショーに、りょーちんは何度も「俺の目を見ろ」と繰り返した。
「お前だって、いつかは静岡に帰る。みんな……みんな、俺から離れていく。カネが無いくせにプライドだけは高いクソ野郎の面倒なんざ見てられねえもんな」
「いやいや、そん時はおまえも連れてくよ。どうしてもこの町に残りたいってんなら止めないけど、横須賀育ちの都会っ子にはちょっと静かすぎるんじゃないか?」
「はっきり言えよシャルル、俺の存在が邪魔だって! 人の足を引っ張るんじゃねえって! どうせお前も本当は『さっさと死んでくれ』って思ってんだろ、なあ!」
「ごちゃごちゃ抜かすな陰キャメガネ。俺の目を見ろ! 見るんだ、正一!」
抵抗が緩んだ隙を突いて、ふたりの影が一瞬重なる。拘束を解かれ、震える手を額にやったハネショーのうつろな目へ徐々に光が戻っていった。
大声で絶叫してたヨウムもおとなしくなって、唸るような声のあと「シャッチョサン、大丈夫?」と問いかけてくる。
「あのさあ、誰のために俺がわざわざ介護の資格取ったと思ってんの? おまえの価値はサッカーだけじゃない。生きて、こうしてまた話せるだけで十分なんだよ」
「あ、あああ……! シャルル、俺……俺……っ!」
「怖かったな。苦しかったな。よく頑張った。偉いぞ、ショウ」
「リョーチン、シャッチョサン、仲良シ?」
「もちろん。俺はアンリとも仲良くしたいな」
夜の暗闇に向かって、二本の腕が伸びる。トレーニングウェアを着た背中がしゃがみ込み、右肩を抱き込んでもらう形でその手を組ませた。
介助者にしがみつく格好になったハネショーは、そのまま車椅子の上で声を上げて泣きじゃくる。りょーちんは何も言わず、ただその頭を優しく撫でた。
「アンリサン、リョーチン、仲良シ」
「お、そいつは光栄なこって。帰ったら俺と少し遊ぶか!」
「ワーイ!」
ついのぞき見ちゃったけど、しばらく二人と一羽きりにしてあげるべきだな。オレは物音を立てないようにそーっと後退し、みんなのところにこっそり戻った。
* * *
「女性不信に恐怖症だと? 私と澪は今朝、普通に会話できていたぞ」
「彼の容体については、あらかじめ良平君から話を聞き知ってはいた。現在は日常生活にほぼ支障ないレベルまで回復している、という話だったが……」
「女の子が苦手ってレベルじゃないっしょ、あれ。ヤバない?」
「女性に触れられたことでトラウマが再燃し、フラッシュバックが起きたのだろう。心的外傷後ストレス障害、PTSDの典型的な症状だ」
川岸の親父さんが駐車場から車を持ってくる間に、オレと川岸、水原、工藤の女子三人は昇降口に戻り、一ノ瀬先輩がまとめてくれた荷物を探した。
一年の靴箱近くで見つけた四つのカバン(オレのが二つあるからな)には、どれも荒らされた形跡はない。変なシミや臭いもついてない。よかった!
みんなで胸を撫で下ろしたあとは、高野さんがまた勝手なことしないか見張ってる徳永さんのところに戻って、話しながら時間を潰すことにした。
「大家さんが、PTSD……」
「良平君にも共通することだが、正一君も首都直下地震で多くのものを喪っている。そして――彼自身も深い傷を負った。あの様子だと、身体のことで親族や女性から罵倒されたことがあるのかもしれない」
「ンだよ、それ……! ハネショーは全然悪くないだろ! なんでケガしたことを責められなきゃなんないんだ、誰だよそのクソ女!」
はらわたが煮えくり返るってのは、こういう感情を指すんだな。オレにとってハネショーは尊敬する選手の一人ではあるけど、まったくもって赤の他人だ。
でも、スポーツ界には競技関係者全員を仲間、ファミリーとみなす考え方がある。オレもそうした考えのもと、小林公望という選手を構成するすべてに感謝しろと指導を受けてきた。
「静まれ、大林。お前がキレても過去は変わらん」
「わかってるよ水原、あと〝小林〟!」
だから、ハネショーの苦しみはオレにとっても自分事。独りよがりだと言われても、サッカーを通じて関わるすべての人に、オレは笑っていてほしい。
あの人が苦しめば、りょーちんも傷つく。そんな姿は見たくもない。不注意じゃなく「わざと」やらかしたと反省の色なく明言されたことで、高野さんに対するオレの怒りと不信感は頂点に達していた。




