Side A-2 ガールズトーク
Phase:01 / Side A-2 "The Student & The Tomboy"
――時は、少し前に遡る。
「あハっ、あ……アアァああアあ――!」
リポーターの女性は喉が割れるような絶叫を上げると、私の前で髪を振り乱し、その場で激しく痙攣し始めた。
明らかに様子がおかしい。迷うことなく救急車を呼ぶべきだ。窒息の危険がないようなら、舌を噛まぬようハンカチを口にあてがうべきか――
「キミはあの子を頼む。安全な距離まで引き離せ!」
「これは不可抗力、不可抗力……頼むからセクハラとか言わないでくれよ、っと!」
ん? 待て、なぜ私は宙に浮いている? 本人の了承も得ず、背後から人を抱えて引きずっていく人間は誰だ?
「確保!」
「おらっ、おとなしくしろ!」
尾上橋の歩道上には、コンクリート製の大型プランターがいくつも置かれている。チャラ男はその陰に私を避難させるとリポーターの元へ引き返し、着物の男と二人がかりで彼女を地面に引き倒した。
そこまでは予想どおりだったが、あろうことかサムライはどこからか結束バンドを取り出し、手際よく女性の両手首を縛り上げている。なぜ彼がそんなものを携行していたのかは考えないことにした。
怪しいところは多々あるが、二人が私を助けてくれたのは事実。これは私もマイナス寄りに定義した評価を改める必要がありそうだな。
「救急車呼べ! それと警察!」
『無理だ。〈Psychic〉が言うことを聞かない』
そんなことを考えながら茜色の空をぼんやり眺めていると、先ほど見かけたスーツの女が私のそばにやってきて、穏やかな口調で話しかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「……はい。大丈夫、です」
「あちらは彼らに任せましょう。少し、お話を伺っても?」
「構いません」
彼女は男たちに視線を向けたまま、私のそばにしゃがみ込んだ。
「本来はきちんと名乗るのが筋ですが、礼儀を重んじている余裕はありません。ひとまず防衛省所属の自衛官とだけ言っておきます」
「……地元の、中学生。逢桜中学校の新三年生です」
「中学生? 失礼、あまりに大人びているので高校生かと」
「そうですか」
私たちが話し込んでいる間に、リポーターは落ち着きを取り戻したようだ。鎮圧にあたった男二人も笑みを浮かべ「よくやった」のグータッチに興じている。
「アシストどうも。妙に手慣れてるのが気になりますけど、カッコ良かったですよ」
「はっはっは、キミには遠く及ばないとも――りょーちんには、ね」
ほんの一瞬だったが、サムライの一言にチャラ男が固まった。どうも何か引っかかるな、これまでに得た情報から少し考察してみるか。
本人と周囲の言動、体型、身のこなしからも、奴がサッカーを「する」側なのはほぼ確定。
加えて、先ほど〝りょーちん〟という呼称を耳にした際に見せた身体の硬直……人は核心を突かれると動揺するものだ。私の目はごまかせないぞ。
つまり、このチャラ男とイケメンサッカー選手の〝りょーちん〟は同一人物。言われてみれば、そんな感じのあだ名を持つプロアスリートがいた気がするな。
「いい気分に浸っているところ悪いが、話を戻そう。大変残念だが、この女性――市川さん、といったか? 彼女はもう助からないかもしれない」
「え? なんで?」
だが〝りょーちん〟はあくまで愛称、奴の選手登録名ではない。思い出せ、私。これまでに集めた情報から確実に答えを導き出せるはずだ。
私は容姿の美醜にあまり興味がないため、奴が世間一般で言うイケメンに該当するかどうかは判断しかねるが、一つ大きな手がかりがある。
『あと俺、団子よりもたい焼き派』
『マネージャー使い荒すぎだろ、このたい焼きフリークサッカー小僧』
『知ってる~。たい焼きが燃料の和製コンコルドっしょ?』
そう、このチャラ男が愛してやまない大好物――たい焼きだ。
元々高い知名度がある選手ならば、サッカーに詳しくない一般人には「たい焼き好きのアスリート」というキーワードで認識されている可能性が高い。
それなのに、分からない。もう少しでたどり着けそうなのに、頭にもやがかかって思い出せない。その正体を特定せしめる、決定的な情報が欠落している。
「すまない。私たちでは、これ以上手の打ちようがないんだ」
「どうして? 私、こンなこトしたくナい。死ニたクない! お願い、信じテ! だレか、助ケて――!」
涙と鼻水、崩れたメイクで見るも無残な顔になったリポーターが、悲痛な声で訴える。これが、自分の身体を第三者に乗っ取られた人間の末路か。
まるで自分の姿をしたロボットに乗っているかのような、思いどおりにならない奇妙な感覚。その気持ち悪さがもたらす精神的苦痛はいかばかりだろう。
私が哀れな被害者へ思いを馳せている間、自称・女性自衛官は〈Psychic〉の警告画面を前に悪戦苦闘していた。
〈テレパス〉の着信を示す画面に発信者の名前はなく、血文字を思わせる真っ赤な字で【この通信は拒否できません】とある。
「……あの、何を?」
「消防署へ救急要請を試みています。一向につながりませんが」
「町外ネットワークへの通信は、何者かによって封じられているはずでは?」
「これは緊急事態です。他人に頼ってはいられません。万が一にも回線がつながれば良し、少しでも可能性がある場合はそれに賭けるべきでしょう」
この女は何を言っているんだ? デジタルの世界は0か1、白か黒かはっきりしている。無理なものは何をどうやっても無理だ。
どうやら、彼女は私が思うよりもずっと愚かで、単純で、往生際の悪い女とみえる。
「大丈夫、決着は私がつける。未来あるキミの手を汚させはしない」
「そういう問題じゃないだろ! だって……だって、こんな……!」
男たちの問答には目もくれず、自衛官は不気味な画面に向き合い、細い指で一心不乱に赤い終話ボタンを叩き続けた。
当然ながら反応はない――なかったが、何度目かの挑戦の末、その上にあった緑色の通話ボタンが私も見ている前で勝手に横へスライドした。
彼女の黒瞳が大きく見開かれる。これは操作ミスでも、誤作動でもない。何者かが外部から、意図的に操作したのだ。
「これは……〈テレパス〉の音声メッセージ?」
「何者かが、私たちと話したがっているようですね」
リポーターが立ち上がり、その場に得も言われぬ緊張が走る。数秒間の沈黙が流れたのち、彼女は口火を切った。
「初めまして、逢桜町の皆さん」




