Side C - Part 6 因果応報
Phase:03 - Side C "Suzuka"
高野さんが両手を広げて一言「〈開花宣言〉」と口にした。手の甲に赤く光る桜のしるし、手首には正方形状のフレームが三つ現れ、そこから漏れ出た光が空中に集まって彼女の得物を形づくる。
スコープと消音器のついたスナイパーライフルを手に、自衛官は扉へにじり寄った。その間も男子生徒は逃げ惑い、私たちのすぐ目の前まで追い詰められる。
やがて、窓から差し込む西日を受け、追いすがるモノの姿が明らかになった。
「あれは……!」
「あーやだやだ、やめてやめて! マジキモすぎて無理なんだけど!」
「七海。うるさいです」
その姿は――耳。辛うじてヒト型をとどめてはいるが、全身くまなく無数の耳に覆われている。木の幹に白いキクラゲが密生しているかのようだ。
頭のてっぺんにあるのは、異様な照りと赤みを放つ物体。肉感のあるモヒカン状で、ニワトリ……シャモ系のトサカに似ていると私は思った。
「こちら高野、要保護対象者並びに〈特定災害〉を発見しました。日没前ですが、すでに変態しています。いかがなさいますか」
『こちら本部。状況はこちらでも随時モニタリングしている。人命保護を最優先とし、やむを得ない場合はキミの判断で即時防災に移行して構わない。私が許可する』
「承知しました。高野、状況を開始します」
『本部、了解した。健闘を祈る』
高野さんは敵の動向を気にしながら仮想スクリーンを展開し、どこかへ念話をかける。本部と名乗り呼びかけに応じたのは、どこか懐かしい響きを帯びた明朗な男の声だった。
「なになに? ライフル撃っていいって?」
「あらかじめ断っておきますが、〈特定災害〉はヒトにあらず。災害とは鎮圧するものです。間違っても助けようなどという気は起こさないように」
ガシャン、と銃のボルトハンドルが無機質な音を立てる。狙撃手の指と同じくらいはあろうかという長さの大口径弾を送り込まれた筒先が、怪物に狙いを定めた。
『いやだ、まだ死にたくない! 俺は死にたくないんだ!』
『ビびルなよ。イタいノはいッしゅンだかラ』
『やめろっ、来るな――!』
化け物の頭部が裂ける。いや、トサカに見えたものが巨大な口だったのか。胴体も肥大し、首がなくなり、太く長く伸びていく。
何をしているんだ、このままでは男子生徒が喰われてしまうぞ! 気が気でない私たちをよそに、スナイパーはまだ静観している。
二人がこれまで培った友情を押し流すように、大量のよだれが廊下の床へ降り注いだ。まだ人間をやめていない少年は、恐怖と絶望に支配された目で人面ムカデと化した友を見やる。
『あ、ああ――!』
『ィたダきまァす』
私たちにもはっきり聞こえる声でそう言うと、化け物は俊敏な動きで獲物に襲いかかった。予期していたとはいえ、この結末は正視に堪えない。
私はきつく目をつぶった。だが、待てど暮らせど何も聞こえない。押し殺されたライフルの銃声も、言葉にならない断末魔もだ。
「あ、れ……?」
薄目を開けてみると、今まさに捕食される寸前だった男子生徒は、床に座り込んだ状態のまま動かなくなっていた。
おかしい。一体何が起きた? 正確には化け物も微動だにしていないから、なぜ時が止まったのか、と言ったほうがより適切であろうか。
「リンちゃん! 大丈夫?」
「工藤!」
「しゃべれるけど、身体が動かない……〈Psychic〉のセーフモードっぽいね、これ。しーちゃむは?」
「右に同じです」
本来、セーフモードは〈Psychic〉の「使用者自身」が「直接的な」生命の危機にさらされた場合にのみ発動するものだ。目の前で誰かが死にそうな目に遭った、というだけでこうはならない。
しかも理論上、効果時間中は外部からの干渉を一切受けつけないはずだ。持続時間が人によって異なるから、この異次元空間には自分一人しかアクセスできない。
だが、実際はどうだ? 私が今見ている景色は、工藤や高野さんと連動しつながっている。緊急的な危機回避が目的なら、身体も自由が利いて然るべき。なのに、私たちは全員身動きが取れない。
「先ほどまで可能だった外部との連絡も、急に不通となっています。誰がこんなことを?」
「わかるなら苦労しないよ!」
「自分たちは誰一人、デバイスにモード切り替えを指示・命令していません。切り替えもアナウンスなど無く突然でした。これも何らかの関連があると思われます」
「関連しかないだろうな。アレも含めて」
三人で議論している間に、ぼんやりとした白い光が廊下の隅へ現れた。
思考以外、すべてが緩慢になった空間に、何もないところから姿を見せた。その事実に男子生徒は震え上がり、青白い顔からますます生気が抜けていく。
『ひいっ! こ、今度は何だ!?』
「あれって何? 幽霊? 火の玉? ウチ、霊感ないけど初めて見た」
「そのような非科学的現象は存在しません。ただの幻です」
狙撃銃を構えたまま、高野さんが嘆息する。光る球体は宙に浮かんだまま、男子生徒のほうへゆっくりと移動し始めた。
『あああ謝る、謝るから殺さないで! アレが原因なんだろ? 今朝のアレ。マジで反省してるよ、助けてくれるなら全裸で土下座でも何でもする!』
答えはない。光は鈍く明滅しながら、着実に距離を詰めてくる。それが逆に彼の恐怖を煽り、呼びかける声はどんどん切羽詰まっていった。
『お、俺、羨ましかったんだ。りょーちんみたいな天才が身近にいて、何度打ちのめされても前を向くなんて俺にはできない』
『……』
『羨ましかった。まぶしかった。幸せそうだった――だから非難った。俺らはいくら苦しんで努力しても無駄なのに、あの障害者はその分……いや、それ以上に報われてる』
『……』
『おかしいだろ!? 運もカネも人脈も、なんで独りじゃ何もできないヤツに集まるんだよ! 社会のお荷物が俺らより恵まれてるなんて、世の中間違ってるだろ!』
ないものねだりの逆恨みをまくし立てる同級生の目から、一筋の涙がこぼれた。ガラス窓から差し込む夕日を浴びて、雫がダイヤモンドのような輝きを放つ。
その様子に私は、
(――綺麗だ)
この世のものとは思えない美しさ、絶望が生んだ生命のきらめきに目と心を奪われた次の瞬間、さらにあり得ない事態が私たちを襲った。




